鈴木芽吹選手は駒澤大学で箱根駅伝に4年連続出場し、故障で走れない時期を乗り越え、最後は主将として花の2区で区間2位まで復活しました。
1年時の5区4位から、2年時の8区18位、3年時の4区3位、4年時の2区2位へ。その数字を追うと、鈴木選手の大学4年間は「順風満帆なエリート」ではなく、一度大きく立ち止まり、そこから以前以上の役割を担うまでになった物語だったことが分かります。箱根駅伝公式サイトでも4大会すべての記録が確認できます。
この記事では、鈴木芽吹選手の駒澤大学時代を、箱根駅伝公式、出雲駅伝公式、日本陸上競技連盟、駒澤大学関連の公表資料をもとに振り返ります。
特に、これまで少し曖昧に語られがちだった「故障からどのように戻ってきたのか」を具体的な時系列で整理しながら、なぜ最後に2区を任される選手になったのかまで考えてみたいと思います。
鈴木芽吹の大学時代とは?箱根駅伝4年間の成績を一覧で確認
鈴木芽吹選手は佐久長聖高校から駒澤大学へ進学し、大学1年生から4年生まで4年連続で箱根駅伝を走りました。
箱根駅伝公式サイトに掲載された4年間の記録は、次の通りです。
学年 大会 区間 区間順位 タイム
1年 第97回箱根駅伝 5区 4位 1時間12分44秒
2年 第98回箱根駅伝 8区 18位 1時間07分47秒
3年 第99回箱根駅伝 4区 3位 1時間01分00秒
4年 第100回箱根駅伝 2区 2位 1時間06分20秒
数字だけ抜き出すと、4位→18位→3位→2位。
さらに担当区間は5区→8区→4区→2区と、4年間ですべて異なります。
私は、この二つの並びを一緒に見ることが鈴木選手の大学時代を理解するうえで大切だと感じています。
成績は一度大きく沈んでいるのに、任される役割は卒業へ近づくほど軽くなるどころか、むしろ重要になっているからです。
特に大学4年時の2区は、各大学の主力が集まることから「花の2区」と呼ばれてきたエース区間です。
1年時に山の5区を走った選手が、故障による長い停滞を挟み、最後はエース区間へたどり着いた。
この配置の変化には、単なる区間順位以上に鈴木芽吹選手の成長が表れているのではないでしょうか。
1年生の鈴木芽吹は第97回箱根駅伝5区4位!いきなり総合優勝を経験
鈴木芽吹選手が初めて箱根駅伝を走ったのは、大学1年時の2021年1月に行われた第97回東京箱根間往復大学駅伝競走です。
任されたのは往路最後の5区。記録は1時間12分44秒、区間4位でした。
5区といえば、小田原から箱根・芦ノ湖を目指して標高を上げていく特殊な区間です。
平地を一定のリズムで走る能力だけでなく、長い上りで脚を残し、勾配の変化に対応しながらペースを組み立てる力が求められます。
そんな5区を大学1年生で任されたことからも、当時から鈴木選手への期待がかなり高かったことがうかがえます。
しかも、この大会で駒澤大学は劇的な総合優勝を果たしました。
最終10区で逆転し、鈴木選手は入学1年目から箱根駅伝の優勝メンバーになったのです。
前年の2020年11月に行われた全日本大学駅伝でも鈴木選手は3区を担当しており、駒澤大学は優勝。
大学へ入って間もない段階から、三大駅伝の優勝争いを経験することになりました。
普通なら「1年生で箱根5区4位、しかも優勝」というだけで十分すぎるスタートですよね。
けれど、ここで完成されたわけではありませんでした。
むしろ鈴木芽吹選手の4年間を振り返ると、この華々しい1年目のあとに訪れた苦しい時間こそが、その後の選手像を大きく形作ったように見えます。
鈴木芽吹は大学2年で故障|箱根後も走れず5・6月にも再び離脱
大学2年時の鈴木芽吹選手を語るうえで欠かせないのが、トラックでの飛躍と、その後に続いた故障です。
鈴木選手は大学2年時に10000mで27分台へ突入し、学生長距離界でもトップクラスの走力を示しました。
ところが、駅伝シーズンでは思うように状態を整えられず、2022年1月の第98回箱根駅伝では8区を走って1時間07分47秒、区間18位。4年間の箱根で最も低い区間順位となっています。
ここまでは成績からも分かりますが、その後の経過については鈴木選手本人が2022年10月、駒澤大学の「コマスポ」の取材でかなり具体的に説明しています。
鈴木選手によれば、箱根駅伝が終わったあと2月まではほとんど走らず、3月から少しずつランニングを再開しました。
ところが順調には戻れませんでした。
本人は、5月と6月にも再び故障があり、十分に走れない状態が続いたと振り返っています。その後、7月になってようやく練習が軌道に乗り、夏合宿では全体より少なめのメニューながら練習を積めたと説明しています。
ここはとても重要です。
「箱根で18位だったから、その直後から順調に復活へ向かった」という単純な流れではなかったのですね。
1月の箱根後に休養→3月から再開→5月、6月にも故障→7月から本格的に練習を積めるようになる。
こうして並べると、2022年の前半は競技力を高める以前に、まず継続して走れる身体へ戻す時間だったことが分かります。
なお、確認できる一次性の高い資料では、この時期の故障について具体的な診断名や患部までは明らかにされていません。
そのため「○○を故障した」と推測で断定するのではなく、本人が公に説明している範囲で捉えるのが適切でしょう。
私は、この事実を知ると第98回箱根の8区18位の見え方が少し変わってくるように思います。
区間順位だけなら厳しい結果です。
けれど、その前後に長期間思うように練習できない状態があり、さらに春になってからも故障を繰り返していたことを考えれば、鈴木選手にとって2022年前半は「なぜ速く走れなかったのか」を責める時期ではなく、競技生活そのものを立て直していた時期だったのではないでしょうか。
箱根駅伝はたった一日の区間成績として記録されます。
でも、その一行の数字の裏には、何か月もの練習や故障、焦り、調整があります。
鈴木芽吹選手の8区18位は、まさにそのことを思い出させてくれる記録だと私は感じます。
3年生で鈴木芽吹が復活!出雲駅伝6区区間賞から箱根三冠へ
長い故障期間を経た鈴木芽吹選手が、大学駅伝へ鮮烈に戻ってきたのが2022年10月10日の第34回出雲全日本大学選抜駅伝競走でした。
鈴木選手は最終6区10.2kmを担当し、29分21秒で区間1位。正式に区間賞を獲得しています。出雲駅伝公式記録にも、鈴木選手が6区トップだったことが残されています。
これは「復活」という言葉を使う根拠として、とても分かりやすいレースです。
なぜなら本人が、同大会後の取材で7月からようやく練習が軌道に乗ったと説明しているからです。春まで十分に走れなかった選手が、わずか数か月後の大学三大駅伝でアンカーを任され、区間賞を取ったことになります。

しかも鈴木選手は、ただメンバーへ戻っただけではありません。
アンカーという、チームの順位を確定させる重い仕事を任されています。
私はここに、鈴木芽吹選手の復活を考えるうえで大切なポイントがあると思っています。
故障明けの選手なら、まず負担の少ない配置から様子を見る考え方もあります。
それでも駒澤大学は鈴木選手を6区に置き、鈴木選手も区間賞という結果で応えました。
続く2023年1月の第99回箱根駅伝では4区を担当。
記録は1時間01分00秒、区間3位で、前年の18位から大きく順位を戻しました。
駒澤大学はこの第99回箱根駅伝で総合優勝。
同年度の出雲駅伝、全日本大学駅伝、箱根駅伝をすべて制し、大学駅伝三冠を達成しました。
ここで私が注目したいのは、「3年時に故障前と同じところへ戻った」と見るだけでは十分ではないことです。
2年時の箱根後は2月までほとんど走れず、5月、6月にも故障していた選手が、秋には出雲アンカーで区間賞。
そして冬には箱根4区で3位。
復帰後いきなり優勝争いの中心へ戻っているのです。
これは単なる回復というより、もう一度チームから勝負区間を任されるだけの信頼を取り戻した過程と見る方が、鈴木選手の3年時を正確に表しているように感じます。
4年生は駒澤大学主将に!出雲連続区間賞から最後は箱根2区2位
大学4年生となった鈴木芽吹選手は、駒澤大学陸上競技部の主将として最後のシーズンを迎えました。
個人として速く走るだけでなく、チーム全体を背負う立場になったのです。
2023年10月9日の第35回出雲駅伝では、前年と同じ最終6区を担当。
鈴木選手は10.2kmを29分00秒で走り、前年に続いて区間1位を獲得しました。出雲駅伝公式記録でも鈴木選手が1位、中央大学の湯浅仁選手が29分27秒で2位だったことが確認できます。
前年は29分21秒でしたから、同じ10.2kmの6区で21秒短縮したことになります。
もちろん、駅伝のタイムは天候や風、レース展開が違うため単純比較はできません。
それでも、故障から復帰した3年時に区間賞を取り、翌年に同じ区間でもう一度区間賞を取った事実は大きいですよね。
「一度だけ戻れた」のではなく、翌シーズンまで高い競技力を継続できていたことを示しているからです。
そして2024年1月、第100回箱根駅伝。
大学最後の箱根で鈴木選手が任されたのは、ついに2区でした。
結果は1時間06分20秒、区間2位。
大学1年時の5区4位、2年時の8区18位、3年時の4区3位を経て、最後は4年間で最高となる区間2位です。
駒澤大学は大会連覇には届かず、総合2位。
主将として優勝を目標にしていただけに、鈴木選手自身にとっては手放しで満足できる最後ではなかったでしょう。
それでも、個人の大学4年間という尺度で見ると、この2区起用はとても象徴的です。
箱根駅伝の2区は距離が長いだけでなく、各校がエース級を並べる区間です。
ここで重要なのは、「2区を走ったから最強だった」と単純化することではありません。
駅伝の配置は他の選手との組み合わせ、当日の状態、チーム戦略などで決まります。
それでも、長期間まともに走れない時期を経験した選手が、最終学年に主将となり、大学最後の箱根で2区を任された。
故障後の方が責任の重い区間へ進んでいったという事実は、鈴木芽吹選手の4年間を象徴していると私は思います。
なぜ鈴木芽吹は最後に箱根2区を任された?4年間の配置から見える総合力
鈴木芽吹選手の箱根4年間で特に興味深いのは、同じ区間を一度も走っていないことです。
5区、8区、4区、2区。
それぞれ求められる性質は少しずつ違います。
- 5区:長い上りへの対応力とペース管理
- 8区:復路後半まで粘る持久力と安定感
- 4区:往路の流れを5区へ渡すスピードと勝負力
- 2区:距離、起伏、各校の主力との競り合いに対応する総合力
もちろん、「4区間を走れた=どこでも最強だった」という意味ではありません。
駅伝は10人で戦う競技ですから、その年のメンバー構成によって配置は変わります。
それでも、鈴木選手の場合は箱根だけを見るより、トラックや出雲駅伝の数字を重ねた方が2区起用の意味が見えやすくなります。
大学時代には10000mで27分台を記録するスピードを示し、故障から戻った3年時と4年時には出雲駅伝の最長6区で2年連続区間賞。
3年時の箱根4区でも区間3位でした。
つまり、平地のトラックで速いだけでも、駅伝だけに強いだけでもありません。
トラックのスピードを持ちながら、10kmを超える駅伝区間でも結果を残し、箱根では山を含めた異なる区間を経験している。
私は、この積み重ねが最終的な2区起用を考えるうえで大きかったのではないかと見ています。
もう一つ見逃せないのは、故障後に出雲6区を2年続けて任されていることです。
3年時は29分21秒。
4年時は29分00秒。
同じアンカー区間で連続して結果を出したことは、「調子がいい日に一度だけ走れた」のとは違います。
駅伝で監督が選手に求めるものは、自己ベストの速さだけではありません。
チーム順位を背負う状況で、任された仕事を遂行できるかも重要です。
そう考えると、鈴木選手が最後に2区へ配置された背景には、トラックで証明した速さに加えて、故障後の2年間で積み上げ直した駅伝での安定感と信頼もあったのではないでしょうか。
これは公式発表された選考理由ではなく、4年間の記録から見た私なりの解釈です。
しかし「5区の新入生が4年後に2区の主将になる」という変化だけを見るより、途中にあった長い故障期間と出雲アンカーでの連続区間賞まで重ねると、その変化にはより説得力が生まれるように感じます。
鈴木芽吹の大学4年間で最も印象的なのは「復活後に記録と役割の両方を伸ばしたこと」
鈴木芽吹選手の駒澤大学時代を振り返って、私がもっとも印象に残るのは、故障から単に「元の状態へ戻った」だけではないことです。
箱根駅伝の区間順位を並べると、
4位→18位→3位→2位。
一度18位まで沈んだあと、3位、2位へ上がっています。
出雲駅伝でも、
29分21秒→29分00秒。
復帰した3年時より、主将となった4年時の方が同じ6区で21秒速い記録を残しています。
そして役割も、
出雲アンカー→主将→箱根2区
と重くなりました。
私は、ここに鈴木芽吹選手の大学時代ならではの価値があると思います。
学生スポーツでは4年間という時間が限られています。
プロや実業団選手なら、1年間を故障の治療や再建に使ったあと、その翌年、さらに翌年まで時間をかけて復活することもできます。
大学生の場合、2年生で長期離脱すれば残されている大学駅伝シーズンはわずか2回です。
鈴木選手は、その限られた時間の中で戻ってきました。
2022年2月まではほとんど走れず、3月に再開しても5月、6月に再び故障。
7月になってようやく練習が軌道に乗ったと本人が説明しています。
その約3か月後には出雲駅伝のアンカーで区間賞です。
この時系列を知ると、単に「出雲で速かった」という記録以上のものが見えてきませんか。
もちろん、故障した経験そのものを美談にする必要はありません。
選手にとって故障は避けられるなら避けたいものですし、本人にしか分からない苦しさもあったでしょう。
それでも、その後の競技結果という確認できる事実を見る限り、鈴木選手はそこで競技生活を停滞させませんでした。
大学3年時には三冠チームの主力となり、4年時には主将。
そして最後の箱根で4年間最高の区間2位。
私は、27分台というトラック記録以上に、走れなかった期間のあとで再び勝負区間を任され、それまで以上の責任を背負えるところまで戻ったことに鈴木芽吹選手の強さを感じます。
一直線に上っていく選手の物語も素晴らしいものです。
けれど、実際のスポーツ人生はなかなか一直線には進みませんよね。
鈴木選手の大学4年間には、山の5区を走った1年生、苦しんだ8区の2年生、復活した4区の3年生、そして花の2区へ進んだ主将の4年生がいます。
まるで箱根のコースそのもののように、上りも下りもあった4年間でした。
だからこそ最後の2区2位は、単なる「好記録」ではなく、その前にある時間まで含めて見ると一段と重みのある結果なのだと思います。
まとめ
鈴木芽吹選手は駒澤大学時代、4年連続で箱根駅伝に出場しました。
1年時の第97回大会は5区を1時間12分44秒、区間4位。
2年時の第98回大会では8区を1時間07分47秒、区間18位。
3年時の第99回大会では4区を1時間01分00秒、区間3位。
そして4年時の第100回大会では「花の2区」を1時間06分20秒、区間2位で走りました。
特に重要なのは、2年時から3年時へ向かう期間です。
本人の説明では、第98回箱根後の2022年2月まではほとんど走れず、3月にランニングを再開したものの5月、6月にも故障。
7月からようやく練習が軌道に乗りました。
それでも10月の出雲駅伝では6区を29分21秒で走り区間賞。
翌年の出雲では同じ6区を29分00秒で再び区間賞とし、最後は駒澤大学の主将として箱根2区までたどり着きました。
5区4位→8区18位→4区3位→2区2位。
この数字は、ただの成績表ではありません。
期待された1年生から、故障で立ち止まった2年生、再び襷へ戻った3年生、そしてチームを背負う主将になった4年生まで、鈴木芽吹選手の駒澤大学4年間そのものが凝縮されているように私は感じます。
よくある質問
鈴木芽吹はどこの大学出身ですか?
鈴木芽吹選手は駒澤大学出身です。
佐久長聖高校から駒澤大学へ進み、卒業後はトヨタ自動車で競技を続けています。日本陸上競技連盟の選手プロフィールにも、出身校として佐久長聖高校、駒澤大学が掲載されています。
鈴木芽吹は箱根駅伝に何回出場しましたか?
鈴木芽吹選手は大学1年から4年まで4年連続、計4回出場しています。
担当区間は1年時5区、2年時8区、3年時4区、4年時2区で、4年間すべて違う区間を走りました。
鈴木芽吹の故障からの復帰はいつですか?
本人の2022年10月の説明によると、同年2月まではほとんど走れず、3月から徐々にランニングを再開しましたが、5月と6月にも故障がありました。
7月から練習が軌道に乗り、10月の第34回出雲駅伝では6区29分21秒で区間賞を獲得。ここが大学駅伝で復活を鮮明に示したレースといえるでしょう。
鈴木芽吹の箱根駅伝で最高の区間順位は?
最高順位は、大学4年時の第100回箱根駅伝2区・区間2位です。
記録は1時間06分20秒でした。2年時の8区18位から3年時3位、4年時2位へ戻した推移を見ると、故障後の復活を象徴する結果の一つといえます。
執筆:春野滋


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