宮崎県日向市大御神社・国内最大級の「さざれ石」と昇り龍

大御神社、と書いて、おおみじんじゃ、と読みます。
天照皇大御神の大御をいただいて社名としているらしいです。
創建の年月は詳らかではないようですが、天保・安政年間から大正5年までの祈願木札には天照皇大神宮と記されているそうです。
大御神社は、むかしから「日向のお伊勢さま」として地元の人たちにも親しまれているそうです。

大御神社

所在地・アクセス・駐車場

〒883-0003 宮崎県日向市伊勢ケ浜1
0982-52-3406
日向市駅から車で10分
宮崎空港から2時間弱
駐車場完備 無料

御主祭神

天照皇大御神 (アマテラススメオオミカミ)

御利益

所願成就 航海安全 武運長久

参拝時間

いつでも

見どころ

裏手の海岸に親・子・孫の亀石

大御神社裏手の亀石

今から1500万年前、火山の活動により、この海岸一帯にも大量の火砕流が押し寄せたそうです。
火砕流は堆積し、長い年月をかけて固まり、柱状節理(溶結凝灰岩)となりました。
はるか悠久の歴史を経て、親・子・孫、三代の亀の姿となっています。

国内最大級の「さざれ石」群

大御神社裏手のさざれ石のいわお

日本国国歌、歌ったことありますか?
君が代の歌詞に出てくる、さざれいしのいわお、って何なんでしょう。
子どもの頃から訳も解らずに歌っていました。
大御神社にある「さざれいしのいわお」は、学名「 庵川礫岩」と言うそうです。
今から約2000万年前、この辺りは広範囲にわたり浅い海岸平野で、大陸から流れる大量の礫(石ころ)が、その河口附近にたまってごろごろしていたそうです。
これが神社周辺にあった「さざれ石」です。
その大量の石ころが、粘土・砂などにまじり、長い年月の間に大きな固まりとなりました。
そしてこれが、神社周辺の「さざれ石のいわお」です。
平成15年の秋、境内地拡張の際に発見された「さざれ石」群は、国内最大規模であるらしいです。

巨石「神座(かみくら)」

天孫降臨の際に瓊瓊杵尊(ニニギノミコト)が立ったと伝わる巨石です。
瓊々杵尊は当地を通ったときに、千畳敷の磐石から絶景の大海原をながめて、天照大御神を奉祀して平安を祈念したと伝えられています。
後世、この霊石が在った場所に社を建てて、皇大御神を祭りなさい、と仰ったということです。

日知屋城址

日知屋城は、「日向三城」の一つです。
日南市飫肥に城を構えていた伊東氏と係わりが深く、5代祐国の弟祐邑がこの城で暗殺されたそうです。
また、伊東氏と宿敵島津氏との合戦に際しては、城番の福永氏や日知屋衆が軍勢催促を受けて出陣したそうです。
日知屋城は西側だけが陸とつながっていて、西側から攻められやすい欠点がありました。
そこで、尾根の西側に城兵のこもることができる曲輪(バルコニーみたいなものかと…)を設けていたらしいです。
他にも、敵から攻められにくくするための、堀切(斜面に造る落とし穴みたいな…)の跡地などもあります。
歴史を振り返りながら史跡を眺め、当時を思い浮かべてみてはいかがでしょうか。

龍神の霊(たま)

大御神社、龍神の玉

今から5000年前、縄文時代の人が龍神信仰をしていた古代遺跡にある、水窪の中に龍神の霊(たま・玉)があります。
古代の人々は、岩を渦状に刻み龍をあらわし、水底に生命の源である龍玉を納め、信仰のよりどころにしてきました。
当時の人々は、龍玉を抱え守るような龍神の姿に、後々の世まで続く幸福を願ったと言われています。

鵜戸神社

鵜戸神社から見える昇り龍

大御神社に隣接していて、大御神社の境内から参道へ向かいます。
日知屋城址の脇を通り、海沿いの細い階段を降りると洞窟があります。
洞窟の奥にある神社から、振り返って外を眺めると、洞窟入口付近の形が「昇り龍」のような姿に見えます。
ここは、縄文時代の人々が信仰の対象としていて、龍神信仰の痕跡ではないかと考えられています。
暗い洞窟奥の祠から見上げる白く輝く昇り龍は、何とも言えず神秘的です。
一見の価値ある場所です。

大御神社に隣接する鵜戸神社

大御神社は、見どころもたくさんあるうえに、鵜戸神社と日知屋城址も隣接しており、見ごたえのある神社ですが、
あまり人に知られていないのか、駐車場も結構ガラガラ、参拝客も少なく、ゆっくりと観て周ることができる、穴場スポットです。
宮崎に来たら、ぜひ日向まで足を延ばして、馬が背を見たついでに昇り龍に会いにいらっしゃいませんか。

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