鵜澤飛羽の学歴まとめ!高校・大学での陸上成績を調査

鵜澤飛羽選手の学歴は、宮城県築館高校から筑波大学体育専門学群。高校で陸上を始め、大学在学中に五輪準決勝まで進みました。

高校2年でインターハイ100m・200mの2冠、筑波大学では日本インカレ優勝、日本選手権連覇、アジア選手権優勝を経験。2024年のパリオリンピックでは男子200mの準決勝に進出しています。

「鵜澤飛羽選手はどこの高校・大学を卒業したの?」「学生時代からそんなに速かったの?」と気になった方も多いですよね。

まず、確認できる学歴と主な競技歴を整理すると次のようになります。

時期 学歴・所属 主な出来事
高校時代 宮城県築館高等学校 高校から陸上を始め、2019年インターハイ100m・200mで優勝
2021年度〜2024年度 筑波大学 体育専門学群 日本インカレ200m優勝、日本選手権200m連覇、世界選手権・パリ五輪出場
2025年4月1日〜 日本航空株式会社(JAL) アスリート社員として競技を継続

日本陸上競技連盟の選手プロフィールでも、出身校は「築館高(宮城)→筑波大学」と紹介されています。

2025年4月からはJALに所属し、男子200mの自己ベストは2025年8月に福井で記録した20秒11です。

学校名だけを見ると「築館高校から筑波大学」というシンプルな学歴ですが、鵜澤選手の歩みで興味深いのはその中身です。

中学生までは野球少年で、高校になってから陸上競技を始めたにもかかわらず、高校2年で全国2冠。そして筑波大学在学中には日本代表となり、世界選手権とオリンピックの準決勝まで進みました。

今回は、そんな鵜澤飛羽選手の高校・大学の学歴と学生時代の陸上成績を、時系列に沿って詳しく見ていきます。

鵜澤飛羽の高校は築館高校!なぜ高校から陸上を始めた?

鵜澤飛羽選手の出身高校は、宮城県築館高等学校です。

そして学歴を調べていて何より驚かされるのが、鵜澤選手は幼少期から陸上一筋で育ったスプリンターではないということです。

JALの公式プロフィールによると、鵜澤選手は中学校まで野球に取り組んでいました

ところが肘を痛めたことで野球を引退。その後、走力を見込まれて陸上競技の大会に出場したことが、競技を始めるきっかけになったと紹介されています。

つまり、最初から「将来は200mでオリンピックへ」と考えて歩んできた選手ではなかったのですね。

甲子園を夢見る野球少年だった鵜澤選手にとって、肘の故障は大きな進路変更だったでしょう。

けれど、そこで見つかった「走る才能」が、その後の人生を大きく動かしました。

一つの競技を続けられなくなったことが、別の競技との出会いにつながる。スポーツを見ていると時折こうした選手がいますが、鵜澤選手ほど短期間で世界レベルへ到達した例は、とても印象的ですよね。

高校2年の2019年にインターハイ100m・200mで2冠

築館高校時代を代表する実績が、2019年の沖縄インターハイでの100m・200mの2冠です。

当時、鵜澤選手はまだ高校2年生でした。

日本陸連は2019年に鵜澤選手をダイヤモンドアスリートとして紹介した際、男子では28年ぶりとなる「2年生によるショートスプリント2冠」だったと説明しています。

高校から本格的に陸上競技を始めた選手が、わずかな期間で全国高校総体の100mと200mを両方制したのですから、本当に目を見張る成長ですよね。

100mと200mは、どちらも短距離ですが同じ能力だけで勝てる種目ではありません。

100mではスタートから素早く加速して最高速度へ乗る力が重要です。一方の200mでは、カーブを走りながらスピードを作り、ホームストレートに入ってからもできるだけ速度を落とさない技術が求められます。

その両方で高校日本一になったことからも、当時から鵜澤選手が高いスピード能力と適応力を備えていたことが分かります。

2019年当時、日本陸連が紹介していた自己記録は100mが10秒45、200mが20秒83でした。

しかも活躍はインターハイだけではありません。

同年のU20日本選手権でも100mと200mを制しており、高校生の大会だけではなく、20歳未満のカテゴリーでもトップに立っています。

ここは、鵜澤選手の高校時代を評価するうえで大切なポイントだと私は思います。

一度だけ偶然大きな大会で勝ったわけではなく、2019年というシーズンを通して100mと200mの両方で全国トップクラスの結果を残していたからです。

高校2年にして、すでに「将来の日本代表候補」として注目されるだけの成績を積み上げていました。

高校から陸上を始めても急成長できたのはなぜ?

では、なぜ競技開始が比較的遅かった鵜澤選手が、ここまで急速に成長できたのでしょうか。

本人へのインタビューなどを追っていくと、一つの特徴として見えてくるのが、自分の動きを自分で観察し、考える姿勢です。

鵜澤選手は世界のトップ選手の走りを見たり、自分自身が走ったときの感覚を確かめたりしながら、良い動きを再現することを大切にしてきました。

一度うまく走れたとしても、「今日は調子が良かった」で終わらせない。

「なぜこの一本は良かったのか」「どうすれば同じ動きをもう一度できるのか」と考えるわけですね。

これは経験年数が短かった鵜澤選手にとって、とても重要だったのではないかと私は感じます。

競技歴の長い選手は、小学生や中学生のころから何千本、何万本と走る中で、身体の中にさまざまな感覚を蓄積しています。

高校から始めた鵜澤選手には、その年月そのものを一気に埋めることはできません。

だからこそ「ただ走る」のではなく、一本一本から情報を拾って次の走りへつなげることが、経験差を縮める方法になったのではないでしょうか。

高校2年でのインターハイ2冠を見ると、持って生まれたスピードだけでなく、こうした探究型の競技姿勢が早くから形になっていたように思えます。

※画像はAIによるイメージ

鵜澤飛羽は筑波大学体育専門学群へ!大学時代の成績は?

築館高校を卒業した鵜澤飛羽選手は、筑波大学へ進学し、体育専門学群に在籍しました。

「筑波大学」という学校名までは知っていても、「何学部だったの?」と気になって検索した方もいらっしゃるでしょう。

筑波大学では一般的な大学の「学部」に相当する教育組織として「学群」という名称が使われており、鵜澤選手が在籍したのは体育専門学群です。

筑波大学が2022年に競技成績を紹介した際にも、鵜澤選手は体育専門学群の学生として掲載されています。

そして大学時代は、高校時代以上に大きな飛躍を遂げました。

全国トップの高校生から、学生日本一へ。

そこから日本選手権王者、アジア王者、そして世界大会の準決勝を走る日本代表へと、一段ずつステージを上げています。

大学2年の2022年に日本インカレ200m優勝

筑波大学2年だった2022年、鵜澤選手は日本インカレの男子200mで優勝しました。

日本インカレの正式名称は「日本学生陸上競技対校選手権大会」。

全国の大学陸上選手が集まり、学生日本一を争う大舞台です。

高校時代にインターハイを制した鵜澤選手が、大学カテゴリーでも全国タイトルを獲得したことになります。

実は大学進学後、鵜澤選手はすべてが順調だったわけではありません。

右脚を痛めた時期もあり、大学での競技生活には故障と向き合う時間もありました。

高校2年で一気に全国トップまで駆け上がった姿だけを見ると、一直線に成長したように感じますよね。

けれど実際には、故障を経験しながら身体を立て直し、そのうえで学生日本一になっています。

私はここに、高校時代とはまた違った意味での成長を感じます。

短期間で伸びた選手ほど、思うように走れない時期を経験したときにどう立て直すかが大切になります。

鵜澤選手の筑波大学時代は、単なる「記録更新の4年間」ではなく、身体と相談しながら競技を組み立て直すことを覚えた時期でもあったのでしょう。

大学3年の2023年に日本選手権200m初優勝

大学3年だった2023年は、鵜澤飛羽選手が国内トップから世界へ一気に飛び出した一年でした。

まず男子200mで日本選手権初優勝

その後、タイ・バンコクで行われたアジア選手権でも200mを制し、20秒23の自己ベストを記録しました。

日本陸連も2024年の日本選手権を前に、鵜澤選手について、前年に日本選手権を初制覇した後、バンコクのアジア選手権を20秒23で優勝したと振り返っています。

高校2年だった2019年時点の200m自己記録は20秒83でした。

そこから大学3年で20秒23。

単純な数字の比較では0秒60縮めています。

短距離競技をご覧にならない方には「0秒60?」と思われるかもしれませんが、200mのトップレベルでは大きな差です。

しかも、大学時代の成長は単に筋力が増した、最高速度が上がったということだけでは説明できません。

200mでは、カーブをどのような姿勢で走るか、どこで加速するか、直線へどうつなげるか、後半でどれほど速度低下を抑えられるかといった「レースの組み立て」が非常に重要です。

鵜澤選手は大学時代を通して、200mを自分の専門種目として深く掘り下げていきました。

高校時代には100mと200mの両方で全国タイトルを取った選手でしたが、大学では特に200mで世界を目指す選手として輪郭がはっきりしていきます。

私は、ここが筑波大学時代の大きな意味だったと感じています。

「速い短距離選手」から「世界で戦う200mランナー」へ変わった4年間だったのですね。


筑波大学在学中に世界選手権とパリ五輪へ!成績は?

筑波大学時代の鵜澤飛羽選手は、国内学生大会だけでなく、世界最高峰の舞台まで経験しました。

大学3年だった2023年にブダペスト世界選手権、大学4年だった2024年にはパリオリンピックに出場。

そしてどちらの大会でも男子200mの準決勝まで進んでいます。

高校から陸上を始めた選手が、大学在学中に世界選手権とオリンピックの両方でセミファイナリストになったのですから、その成長速度には改めて驚かされます。

2023年ブダペスト世界選手権で準決勝進出

2023年のブダペスト世界選手権は、鵜澤選手にとって初めての世界選手権でした。

男子200m予選では20秒34を記録して1着で通過。

初出場ながら堂々と準決勝へ進みました。

準決勝では20秒33を記録して5着。決勝進出には届きませんでしたが、予選よりタイムを縮めています。

このレースは、鵜澤選手にとって「日本で勝つための速さ」と「世界で決勝へ進むための速さ」の違いを肌で感じる機会になったのでしょう。

世界の200mでは、前半から非常に高い速度に乗りながら、そのスピードを後半まで維持する選手たちが並びます。

国内で日本選手権を勝ち、アジア選手権まで制した鵜澤選手であっても、世界選手権の準決勝ではさらに高い基準を突きつけられました。

しかし、私はここにも鵜澤選手らしさが表れていると思います。

これまでの鵜澤選手は、うまくいったときも、うまくいかなかったときも「なぜそうなったのか」を考えながら成長してきました。

高校では自分のフォームを確かめ、大学では200mの走りを突き詰め、今度は世界で直接感じた差を次の課題にする。

大会の格が上がるたびに、自分を測る物差しも更新しているのですね。

大学4年の2024年にパリオリンピック200m準決勝へ

2024年、筑波大学4年の鵜澤選手は日本選手権200mで優勝し、2連覇を達成しました。

そして日本代表としてパリオリンピックへ出場します。

パリ五輪の男子200m予選では、20秒33(追い風0.1m)で組3着

着順で準決勝進出を決めました。

準決勝では20秒54で6着となり、惜しくも決勝進出はなりませんでした。

ここは元の記事で数字が混同されやすい部分なので、はっきり整理しておきたいところです。

パリオリンピックでの鵜澤選手の記録は、

  • 予選:20秒33、組3着で準決勝進出
  • 準決勝:20秒54、組6着で敗退

という結果でした。

前年のブダペスト世界選手権でも準決勝まで進んでいますから、大学3年、4年と2年続けて世界大会の200m準決勝を経験したことになります。

もちろん本人が目指していた決勝には届きませんでした。

それでも、大学生のうちに世界選手権とオリンピックの両方で準決勝を走った経験は、その後の競技人生を考えると非常に大きな財産でしょう。

高校時代には「全国で勝てるか」が基準だった選手が、大学卒業を前に「世界大会で決勝へ行けるか」を考える選手になっている。

学歴と競技歴を重ねて見ると、筑波大学の4年間で競技の基準そのものが大きく変化したことが分かります。


鵜澤飛羽の筑波大学の卒論は「お菓子と競技成績」だった?

鵜澤飛羽選手の筑波大学時代には、競技成績とは少し違った面白いエピソードがあります。

それが、卒業論文で「お菓子を食べることと競技成績との関係」をテーマに調べていたことです。

東京都スポーツ推進本部の「TOKYO FORWARD 2025」のインタビューで、鵜澤選手本人が卒論について語っています。

内容は、お菓子を食べる人と食べない人で競技成績に違いがあるのか、さらに競技種目による違いがあるのかを調べるというもの。

トップスプリンターの卒業論文と聞けば、筋力トレーニングや走行フォームの研究を想像してしまいますから、ちょっと意外ですよね。

このテーマには、鵜澤選手自身の体験が関係していました。

高校時代にはお菓子を控えていた一方、大学ではグミなどを食べるようになったものの、競技成績そのものは伸びていったそうです。

そこで「一般的には避けたほうがよいと思われていることと、競技成績には本当に単純な関係があるのだろうか」という疑問が生まれたわけですね。

もちろん、これは「お菓子を食べるほど足が速くなる」という意味ではありません。

食事や睡眠、練習、体調管理など多くの要素が競技パフォーマンスに関係するため、一つの食品だけで成績を説明することはできません。

私が興味深いと思ったのは、研究結果そのもの以上に「自分の実体験から疑問を見つけた」という点です。

高校時代には「今の走りはなぜ良かったのだろう」。

大学では「自分はお菓子を食べるようになったのに、なぜ記録は伸びたのだろう」。

対象はフォームと食生活でまったく違いますが、思考の出発点はよく似ています。

何となく世間で言われていることをそのまま受け取るのではなく、自分自身の経験と照らし合わせて「本当にそうなの?」と考える。

体育専門学群での学びと、鵜澤選手自身がもともと持っていた探究心がうまく重なったエピソードに見えます。


鵜澤飛羽の学歴と記録から何が分かる?成長の理由を考察

ここからは築館高校、筑波大学での歩みを踏まえ、鵜澤飛羽選手の成長について筆者なりに考えてみます。

私が最も注目したいのは、鵜澤選手が「競技を早く始めた選手」ではなく、「始めてから自分をアップデートする能力が高かった選手」だという点です。

中学校までは野球。

高校で陸上競技へ転向し、高校2年でインターハイ100m・200mの2冠。

大学2年で日本インカレ200m優勝。

大学3年で日本選手権とアジア選手権を制し、ブダペスト世界選手権準決勝へ。

大学4年には日本選手権を連覇し、パリオリンピック準決勝へ進みました。

こうして並べると、毎年のように「次の階段」へ上がっていることに気づきます。

ただし、この経歴を「才能があったから」で片づけるのは少しもったいないと思うのです。

高校時代の200m自己記録は、2019年時点で20秒83。

2023年には20秒23。

そして社会人となった2025年には20秒11まで伸ばしています。

全国高校トップになった時点で完成していた選手ではありません。

全国を制した後にも走りを変え続けてきた選手なのです。

特に200mは、考えて走る要素がとても多い競技です。

カーブでどこまで加速するのか。

直線へ入るときに身体をどう切り替えるのか。

前半で力を使いすぎず、それでも世界の選手に置いていかれない速度をどう作るのか。

後半の苦しい局面で、フォームを崩さずどこまでスピードを保てるのか。

鵜澤選手が自分の感覚を言語化し、良い動きを再現しようとしてきた姿勢は、こうした200mという種目と非常に相性が良かったのではないかと私は考えています。

もう一つ注目したいのが、高校時代には100mとの二刀流だった選手が、大学で200mの専門性を深めたことです。

2023年には本人も200mに重点を置いていることを話しており、世界大会を経験した後には、200mをさらに速く走るために基本的なスピードそのものを高める必要性も意識するようになりました。

これは一見すると逆説的ですよね。

200mを極めようとすると、200mだけを走ればよいわけではない。

世界レベルで前半から勝負するためには、100m的な最高速度も必要になる。

世界へ進んだからこそ、自分に不足している能力がより細かく見えるようになったのでしょう。

私はこの部分に、鵜澤選手の成長の本質があるように感じます。

「高校から陸上を始めたのに五輪へ行った」という経歴は確かに華やかです。

しかし本当に注目したいのは、短い競技歴そのものではなく、新しい課題を見つけるたびに競技のやり方を変えられる柔軟さではないでしょうか。

築館高校で走る才能を見つける。

筑波大学で200mの専門性を高める。

世界選手権で世界との差を知る。

パリ五輪を経験し、さらに必要なスピードを考える。

卒論でも自分の日常から疑問を見つけて検証する。

学校での学びと競技上の成長が、別々の線ではなく一本につながっているところが、鵜澤選手の学歴を調べていて特に興味深く感じた点でした。


筑波大学卒業後はJALへ!自己ベスト20秒11まで成長

筑波大学卒業後、鵜澤飛羽選手は2025年4月1日に日本航空株式会社へ入社しました。

JALではアスリート社員として競技を続けています。

JALの公式プロフィールには、200mについて、前半だけ、後半だけで勝負が決まるわけではなく「レース展開」があるところが魅力だという鵜澤選手の考えも紹介されています。

200mを単純な「200m全力疾走」ではなく、展開のある競技として見ているところにも、鵜澤選手らしさが表れていますよね。

社会人1年目の2025年には、さらに成績を伸ばしました。

5月のアジア選手権では男子200mを20秒12で制し、2023年に続く大会連覇。

さらに7月の日本選手権では200mを20秒12で制し、2023年から3連覇を達成しています。

そして2025年8月、福井で20秒11をマーク。

日本陸連の公式プロフィールでも、この20秒11が自己ベストとして掲載されています。

高校2年だった2019年時点の200m自己記録20秒83から見ると、6年間で0秒72縮めた計算になります。

もちろん、陸上のタイムは大会ごとの風や気象条件、身体の状態などによって変化しますから、数字だけで成長のすべてを語ることはできません。

それでも、高校時代に全国2冠を達成した後も自己ベストを更新し続けていることは重要です。

早く完成した選手なのではなく、高校、大学、社会人と環境が変わるたびに競技力を積み上げている選手なのですね。

築館高校で競技に出会い、筑波大学で日本代表へ成長し、JAL入社後には20秒11まで到達した。

こうして三つの時期に分けて見ると、鵜澤選手の学歴と競技歴がとても分かりやすくつながります。


鵜澤飛羽の高校・大学の学歴と陸上成績まとめ

鵜澤飛羽選手の学歴は、宮城県築館高等学校から筑波大学体育専門学群へ進学という経歴です。

日本陸連の公式プロフィールにも「築館高(宮城)→筑波大学」と掲載されています。

中学校までは野球に取り組んでいましたが、肘を痛めたことで野球を引退。

その後、走力を評価されて陸上競技の大会へ出たことをきっかけに、本格的に短距離へ取り組むようになりました。

築館高校2年だった2019年には、沖縄インターハイの100m・200mで2冠を達成。

男子では28年ぶりとなる高校2年生でのショートスプリント2冠でした。

筑波大学では体育専門学群に在籍し、2年時の2022年に日本インカレ200m優勝。

3年時の2023年には日本選手権200m初優勝、アジア選手権200m優勝を達成し、ブダペスト世界選手権では予選を突破して準決勝まで進みました。

4年時の2024年には日本選手権を連覇。

パリオリンピックでは男子200m予選を20秒33で突破し、準決勝では20秒54で6着となりました。

筑波大学卒業後は2025年4月1日にJALへ入社。

2025年にはアジア選手権を連覇、日本選手権を3連覇し、8月には200mで自己ベストとなる20秒11を記録しています。

こうして学歴と成績を一緒に追ってみると、鵜澤選手の魅力は単に「高校から始めたのに速かった」という話だけではありません。

高校で陸上に出会い、大学で故障も経験しながら200mの専門性を高め、日本一、アジア一、世界大会の準決勝へと進んでいった。

その過程でずっと続いているのが、自分自身を観察し、疑問を見つけ、答えを探す姿勢です。

卒業論文の「お菓子と競技成績」という一見ユニークなテーマまで含めて考えると、競技と学業に共通する鵜澤選手の性格が見えてくるようで面白いですよね。

個人的には、鵜澤飛羽選手を表す言葉として「遅く始めた天才」よりも、考えながら伸び続けるスプリンターという表現のほうがしっくりきます。

一度速く走れたことに満足するのではなく、その理由を考える。

世界に届かなければ、何が不足しているのかを考える。

高校時代の全国制覇をゴールにせず、筑波大学時代には世界へ基準を移し、社会人になってからも自己ベストを更新する。

築館高校から筑波大学、そしてJALへ。

学歴をたどっていくと、鵜澤選手が「環境が変わるたびに強くなってきた選手」であることがよく分かります。

日本男子200mでは末續慎吾さんが2003年に記録した20秒03という日本記録が長く大きな目標になっています。

20秒11まで迫った鵜澤選手が、この先どこまで記録を縮めていくのでしょうか。

高校から陸上を始めた少年が世界の舞台まで駆け上がった続きを、これからも温かく見守っていきたいですね。


よくある質問

鵜澤飛羽の出身高校はどこ?

鵜澤飛羽選手の出身高校は宮城県築館高等学校です。

高校から本格的に陸上競技を始め、2年生だった2019年には沖縄インターハイの男子100m・200mで2冠を達成しました。

鵜澤飛羽の出身大学と学部・学群は?

鵜澤飛羽選手の出身大学は筑波大学で、在籍していたのは体育専門学群です。

大学2年時に日本インカレ200mを制し、3年時には日本選手権とアジア選手権で優勝。4年時にはパリオリンピック男子200mで準決勝まで進みました。

鵜澤飛羽はいつから陸上を始めた?

鵜澤飛羽選手は高校進学後に本格的に陸上競技へ転向しました。

中学校までは野球をしていましたが、肘を痛めて引退。その後、走力を見込まれて陸上競技の大会へ出場したことが、競技を始めるきっかけになったとJAL公式プロフィールで紹介されています。

春野滋

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