長谷川雅紀さんの母・幸子さんの職業は、北海道札幌市で居酒屋「蓑屋」を営む飲食店経営者です。
2026年2月の本人インタビューでは、母親が一人で店を切り盛りして約20年になることや、常連客が配膳まで手伝う温かな店の様子も語られています。オリコンニュース(ORICON NEWS)
長谷川雅紀の母の職業は居酒屋「蓑屋」の経営者
錦鯉・長谷川雅紀さんの母親の職業は、札幌市内で居酒屋を営む飲食店経営者です。
母親の名前は幸子さんで、店名は「蓑屋(みのや)」。長谷川さん自身がテレビ番組やインタビューで、母親の店について繰り返し語っています。
2026年2月22日に公開されたORICON NEWSのインタビューでは、長谷川さんが「母が営む居酒屋」として蓑屋を紹介し、経営期間についても「もう20年ぐらい」と説明しました。
このため、単に「母親が居酒屋で働いている」ということではなく、長年にわたって自ら店を切り盛りしてきた経営者と見るのが正確です。オリコンニュース(ORICON NEWS)
確認できている情報を整理すると、次のようになります。
項目 確認できている内容
母親の名前 幸子さん
職業 居酒屋経営者
店名 蓑屋
所在地 北海道札幌市
経営期間 2026年時点で約20年
営業の特徴 母親が一人で切り盛りし、常連客も手伝う
過去の仕事 長谷川さんが小学生の頃にラーメン店を経営
なお、店舗を訪ねたい場合でも、営業時間や営業状況は変わる可能性があります。
個人経営のお店であり、母親や常連客の生活の場でもありますから、訪問前には最新情報を確認し、節度を守ることが大切ですよね。
母・幸子さんの居酒屋はどんな店?
長谷川雅紀さんが語ったところによると、母・幸子さんは居酒屋「蓑屋」を基本的に一人で切り盛りしています。
店内にはカウンター席のほか、小上がりもあるそうです。
しかし、高齢になった幸子さんにとって、カウンターから小上がりまで何度も料理や飲み物を運ぶのは簡単ではありません。
そこで活躍するのが、長年お店に通っている常連客です。
長谷川さんは2026年のインタビューで、複数のお客さんが料理を「バケツリレー」のように順番に渡し、小上がりまで運んでくれると話しています。
さらに、常連客がカウンターの中へ入り、自らビールサーバーを操作して、ほかのお客さんへ飲み物を渡すこともあるそうです。オリコンニュース(ORICON NEWS)
普通の飲食店では、お客さんが店員のように働く光景はなかなか見られませんよね。
もちろん、これはサービスを省略しているという意味ではなく、幸子さんと常連客の間に、長い年月をかけて信頼関係が育っているからこそ成立する助け合いなのでしょう。
「店主と客」という境界を越え、店全体が一つの小さな家族のようになっているのかもしれません。
居酒屋は料理やお酒を提供するだけの場所ではありません。
一日の出来事を話したり、顔なじみの無事を確かめたり、誰かの悩みに耳を傾けたりする場所でもあります。
長谷川さんが人懐っこく、初対面の相手にも壁をつくらないのは、こうした人と人との距離が近い環境から受けた影響もあるのではないかしらと感じます。
長谷川雅紀と母親が交わした「テレビで見たよ」の約束
長谷川雅紀さんと母・幸子さんの関係を知るうえで、特に印象深いのが、売れない時代に交わした親子の約束です。
HTB北海道テレビは2011年、当時40歳だった長谷川さんの帰省に密着しました。
長谷川さんはそれ以前にコンビを解散し、ピン芸人として活動していたものの、芸人を続けるべきか迷うほど厳しい状況に置かれていたといいます。
当時暮らしていたのは、築約60年、家賃3万円で雨漏りもするアパートでした。
アルバイトで生活費を稼ぎながら舞台に立っていましたが、全国的な知名度はなく、将来が見通せる状態ではありませんでした。テレビガイド
そんな長谷川さんが母親に伝えたのが、居酒屋のお客さんから「毎週、息子をテレビで見ているよ」と言われるように頑張るので、もう少しだけ芸人を続けさせてほしい、という決意でした。
それに対し、母親は「まさのり出るよ」ではなく、「見たよ」と言われたいという趣旨の言葉を返しています。テレビガイド
このやり取りには、長谷川さん親子の関係がよく表れています。
母親は、根拠もなく「いつか絶対に売れる」と励ましたわけではありません。
一方で「もう芸人を辞めなさい」と夢を閉ざしたわけでもありませんでした。
息子の覚悟を受け止めながら、テレビ出演を予告する段階ではなく、お客さんが実際に見てくれるところまで頑張ってほしいと願ったのでしょう。
厳しさと温かさが同居した、商売人らしい現実的な言葉ですよね。
この親子の約束は、長谷川さんの芸人人生に明確な目標を与えたのではないでしょうか。
単に有名になりたいのではなく、北海道の母親の店で、お客さんたちが自然に息子の活躍を話題にしてくれるような芸人になる。
長谷川さんにとって「テレビに出る」という夢が、故郷や母親と結び付いた瞬間だったと考えられます。
10年後に相方・渡辺隆を連れて母の店へ帰省
2011年の帰省から約10年後、長谷川雅紀さんは相方の渡辺隆さんを連れて、再び札幌へ帰りました。
その様子は、2021年7月21日にHTB北海道テレビで放送された特別番組『帰省なう あれから…』で紹介されています。
2011年当時、長谷川さんは一人で帰省していました。
しかし、その後に渡辺さんと錦鯉を結成し、2020年の「M-1グランプリ」で初めて決勝へ進出。5081組の中から最終的に4位となり、全国の視聴者に名前を知られるようになりました。
2021年の帰省では、長谷川さんと渡辺さんが、幸子さんの営む居酒屋を訪問しています。
HTBの番組紹介では、渡辺さんの様子を、実家へ連れてこられた「嫁」のようだと表現していました。
実際の母親は北海道にいますが、渡辺さんは長谷川さんの生活習慣を細かく注意し、しばしば世話を焼いています。
長谷川さんが渡辺さんを「東京のお母さん」のような存在として語ることがあるのも、二人の関係を象徴していますね。
2011年には、母親の店のお客さんから「テレビで見た」と言われることを目標にしていた長谷川さん。
10年後にはM-1の決勝に進み、全国放送の番組へ出演する芸人となって、相方と一緒に母親の店へ戻りました。テレビガイド
これは単なる里帰りではありません。
売れない時代に交わした約束が、長い年月を経て現実になったことを母親へ報告する帰省だったのでしょう。
番組の取材後、新千歳空港へ向かう車内で「故郷はどんな存在か」と尋ねられた長谷川さんは、しばらく考えた後、突然涙を流したと伝えられています。
普段は大声と明るい笑顔で笑わせている長谷川さんですが、故郷や家族への思いは、それほど簡単な言葉では表せないものだったのかもしれません。
母親の店で起きた2022年の火災と長谷川雅紀の報告
母・幸子さんの居酒屋では、2022年9月10日に火災が発生しました。
長谷川雅紀さんは同日、自身のSNSを通じて「母親の居酒屋が火事になりました」と報告しています。
長谷川さんの説明によると、原因は漏電とされ、母親は無事でした。
ほかにもけが人はいなかったと報告されており、人的被害がなかったことは不幸中の幸いでした。スポーツニッポン
報道では、火災は午前中に発生し、居酒屋の入り口付近や看板、外壁などが焼けたとされています。
当時、店内に人はいなかったため、負傷者は出ませんでした。
長谷川さんが自ら母親の無事を伝えたのは、多くの人から心配する声が寄せられたからでしょう。
M-1優勝後、幸子さんの店は錦鯉ファンにも知られるようになっていました。
それでも、まず明確に伝えられたのは、店の損害ではなく「母親は無事」「ほかにけが人もいない」という点でした。
この言葉からも、長谷川さんが何より人の命と安全を気にかけていたことが分かります。
居酒屋は幸子さんにとって、長年働いてきた大切な場所です。
同時に、常連客が集まり、息子の活躍を一緒に喜んできた地域の居場所でもあります。
その店が火災に遭ったことは、親子だけでなく、長年通ってきた人たちにとっても大きな出来事だったでしょう。
一方、2026年2月のインタビューでも、幸子さんが「蓑屋」を営んでいると紹介されています。
少なくとも同記事の取材時点では、店と常連客との関係が続いていることが確認できます。オリコンニュース(ORICON NEWS)
母親は以前ラーメン店も経営していた
母・幸子さんは、現在の居酒屋だけでなく、長谷川雅紀さんが小学生だった頃にはラーメン店を営んでいたことも明らかになっています。
この事実は、2026年2月の長谷川さんへのインタビューで紹介されました。オリコンニュース(ORICON NEWS)
つまり、幸子さんは長年にわたって飲食業に携わってきたことになります。
ラーメン店と居酒屋では営業時間や提供する料理が異なりますが、どちらも仕込み、調理、接客、仕入れ、売り上げ管理などが欠かせません。
個人経営であれば、店主が複数の役割を担うことも多いでしょう。
ただし、長谷川さんが小学生の頃のラーメン店と、現在の居酒屋「蓑屋」が同じ場所にあったのか、いつ開店・閉店したのかといった詳しい経緯は、公表された情報だけでは分かりません。
確認できない部分を推測でつなげないことも大切です。
それでも、母親が一時的に飲食店で働いていたのではなく、業態を変えながら商売を続けてきたことは注目すべき点でしょう。
長谷川さんも16歳頃からさまざまなアルバイトを経験し、芸人として売れるまで、飲食店の深夜勤務などを長く続けていました。
母親が店を守り、息子も接客の仕事で生活を支えながら、人前に立つ夢を追う。
親子の仕事には、相手の反応を直接受け止めるという共通点がありますよね。
長谷川雅紀の実家は二条市場の珍味店だった
長谷川雅紀さんの家族は、母親がラーメン店や居酒屋を営む以前から、商売と深い関わりを持っていました。
長谷川さんの生家は、札幌市中央区の二条市場にあった、鮮魚類を扱う珍味店だったとされています。
父親は店の2代目でしたが、1979年に閉店。
長谷川さんは父親について、別の事業に手を出した際に騙され、店を失ったという趣旨の説明をしています。
長谷川さんは1971年7月30日生まれですから、1979年当時は小学生でした。
家族は店を閉じた後、札幌市白石区のアパートへ転居しています。
高校入学時には札幌市豊平区の庭付き一戸建てへ移りましたが、その後、再び白石区へ戻りました。
少年時代の流れを簡潔に整理すると、次のようになります。
- 幼少期は札幌市中央区の二条市場付近で生活
- 実家は鮮魚類を扱う珍味店
- 1979年に珍味店が閉店
- 閉店後は札幌市白石区のアパートへ転居
- 高校入学時に札幌市豊平区へ転居
- その後、再び札幌市白石区へ戻る
父親の店が失われた後、母親はラーメン店や居酒屋を営むようになりました。
それぞれの店の正確な時系列には不明な点があるものの、長谷川家が商売の浮き沈みを経験しながら生活をつないできたことは分かります。
父親の事業上の失敗だけを切り取れば、家族にとって苦しい出来事です。
しかし、その後に母親が別の飲食店を営んできた事実に目を向けると、長谷川家には、一度失った後も別の形で生活を立て直す強さがあったのでしょう。
母親はM-1優勝をどう受け止めた?
錦鯉は2020年の「M-1グランプリ」で初めて決勝へ進出し、10組中4位となりました。
この活躍により、母親の店でも「息子をテレビで見た」と話すお客さんが増えたと考えられます。
そして2021年12月19日、錦鯉は「M-1グランプリ2021」で優勝しました。
ファーストラウンドを2位タイで通過し、最終決戦では審査員7人のうち5人から票を獲得。長谷川さんは50歳でM-1王者となりました。
2011年、母親に「お客さんからテレビで見たと言われるまで頑張りたい」と伝えた長谷川さん。
その約10年後には、テレビで見かけるだけでなく、日本を代表する漫才大会の王者となったのです。
長谷川さんが母親に約束したのは、必ずM-1で優勝することではありませんでした。
まずは、母親の店のお客さんに認識してもらえるほどテレビへ出ることでした。
その小さく具体的な目標を一つずつ超えた結果、M-1優勝という大きな成果へつながったのでしょう。
幸子さんにとっては、息子が50歳で優勝したことだけでなく、40歳の頃に交わした言葉を忘れず、芸人を続けてきたこと自体がうれしかったのではないでしょうか。
早く結果を出すことより、約束を投げ出さなかったこと。
そこに長谷川さん親子の物語の温かさがあるように思います。
母親の存在は錦鯉・長谷川雅紀の芸風に影響した?
ここからは、確認できた事実を踏まえた筆者の考察です。
長谷川雅紀さんの代表的なギャグといえば、大きな声で発する「こ~んに~ちは~!!」ですよね。
一見すると、勢いだけで笑わせる単純な挨拶のように見えます。
しかし、錦鯉の漫才を見ていると、長谷川さんの明るさは、自分を立派に見せるためのものではありません。
失敗や老い、生活の苦しさまで隠さず差し出し、観客が安心して笑える形へ変えています。
この姿勢は、母・幸子さんの居酒屋のあり方と重なる部分があります。
幸子さんの店では、高齢の店主を常連客が自然に助けています。
完璧なサービスを一方的に提供するのではなく、できない部分も含めて互いに支え合い、その関係そのものが店の魅力になっているのでしょう。
長谷川さんも、自分の不得意なことや恥ずかしい経験を無理に隠しません。
相方の渡辺隆さんから注意される姿も、漫才やバラエティー番組の笑いに変えています。
私は、長谷川さんの愛される芸風の土台には、欠点を隠して格好をつけるより、人に助けてもらいながら明るく場をつくるという、母親の店に通じる感覚があるのではないかと考えます。
また、居酒屋の店主と芸人には、お客さんの反応がその場で返ってくるという共通点があります。
料理がおいしければ表情が緩み、会話が楽しければ店内が明るくなる。
漫才も同じで、言葉や動きが届けば笑い声が返り、届かなければ静けさが残ります。
長谷川さんは長い下積みの中で、目の前の数人を笑わせる舞台にも立ち続けました。
母親もまた、毎日店を開け、一人ひとりのお客さんを迎え続けてきました。
一度の大成功より、目の前の人に向き合う日々を重ねる。
その商売人としての姿勢を、長谷川さんは言葉による教えではなく、母親の働く背中から受け取った可能性があります。
もちろん、長谷川さん本人が「母親の居酒屋経営が自分の芸風をつくった」と明言した事実は確認できません。
したがって、ここはあくまで筆者の考察です。
ただ、母親の店のお客さんに「テレビで見た」と言ってもらうことを目標に芸人を続けた事実からも、幸子さんの店が長谷川さんにとって単なる実家ではなく、夢の到達度を確かめる大切な場所だったことは間違いないでしょう。
まとめ
長谷川雅紀さんの母親の職業は、北海道札幌市で居酒屋「蓑屋」を営む飲食店経営者です。
母親の名前は幸子さんで、2026年2月の本人インタビューによると、居酒屋の経営は約20年。基本的に一人で店を切り盛りしていますが、料理の配膳やビールの提供を常連客が手伝うこともあります。オリコンニュース(ORICON NEWS)
幸子さんは、長谷川さんが小学生だった頃にはラーメン店も営んでいました。
さらに長谷川家の生家は、札幌市中央区の二条市場にあった珍味店で、家族は長年にわたって飲食や商売と関わってきたことが分かります。
売れない時代の長谷川さんは、母親の店のお客さんから「テレビで見た」と言われるようになるまで芸人を続けたいと伝えました。
約10年後、錦鯉としてM-1決勝へ進出した長谷川さんは、相方の渡辺隆さんと母親の店へ帰省。さらに2021年には、50歳で「M-1グランプリ2021」の優勝を果たしました。
母親が一人で店を守り、常連客との関係を育ててきた約20年。
長谷川さんがアルバイトを続けながら舞台に立ち、芸人として花を咲かせるまでの長い年月。
親子に共通しているのは、すぐに結果が出ない日にも、目の前の人を大切にしながら仕事を続ける強さなのではないでしょうか。
よくある質問
長谷川雅紀の母親の職業は何ですか?
母・幸子さんは、北海道札幌市で居酒屋「蓑屋」を営む飲食店経営者です。2026年時点で、経営期間は約20年と長谷川さん本人が語っています。
長谷川雅紀の母親は現在も居酒屋を経営していますか?
2026年2月に公開された長谷川さんのインタビューでは、母・幸子さんが居酒屋「蓑屋」を営んでいると紹介されています。ただし、営業時間などの営業情報は変わる可能性があるため、最新状況の確認が必要です。
長谷川雅紀と母親にはどんなエピソードがありますか?
売れない時代の長谷川さんは、母親の店のお客さんから「テレビで見た」と言われるまで芸人を続けたいと伝えました。その約10年後、M-1決勝進出を果たし、相方の渡辺隆さんと母親の店を訪れています。
春野滋(エンタメ&スポーツ愛好家ライター)

コメント