千葉雄大さんは仙台第三高校を卒業後、玉川大学へ進学し、読者モデルから俳優への道が開けた大学在学中に中退しています。
学校名だけでなく学生時代を時系列でたどると、高校で映画に興味を持ち、大学でラジオや映画制作などの仕事を考え、やがて自ら脚本・監督まで手掛ける現在につながる一本の流れが見えてきます。
千葉雄大の学歴は?小学校・中学校・高校・大学を一覧で確認
千葉雄大さんは1989年3月9日生まれ、宮城県多賀城市出身の俳優です。
学歴を先に整理すると、多賀城市立城南小学校→多賀城市立高崎中学校→宮城県仙台第三高等学校→玉川大学という流れになります。
- 小学校:多賀城市立城南小学校
- 中学校:多賀城市立高崎中学校
- 高校:宮城県仙台第三高等学校
- 大学:玉川大学(中退)
ここで押さえておきたいのは、千葉さんが子どものころから俳優だけを目指して、この進路を歩んできたわけではないことです。
高校時代には映画に興味を持ち、大学生になると映画制作やラジオなど「作る側」の仕事も将来の候補として考えていました。
そして大学時代の読者モデル活動がきっかけとなり、本人が当初想定していたものとは違う「演じる側」から芸能界へ入っていきます。
千葉雄大さんの学歴を理解するポイントは、学校の偏差値や卒業・中退という結果だけでなく、その時々で何に興味を持ち、どのように進路を選び直したのかを見ることだと私は感じます。
千葉雄大の出身小学校・中学校は?宮城県多賀城市で過ごした少年時代
千葉雄大さんは、地元・宮城県多賀城市の学校で小中学校時代を過ごしました。
出身小学校として知られているのが多賀城市立城南小学校、中学校が多賀城市立高崎中学校です。
城南小学校時代と母校への絵本寄贈
小学生時代の千葉さんは、友達と遊ぶ一方で、ピアノや水泳などにも取り組んでいたと伝えられています。
この時期については、後の俳優活動と無理に結び付けるより、宮城県多賀城市で過ごした少年時代が千葉さんの原点だった、と捉えるのが自然でしょう。
大人になってからは母校との縁もありました。
2012年には、日本テレビ系「世界一受けたい授業」の企画を通じて得た図書券を活用し、母校の城南小学校へ絵本を寄贈したことが知られています。
芸能界で活躍するようになった後に、自分が育った学校へ本を届けたというのは、なんとも温かいエピソードですよね。
高崎中学校ではソフトテニスとラジオに親しむ
多賀城市立高崎中学校ではソフトテニス部で活動し、勉強にも取り組んでいました。
一方、千葉さんの後の仕事を考えるうえで見逃せないのが、学生時代から続くラジオへの強い関心です。
千葉さんは後にTOKYO FM「SCHOOL OF LOCK!」へ出演した際、自身が同番組のリスナーだったことや、かつて「まさかりボンバー」というラジオネームを使っていたことを明かしています。
2010年9月27日の同番組では、本人が「まさかりボンバー」という名前について、当時のおかっぱ頭から「金太郎」「まさかり」と連想して付けたという趣旨の説明もしています。
さらに2020年にTBSラジオへ出演した際には、FMでは「まさかりボンバー」を学生時代から使い、AMでは別のラジオネームも使っていたことを振り返りました。
単なる「昔ラジオが好きだった」という話なら、青春時代の思い出で終わりますよね。
ところが千葉さんの場合、このラジオへの興味が大学時代の就職先選び、さらに芸能界入り後のラジオ活動にもつながっていきます。
2019年には「千葉雄大のオールナイトニッポン」でパーソナリティーを務め、出演だけでなく企画・構成にも挑戦しました。中高生時代からのラジオ好きが、仕事として「番組を作る」ところまでつながったわけです。
私はこの流れに、千葉さんの学生時代を読み解く大きなヒントがあるように思います。
好きだったものをすぐ職業にできなくても、長く持ち続けた興味が何年も後に別の形で仕事になることがある。千葉さんのラジオとの関係は、そのことがよく分かる例ではないでしょうか。

千葉雄大の出身高校は仙台第三高校!学生時代に映画へ興味
千葉雄大さんの出身高校は、宮城県仙台第三高等学校です。
千葉さんが通っていた当時の仙台第三高校は男子校でした。
高校時代は、千葉さんにとって必ずしも順風満帆な3年間ではなかったようです。
入学直後の入院で人間関係に入りづらくなった
千葉さんは高校へ入学して間もない時期に、入院を経験したことを後に振り返っています。
学校を離れている間にクラス内の人間関係ができていき、復帰してからその輪へ入ることに苦労したという趣旨の経験も語られてきました。
休み時間に周囲とうまく交われず、机に伏せて過ごした時期があったという話からは、現在の華やかな俳優としての姿とは少し違う10代の一面が見えてきます。
ただし、「高校3年間ずっと孤独だった」とまで広げて解釈するのは慎重でありたいところです。
本人が語っている経験から読み取れるのは、高校入学後の環境変化によって、人間関係や学校生活に難しさを感じた時期があったということです。
一つのエピソードだけで高校生活全体を決めつけないことも、人物の経歴を紹介するときには大切ですよね。
映画「CHICAGO」が映像への関心を深めるきっかけに
高校時代の千葉さんを語るうえでもう一つ重要なのが、映画への興味です。
千葉さんは10代のころに映画「CHICAGO」に触れ、映画や映像に関係する仕事への関心を深めていったとされています。
ここで私が注目したいのは、映画に興味を持ったからといって、すぐ「俳優になりたい」と考えたわけではないことです。
現在の千葉雄大さんから過去を逆算すると、「高校生のころから俳優志望だったのでは?」と思いたくなりますが、実際の進路探しはもっと幅広いものでした。
映画を演じる側だけではなく、制作する仕事そのものへの興味があったのです。
この違いは、後の大学生活、就職活動、そして監督・脚本への挑戦を考えるうえで、とても大事なポイントになります。
高校時代にすでに完成した夢があったのではなく、好きな映画やラジオを手掛かりに「自分は何を仕事にしたいのだろう」と探していた。
そんな高校生だったと考えるほうが、後の歩みとも自然につながります。
千葉雄大の大学は玉川大学!就活から読者モデル、俳優へ
仙台第三高校を卒業した千葉雄大さんは、玉川大学へ進学しました。
そして、この大学時代こそ、千葉さんの人生が大きく動いた時期です。
大学へ入った時点で俳優になることを決めていたわけではなく、学生生活を送りながら就職についても現実的に考えていました。
大学時代は芸能界ではなく就職も考えていた
2026年8月7日、千葉さんはフジテレビ系「ぽかぽか」に出演し、大学時代の進路について詳しく振り返っています。
番組での発言を伝えた日刊スポーツによると、千葉さんは当時、映画の制作会社、ラジオ制作、アナウンサー、ウェディングプランナーなどを候補に考え、企業説明会にも参加していたといいます。
つまり、大学時代の千葉さんは「芸能人になるかどうか」を考えていたというより、もっと一般的な大学生と同じように、さまざまな業界を見ながら自分の進路を探していたのですね。
2020年のラジオ出演でも、大学時代に就職活動をし、制作側の仕事に関心があったこと、ラジオが好きで放送局の説明会へ行ったこと、映画を作りたいという思いがあったことを本人が振り返っています。
2026年の発言だけに頼るのではなく、過去の本人発言とも方向性が重なっているところは、経歴を確認するうえで重要です。
高校時代の映画への関心と、学生時代から続くラジオ好きが、大学で具体的な就職先を考える段階まで続いていたことが分かります。
「CHOKi CHOKi」の読者モデルから芸能界へ
そんな大学生活の途中、千葉さんの進路を思いがけない方向へ動かしたのがモデル活動でした。
ファッション誌「CHOKi CHOKi」で読者モデルとして活動していたところ、芸能事務所との縁が生まれます。
2026年8月7日の「ぽかぽか」でも、読者モデル時代からスカウトされて芸能界入りした経緯が紹介されています。
最初から俳優養成所へ通い、何年も俳優オーディションを受け続けていたというタイプの芸能界入りではありません。
就職活動もしながら将来を模索していた大学生の生活の中にモデルという新しい経験が加わり、そこから俳優への扉が開いたのです。
人生は、最初に描いた進路図どおりに進むとは限りませんよね。
千葉さんの場合はまさに、自分の興味を広げて動いていたからこそ、当初の計画にはなかった選択肢と出会ったと見ることができそうです。

千葉雄大はなぜ玉川大学を中退した?ゴセイジャー抜てきが転機
千葉雄大さんは玉川大学を卒業しておらず、最終的には中退して俳優活動へ進んでいます。
ただ、「芸能界に入ったからすぐ大学を辞めた」と単純にまとめると、本人が語っている迷いや家族とのやり取りが抜け落ちてしまいます。
「天装戦隊ゴセイジャー」で主演に抜てき
事務所所属後、千葉さんはスーパー戦隊シリーズ「天装戦隊ゴセイジャー」のオーディションを受けます。
そして2010年放送開始の同作で、アラタ/ゴセイレッド役として俳優デビューしました。
2026年8月7日の「ぽかぽか」でも、読者モデルから事務所へ入り、「天装戦隊ゴセイジャー」で俳優デビューした経歴が紹介されています。
就職活動をしていた大学生が、全国放送のスーパー戦隊シリーズで中心となる役を務めることになったのですから、生活も進路も一変したことは想像しやすいですよね。
そこで現実的な問題になったのが、大学と仕事をどう両立するかでした。
大学卒業を望む両親と、教授への相談
2026年の「ぽかぽか」で千葉さんが語った大学中退の経緯は、ここを理解するうえで重要です。
日刊スポーツが伝えた本人の説明では、千葉さん自身は大学を辞めるかどうか迷い、両親は大学卒業を望んでいたとされています。千葉さんが大学の教授へ相談したところ、教授が両親へ話をしてくれたことも明かしています。
この点は、「家族も最初から中退を勧めた」と受け取らないようにしたいところです。
むしろ大学卒業という安定した道を残したい家族の思いがあり、その一方で、千葉さんには目の前に俳優という具体的な仕事が現れていました。
大学の先生への相談も経たうえで、最終的に仕事へ進む選択をした、という流れです。
そのため、千葉雄大さんの大学中退を「学業を続けられなくなった」とだけ表現するのは適切ではないでしょう。
大学で将来を探している最中に俳優という職業への入口が現れ、卒業する道との間で迷った末、仕事へ軸足を移した進路変更と見るほうが、本人の説明に近いと考えられます。
千葉雄大の学生時代は現在の脚本・監督活動にどうつながった?
千葉雄大さんの学歴を調べて、私が最も興味深く感じたのはここです。
高校、大学、俳優デビューという出来事を別々に見るのではなく時系列でつなげると、「ラジオ」と「映像制作」という二つの興味が、学生時代から芸能界入り後まで長く続いていることが分かります。
「ラジオ好き」は聴く側から作る側へ
まずラジオです。
学生時代にはラジオを聴き、ラジオネームを使って番組に参加していました。
大学時代には、ラジオ好きだったことから放送局の説明会にも足を運んだと本人が明かしています。
そして俳優になった後の2019年、「千葉雄大のオールナイトニッポン」では出演だけでなく企画・構成にも挑戦しました。
ここには「リスナー→就職先の候補→番組を作る側」という流れがあります。
一直線に計画されたキャリアではありませんが、中高生のころの「好き」が消えずに残り、立場を変えながら仕事へつながっているところが面白いですよね。
映画への興味は俳優だけでなく脚本・監督へ
もう一本の線が映像制作です。
高校時代に映画へ興味を持ち、大学時代には映画制作会社も就職先の候補として考えていました。
その途中で俳優になるという予想外の道へ進みますが、「作る側」への関心まで消えたわけではありませんでした。
千葉さんはWOWOW「アクターズ・ショート・フィルム2」で短編映画「あんた」を監督し、出演もしています。
さらに「アクターズ・ショート・フィルム4」では、「ハルモニア」の監督・脚本を担当しました。「ハルモニア」は一ノ瀬颯さん、工藤遥さん、ヒコロヒーさん、近藤辰哉さん、山崎樹範さんらが出演する作品です。WOWOWの公式情報でも千葉さんが同作の監督を務めたことが確認できます。
「アクターズ・ショート・フィルム2」の「あんた」では伊藤沙莉さんと千葉さんが出演し、伊藤さんは2022年のショートショート フィルムフェスティバル&アジアで同作によりジャパン部門ベストアクターアワードを受賞しています。
さらに「ハルモニア」では、千葉さん自身が前作では十分に見られなかった編集、音入れ、色を決める工程などにも触れたことを完成報告の場で振り返っています。
ここまで追うと、学生時代の「映画を作りたい」という関心を、単なる昔の夢として片づけるのはもったいない気がします。
俳優として出演する経験を積んだ後に、脚本を書き、監督を務め、さらに編集や音といった制作工程にも視野を広げているからです。
私が学歴以上に注目したい「寄り道の連続性」
筆者としては、千葉雄大さんの経歴を「苦労したから成功した」という分かりやすい美談にまとめる必要はないと考えています。
高校で人間関係に悩んだこと、大学で就職活動をしたこと、モデルを経験したこと、俳優として声を掛けられたことは、それぞれ別の出来事です。
ただし、その中で本人が何に興味を持ち続けたのかを見ると、確かな連続性があります。
ラジオは、学生時代のリスナー経験から放送局への就職検討、そして自ら企画・構成するラジオ番組へ。
映画は、高校時代の興味から制作会社への就職検討、俳優活動を経て、短編映画の脚本・監督へ。
この二本の線を重ねてみると、千葉さんの大学中退は「学びを途中でやめた」という一点だけでは説明できなくなります。
大学で探していた「自分がやりたい仕事」が、就職活動とは違う入口から突然具体化し、まず俳優という形で始まった。そして時間をかけて、もともと関心のあった「作る側」の仕事にも活動範囲を広げていったのです。
52歳の私から見ると、若いころの進路は「一度決めたら変えてはいけない」と考えてしまいがちですが、実際のキャリアはそんなにきれいな一本道ではありませんよね。
千葉さんの学生時代にも迷いや予定外の出来事がありました。それでも、昔から好きだったものを手放さずにいたことが、後の仕事に思いがけない形で重なっているところに、私はこの経歴の一番の面白さを感じました。
千葉雄大の学歴と大学中退理由まとめ
千葉雄大さんの学歴は、多賀城市立城南小学校、多賀城市立高崎中学校、宮城県仙台第三高等学校を経て、玉川大学へ進学し中退という歩みです。
大学時代には就職活動を行い、映画制作やラジオなどの仕事も考えていましたが、「CHOKi CHOKi」の読者モデル活動から芸能事務所との縁が生まれ、「天装戦隊ゴセイジャー」のアラタ/ゴセイレッド役で俳優として大きな一歩を踏み出しました。
大学中退についても、単純に「芸能界に入ったから辞めた」という話ではありません。
大学卒業を望む家族の思いもある中で教授へ相談し、最終的に俳優という仕事へ進む道を選んだことを本人が2026年8月7日の「ぽかぽか」で改めて振り返っています。
そして何より興味深いのは、高校・大学時代から持っていた映画やラジオへの関心が、その後も途切れていないことです。
俳優として経験を積んだ後には「あんた」「ハルモニア」で監督を務め、学生時代に思い描いていた「作る側」の仕事にも活動を広げました。
千葉雄大さんの学歴は、学校名や「大学中退」という最終結果だけを見るより、好きなものを探しながら進路を選び直してきた過程までたどることで、現在の多面的な活動がより分かりやすくなる経歴だと私は思います。
よくある質問
千葉雄大の出身高校はどこ?
千葉雄大さんの出身高校は、宮城県仙台第三高等学校です。
高校時代には人間関係に苦労した時期もありましたが、映画への関心を深め、その後の進路を考える一つのきっかけになりました。
千葉雄大の大学はどこ?卒業している?
千葉雄大さんは玉川大学へ進学しましたが、卒業せず中退しています。
大学時代には就職活動も行っており、映画制作やラジオ、アナウンサー、ウェディングプランナーなど複数の仕事を検討していたことを本人が2026年のテレビ出演で振り返っています。
千葉雄大が玉川大学を中退した理由は?
大学在学中に読者モデルから芸能界へ進み、「天装戦隊ゴセイジャー」で俳優として大きな仕事を得たことが進路を考え直す転機になりました。
本人によれば両親は大学卒業を望んでいましたが、教授への相談などを経て、最終的に俳優として仕事をする道へ進んでいます。
千葉雄大さんの学生時代を振り返ると、最初から完成した夢へ一直線に進んだというより、映画やラジオなど「好き」と感じたものを持ち続けながら、その時々で自分の進路を探してきたことが分かります。
そして学生時代に興味を持っていた「作る側」の世界へ、俳優として経験を積んでから脚本・監督という形で戻ってきたことまで含めて見ると、千葉雄大さんの学歴と現在の仕事が一本の線でつながって見えてきますよね。
春野滋


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