長谷川雅紀さんの相方は、錦鯉のツッコミ担当・渡辺隆さんです。渡辺さんからの誘いで2012年4月1日に結成し、苦節を重ねて2021年のM-1グランプリ王者となりました。
長谷川雅紀さんといえば、大きな声で「こ~んに~ちは~!!」とあいさつする、明るくて親しみやすい芸人さんですよね。
その隣で冷静にツッコミを入れ、長谷川さんの予測不能な面白さを引き出しているのが、7歳年下の相方・渡辺隆さんです。
今では息の合った名コンビに見えるお二人ですが、コンビ結成前には、それぞれ別の相方との解散やピン芸人時代を経験していました。
特に長谷川さんは前のコンビが解散したあと、芸人を辞めることまで考えていたといいます。そんな状況にあった長谷川さんへ手を差し伸べたのが、渡辺さんでした。
この記事では、「長谷川雅紀さんの相方はどんな人なのか」「なぜ二人は錦鯉を結成したのか」という疑問に、結成までの経緯や役割分担、M-1優勝に至る歩みを交えて分かりやすくお伝えします。
長谷川雅紀の相方は錦鯉の渡辺隆
長谷川雅紀さんの現在の相方は、お笑いコンビ「錦鯉」の渡辺隆さんです。
錦鯉は、ソニー・ミュージックアーティスツの「SMA NEET Project」と漫才協会に所属するお笑いコンビで、2012年4月1日に結成されました。
二人の基本的な役割は、次のようになっています。
- 長谷川雅紀さん:ボケ担当、立ち位置は向かって左
- 渡辺隆さん:ツッコミ担当、立ち位置は向かって右
- 結成年:2012年
- 所属事務所:ソニー・ミュージックアーティスツ
- 主な芸種:漫才、コント
- 主な実績:M-1グランプリ2021優勝
長谷川さんは1971年7月30日生まれで、北海道札幌市出身です。
一方の渡辺さんは1978年4月15日生まれで、東京都江戸川区出身。年齢は長谷川さんより7歳下ですが、漫才では落ち着いた表情で長谷川さんをたしなめる役を担っています。
見た目の印象も対照的です。
長谷川さんは白いスーツに黒いシャツ、渡辺さんは紺色のスーツを着ることが多く、舞台に並んだ瞬間から二人の違いが伝わります。
長谷川さんが全身を使って大きくボケる一方、渡辺さんは表情や短い言葉で鋭く返します。この「動の長谷川」と「静の渡辺」という組み合わせこそ、錦鯉の漫才を分かりやすくしている大きな特徴でしょう。
個人的には、渡辺さんは単にボケを否定するツッコミ役ではなく、長谷川さんの面白さを観客へ翻訳する案内役のように感じます。
長谷川さんの発言がどれほど突拍子もないものなのかを、渡辺さんの冷静な反応が教えてくれるからです。
渡辺隆はどんな相方?元ボケ担当のツッコミ芸人
長谷川雅紀さんの相方・渡辺隆さんは、NSC東京校5期出身の芸人です。
小学生の頃にフジテレビ系の番組『夢で逢えたら』を見てダウンタウンに衝撃を受け、中学校へ進学する前には芸人を志すようになったとされています。
高校時代は日本大学第一高等学校のアメリカンフットボール部に所属し、ランニングバックを担当していました。
現在の落ち着いた立ち姿からは意外に感じる方もいるかもしれませんが、スポーツ経験のある芸人さんなのですね。
渡辺さんは錦鯉を結成する前、複数のコンビで活動していました。
2000年から2004年までは、高校の同級生だった江波戸邦昌さんと「ガスマスク」を結成。その後、2004年から2008年までは、小田祐一郎さんと「桜前線」として活動しています。
興味深いのは、桜前線時代の渡辺さんが現在とは異なり、ボケを担当していたことです。
自らボケを経験したからこそ、相方が何をしようとしているのか、どのタイミングで言葉を挟めば魅力が伝わるのかを敏感に察知できるのではないでしょうか。
コンビ解散後は、ピン芸人として活動しました。
また、錦鯉が売れる前には、事務所の先輩であるハリウッドザコシショウさんの単独ライブで作家を務めた経験もあります。バイきんぐなどのネタを時給制で考える、作家のようなアルバイトもしていたそうです。
渡辺さんは表舞台に立つだけでなく、笑いを構造的に考える経験を積んできたことになります。
長谷川さんの自由な発言を生かしながら、漫才として成立させられるのは、こうした積み重ねがあったからなのでしょう。
事務所の後輩であるアキラ100%さんの芸名を考案したことでも知られています。
短く覚えやすく、本人の芸風まで想像できる名前を考えた点からも、渡辺さんの言葉選びのうまさがうかがえますよね。
長谷川雅紀と渡辺隆はなぜコンビを結成した?
長谷川雅紀さんと渡辺隆さんが錦鯉を結成したのは、2012年4月1日です。
二人はもともと、それぞれ吉本興業の別の拠点で芸人活動を始めていました。
長谷川さんは札幌吉本の1期生で、タカアンドトシと同期です。渡辺さんはNSC東京校5期生として東京吉本から芸人の道へ進みました。
出身地も所属した養成機関も違い、最初から一緒に活動していたわけではありません。
その後、二人とも吉本興業を離れ、以前のコンビの解散を経験します。そして、同じSMA NEET Projectに所属するピン芸人として出会いました。
当時の二人は、芸人仲間と一緒に飲みに行く間柄だったそうです。
そこで、長谷川さんを相方に誘ったのが渡辺さんでした。
長谷川さんは前のコンビ「マッサジル」が2011年に解散したあと、「のりのりまさのり」という名前でピン芸人として活動していました。
しかし、長い下積み生活を送るなかで、芸人を引退することまで考えていたといいます。
そんな長谷川さんに対し、自分より7歳年下の渡辺さんがコンビ結成を持ちかけました。
長谷川さんはその誘いに感激し、快諾したそうです。
このエピソードを知ると、渡辺さんの誘いは単なるメンバー募集ではなかったことが分かります。
長谷川さんにとっては、もう一度芸人として舞台に立ち続けるための、大きな転機だったのではないでしょうか。
渡辺さんが当時から現在の成功を具体的に予想していたわけではないでしょう。それでも、長谷川さんのなかに、ほかの芸人にはない面白さを感じ取っていたからこそ声をかけたはずです。
相方選びは、完成された人を探すことではありません。
まだ広く知られていない魅力を見つけ、それを信じて一緒に育てていくことでもあるのだと、お二人の結成秘話から感じます。
コンビ名「錦鯉」はテレビニュースから生まれた
現在では広く知られている「錦鯉」というコンビ名ですが、最初から時間をかけて考えられた名前ではありませんでした。
結成直後、まだコンビ名が決まっていなかった頃、出演予定のイベントスタッフから渡辺隆さんへ電話がかかってきたそうです。
スタッフは、ポスターに掲載するため、すぐにコンビ名を決めてほしいと求めました。
そのとき、テレビでは外国人富裕層が錦鯉を大量に購入するという内容のニュースが流れていました。
渡辺さんは、その映像を見て「錦鯉」という名前を選んだとされています。
かなり即興的な決め方ですが、今振り返ると不思議なくらい二人に合った名前ですよね。
錦鯉は、若い魚の頃から完成した美しさを持っているわけではありません。長い年月をかけて育ち、模様や存在感が際立っていきます。
これはあくまで筆者の受け止め方ですが、長い下積みを経て50代と40代で全国的な人気を得た二人の歩みと、どこか重なって見えます。
また、「錦鯉」は漢字二文字で覚えやすく、見た目にも華やかです。
テレビ番組表や賞レースの出場者一覧に並んだときにも目を引くため、結果として非常に強いコンビ名になりました。
偶然目にしたニュースから付けられた名前が、後にM-1王者の名前として全国へ広がったのですから、人生はどこで何がつながるか分からないものですね。
長谷川雅紀の個性を相方・渡辺隆はどう引き出した?
錦鯉は結成直後から、現在のような漫才で高い評価を得ていたわけではありません。
当初は、長谷川雅紀さんの素のキャラクターを前面に出さず、隠すような形で漫才をしていました。しかし、思うように笑いを取れない時期が続いたといいます。
転機となったのは、事務所の先輩であるハリウッドザコシショウさんの助言でした。
ザコシショウさんは、長谷川さんの「バカな部分」をもっと前面に出したほうがよいとアドバイスしました。
そこで、ある日のライブで長谷川さんの素の面白さを出してみたところ、大きな笑いが起きたそうです。
以降、錦鯉は長谷川さんの予測不能な言動を隠すのではなく、コンビ最大の武器として生かすようになりました。
漫才冒頭の「こ~んに~ちは~!!」という大声のあいさつも、最初から長谷川さんの強烈なキャラクターを見せるために始めたものです。
そのあいさつに対し、渡辺さんが「うるせぇよ」「こんばんはだよ」などと返すことで、登場から短時間で二人の関係性が観客へ伝わります。
このつかみが優れているのは、初めて錦鯉を見る人にも役割が分かる点です。
大声で突っ走る長谷川さんと、それを冷静に止める渡辺さん。わずかなやり取りだけで、漫才を見るための準備が整うのですね。
長谷川さんは、渡辺さんについて、以前はネタの内容にツッコんでいたものの、次第に自分のキャラクターそのものへツッコむようになったと説明しています。
これは錦鯉の漫才が、設定中心の笑いから、人物そのものを楽しむ笑いへ変化したことを意味します。
渡辺さんは長谷川さんを「突き抜けた馬鹿」と評し、コンビを組んでから本当に予想以上の人物だったと分かった趣旨の発言もしています。
ただし、これは相方を見下しているのではありません。
渡辺さんは長谷川さんの生活面も気にかけ、鼻をすすり続けることや、爪を切らないこと、服をなかなか替えないことなどを注意してきたそうです。
長谷川さんが渡辺さんを「東京のお母さん」と表現しているのも、舞台上だけではない信頼関係があるからでしょう。
相方とは、仕事のパートナーであると同時に、本人が気づかない欠点まで伝えてくれる存在でもあります。
耳の痛いことを言いながら、長谷川さんを見放さずに支えてきた渡辺さんの姿勢には、面倒見のよさが表れています。
錦鯉の漫才は二人でどう作っている?
錦鯉のネタは、基本的に長谷川雅紀さんと渡辺隆さんの二人で作っています。
ただし、一般的な漫才のように、最初から最後まで細かいセリフを書いた台本を用意し、そのとおりに何度も練習する形とは少し異なります。
錦鯉は、長谷川さんが自由にふざけ、渡辺さんがその場でツッコミを入れていくアドリブ性の高い漫才を軸としています。
かつては台本を書いていた時期もありましたが、その後は流れを示すキーワードを箇条書きにしたものが、台本の代わりになったそうです。
渡辺さんが長谷川さんへ突然質問を投げかけ、その返答が面白ければネタに採用するという作り方も行っています。
これは、渡辺さんが長谷川さんの瞬発力を信頼しているからこそできる方法です。
普通なら、相方が何を言うか分からない状態は不安でしょう。
しかし渡辺さんは、想定外の答えが返ってくること自体を錦鯉の魅力と捉え、その言葉を受け止める最適なツッコミを舞台ごとに探っています。
長谷川さんは、漫才の流れやタイミングを覚えるため、一人で練習することが多いとされています。
二人で何度もセリフを固定してしまうと、長谷川さん本来の自然な面白さが薄れてしまうのかもしれません。
そこで大きな道筋だけを共有し、細かな反応は舞台上で生まれるものを生かす。これは一見すると自由ですが、互いの力量と信頼がなければ成立しない方法です。
私は、錦鯉の漫才は「長谷川さんが自由に暴れる芸」に見えて、実際には渡辺さんが見えない柵を作っているのだと考えます。
どこまで自由にさせれば笑いになり、どこで止めれば観客が置いていかれないのか。その境界を渡辺さんが丁寧に見極めているからこそ、長谷川さんは安心して予測不能なボケを繰り出せるのでしょう。
M-1優勝までの歩みは?結成9年でつかんだ頂点
錦鯉は2012年に結成しましたが、すぐに全国的な人気コンビになったわけではありません。
M-1グランプリでは、2016年に初めて準決勝へ進出しました。
その後の2017年と2018年は準々決勝で敗退しましたが、2019年に再び準決勝へ進出。そして2020年、ついに初の決勝進出を果たします。
2020年の決勝では、長谷川さんが49歳、渡辺さんが42歳でした。
当時のファイナリスト最年長記録を更新し、最終順位は10組中4位。優勝には届かなかったものの、この決勝進出をきっかけにテレビ出演が急増しました。
長谷川さんの年齢や長い芸歴、数多くのアルバイト経験から生まれた自虐的なエピソードも注目されます。
それでも二人は、M-1決勝後もアルバイト先に籍を残していました。
長年、芸人の収入だけでは生活が安定しなかったため、決勝進出だけで将来を楽観できなかったのでしょう。華やかな舞台の裏に、現実的な不安が残っていたことが分かります。
そして2021年12月19日、二人は2年連続でM-1グランプリ決勝の舞台に立ちました。
ファーストラウンドでは655点を獲得し、オズワルドに次ぐ2位タイで最終決戦へ進出します。
最終決戦では審査員から5票を獲得し、見事に優勝。錦鯉はM-1グランプリ第17代王者となりました。
長谷川さんは、M-1史上初の50代ファイナリストとなっただけでなく、史上最年長王者にもなりました。
また、非吉本所属のお笑いコンビの優勝は、2007年のサンドウィッチマン以来、10大会・14年ぶりの快挙でした。
二人が優勝したのは、コンビ結成10年目にあたる年です。
それぞれが芸人として歩んできた年月まで考えれば、長谷川さんにとっても渡辺さんにとっても、非常に長い道のりでした。
M-1優勝後、2022年のテレビ番組出演数は前年の214本から403本へ増加し、ニホンモニターの「2022ブレイクタレント」では第2位に入りました。
コンビ結成のきっかけとなった渡辺さんの誘いが、約10年後に日本一の漫才師という結果へつながったのです。
長谷川雅紀と相方・渡辺隆が長く続く理由を考察
ここからは、確認できる経歴を踏まえた筆者の考察です。
長谷川雅紀さんと渡辺隆さんが長くコンビを続けられた理由の一つは、互いに苦しい時期を知っていることだと考えます。
二人とも、別のコンビの解散やピン芸人時代を経験しました。
若い頃から順調に賞レースを勝ち上がったわけではなく、アルバイトをしながら舞台に立ち続けています。
華やかな成功だけを共有する関係ではなく、仕事が少ない時期や将来が見えない不安も共有してきました。
だからこそ、どちらかが少し注目されたとしても、簡単に関係が崩れなかったのではないでしょうか。
二つ目は、役割が明確でありながら、上下関係だけでは成り立っていないことです。
年齢は長谷川さんが7歳上ですが、コンビ結成を誘ったのは渡辺さんでした。
漫才でも、年下の渡辺さんが長谷川さんへ強い言葉でツッコむことがあります。一方で渡辺さんは「雅紀さん」と呼び、年長者への敬意も残しています。
長谷川さんも、生活面まで注意してくれる渡辺さんを「東京のお母さん」と受け止めています。
年齢だけで遠慮しすぎず、芸人として必要なことを率直に言い合える関係なのでしょう。
三つ目は、渡辺さんが長谷川さんを作り替えようとせず、本人の特徴を生かす方向へ進んだことです。
長谷川さんは、一般的な意味で器用に振る舞うタイプではないのかもしれません。
しかし、長谷川さんの大声、純粋さ、言い間違いや予想外の反応は、ほかの芸人が簡単にまねできるものではありません。
渡辺さんはそれを欠点として消すのではなく、漫才の中心に置きました。
これは、相方を自分の理想に合わせるのではなく、相手にしかない魅力を理解した選択です。
さらに、渡辺さん自身が元ボケ担当であり、ネタ作りやライブ作家の経験を持っていたことも大きかったと考えられます。
ボケる側の感覚を理解しつつ、全体を冷静に見られるため、長谷川さんの自由さを壊さずに漫才へまとめられたのでしょう。
長谷川さんの存在感ばかりに目が向きがちですが、錦鯉の笑いは渡辺さんの観察力があってこそ成立しています。
そして渡辺さんの落ち着いたツッコミも、長谷川さんの強烈なボケがあるからこそ、より面白く見えます。
片方だけでは完成しない、まさに相互補完の関係ですよね。
長谷川雅紀の相方は渡辺隆|結成秘話から見える信頼
長谷川雅紀さんの相方は、錦鯉のツッコミ担当・渡辺隆さんです。
二人はそれぞれ別のコンビで活動し、解散やピン芸人時代を経験したあと、同じSMA NEET Projectで出会いました。
2012年4月1日、芸人引退を考えていた長谷川さんに対し、7歳年下の渡辺さんがコンビ結成を持ちかけたことから、錦鯉の歴史が始まります。
当初は長谷川さんの個性を隠していましたが、ハリウッドザコシショウさんの助言をきっかけに、素のキャラクターを前面に出す漫才へ転換しました。
渡辺さんは、長谷川さんの自由なボケを冷静なツッコミで整理し、本人にしかない面白さを引き出してきました。
2016年のM-1準決勝進出、2020年の初決勝と4位、そして2021年12月19日の優勝。二人は結成から約10年をかけて、M-1王者の座をつかみました。
渡辺さんが声をかけなければ、長谷川さんは芸人を辞めていた可能性もあります。
一方で、長谷川さんという唯一無二の相方に出会わなければ、渡辺さんの冷静で愛情のあるツッコミも、現在の形にはならなかったでしょう。
偶然同じ事務所に所属し、一緒に飲む仲になり、一人がもう一人の才能を信じて声をかけた。その小さな決断が、やがて多くの人を笑顔にする漫才へ育ちました。
錦鯉というコンビの魅力は、遅咲きの成功だけではありません。
相手の不完全さを否定せず、それを誰にもまねできない強みへ変えてきた二人の信頼関係にこそ、長く愛される理由があるのではないでしょうか。
よくある質問
長谷川雅紀さんの相方の名前は何ですか?
長谷川雅紀さんの相方は、渡辺隆さんです。お笑いコンビ「錦鯉」で、長谷川さんがボケ、渡辺さんがツッコミを担当しています。
長谷川雅紀さんと渡辺隆さんはいつ錦鯉を結成しましたか?
二人が錦鯉を結成したのは、2012年4月1日です。同じSMA NEET Projectのピン芸人として交流していた二人において、渡辺さんから長谷川さんを誘いました。
錦鯉はいつM-1グランプリで優勝しましたか?
錦鯉は2021年12月19日に行われたM-1グランプリ2021で優勝しました。長谷川さんは50歳で、M-1史上最年長王者となりました。
春野滋(エンタメ&スポーツ愛好家ライター)

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