西原金蔵さんは、7月13日にNHKの番組「プロフェッショナル」に出演し密着取材されました。
季節のフルーツのみを使用し、素材をとても大切に生かした、氷菓や焼き菓子。
夫婦で営む小さな洋菓子店の、陽だまりの中で作る至極のお菓子たち。
数々の名店を渡り歩き、世界中のVIPを魅了した、独創的かつ奥深い洋菓子と、波乱万丈だった人生。
今回は、NHK【プロフェッショナル】が、伝説のパティシエの、奥深い物語に、スポットを当てます。
そして、そんな西原金蔵さんの年収は、いったいいくらぐらいなのでしょうか?
いろいろ気になったので、調べてみました。
西原金蔵はなぜ伝説のパティシエに?
「プロフェッショナル」で紹介された、西原金蔵さんはパティシエ(フランス料理の洋菓子職人)です。
経歴を読むと分かるように、キャリアのスタートは、ホテルのサービスマンです。
料理人でも、菓子職人でもありません。
ホテルのサービスマンとして4年間働いた後、25歳で、調理師専門学校へ入学しています。
ホテルで、サービスマンとして働いているときに、何か、パティシエの仕事に触れる機会があり、この道を目指したのか、と思います。
調理師専門学校を卒業後、フランスへ修行に行き、大きなお菓子のコンクールで、大きな賞を受賞します。
そして、フレンチの巨匠、アラン・シャペルと出会い、世界中のVIPを魅了した伝説のパティシエとしての栄光をつかんでいくのです。
神戸ポートピアホテル内のレストラン「アラン・シャペル」を起点に、フランスや世界中にあるレストラン「アラン・シャペル」、「ホテルオークラ神戸」「資生堂パーラー」「神戸マリンホテルズ」・・・
数々の名店を渡り歩いた後、京都に自らの菓子店「オ・グルニエ・ドール」を開店します。
「オ・グルニエ・ドール」は、全国からお客が訪れ、行列の絶えない人気店となりましたが、人気絶頂のさなか、自分で決めた65歳で閉店、という計画を実行し、店を閉めます。
閉店から半年後、長男が開店した新しい菓子店に、「オ・グルニエ・ドール」の定番商品の味を引き継いでもらい、
閉店から一年後、土日限定営業の小さな菓子店を開業しています。
西原金蔵のプロフィール・経歴
名前: 西原 金蔵 ( にしはら きんぞう )
生まれ: 1953年
出身地: 岡山県生まれ
お店の所在地と概要
所在地はここに載せておりますが、コロナ禍の現在、感染拡大防止のためにも、
遠方からのご来店は、お控えください。
ご来店の際は、必ずマスク着用のうえ、三密を避けて、マナーを守ってご利用ください。
来店客があまりに多いときは、勇気を持って、手ぶらでお帰りください。
お店の方の迷惑にならないよう、ご配慮をお願いいたします。
郵便番号: 〒 604-8127
住所: 京都府京都市中京区堺町通錦小路上ル菊屋町519-2 2F
TEL: 075-257-2480
営業時間:土,日のみ営業 13:00~17:00
定休日: 毎週月・火・水・木・金曜日
最寄駅: 烏丸駅(阪急)
アクセス: 烏丸駅13(阪急)出口から徒歩約2分
京都河原町駅11(阪急)出口から徒歩約5分
四条(京都市営)駅2(四条駅)出口から徒歩約7分
カテゴリ: カフェ、スイーツ、甘味処
ランチ予算: ~2000円
西原金蔵の経歴
1974年、21歳、京都グランドホテル(現リーガロイヤルホテル京都)、サービスマンとして就職
1978年、25歳、辻調理師専門学校へ入学
1979年、26歳、フランスへ渡り、「レカミエ(1つ星)」や「エッシェル・ロワイヤル」などの、レストランで研鑽を積む。
1981年、28歳、第30回アルパジョン・コンクール/ピエス・モンテ部門に出場し、銅賞を受賞(唯一の日本人受賞者)
ピエス‐モンテ【(フランス)pièce montée】
砂糖や飴、チョコレートなど菓子の材料で作った細工物。
ウエディングケ-キのように積み上げた洋菓子。
お菓子の材料を使って製作される、展示・観賞用の造形作品のこと。
お店の装飾や宴席・イベントなどのために、製作されることが多い。
食用に作られるものではありませんが、すべて菓子材料で作ることが第一条件とされていて、製作に高度な技術を要するものだそうです。
1981年、28歳、帰国。
1983年、30歳、神戸ポートピアホテル内のレストラン「アラン・シャペル」にて専属パティシエとなる。
1987年、34歳、渡仏。アラン・シャペル本人からのオファーでフランス・ミオネーにある3つ星レストラン「Alain CHAPEL」にてシェフ・パティシエに就任。
アラン・シャペル本人から絶大なる信頼を得て、フランス・ミオネーの本店はもちろん、
世界中で行われたシャペルのフェアでも活躍したそうです。
1989年、36歳、帰国後、ホテルオークラ神戸の副製菓長就任。
1991年、38歳、ジャック・ボリーからのオファーで銀座「資生堂パーラー」「ロオジエ」の総製菓長就任
1997年、44歳、美家古食品(株)トロワグロ事業部 生産企画管理部長 総製菓長就任。
1998年、45歳、神戸マリンホテルズ舞子ビラ 総製菓長就任。
2001年、48歳、京都に菓子店「オ・グルニエ・ドール」を開店。
「オ・グルニエ・ドール」の名前の由来は・・・?
「AU GRENIER D’OR」はフランス語で金の蔵という意味
『GRENIER』は『蔵』で、『OR』は『金』
シェフの名前『金蔵』が由来となっています。
2001年、48歳から、お菓子教室「エスパス・キンゾー」も主宰しており、多くの生徒にお菓子作りのノウハウを伝えていました。
この少し後より65歳でオ・グルニエ・ドールを終える意向を公言していました。
2018年5月31日、65歳、計画通り17年の歴史に幕を降ろす、「オ・グルニエ・ドール」を閉店。
2018年10月15日、『オ・グルニエ・ドール』パティスリー跡地に、長男の西原裕勝氏が新たなパティスリー『ナンポルトクワ』を開店。
パティスリー『ナンポルトクワ』では、リンゴのタルトなどの定番商品が受け継がれています。
2019年6月1日、66歳、新たに土日限定営業の菓子店「コンフィズリーエスパス・キンゾー」を開店。
パティシエの年収は?
西原金蔵さんの年収、の前に、パティシエの一般的な、平均年収って、いくらぐらいなのでしょうか。
調べてみました。
パティシエの初任給は15万〜18万、なんだそうです。
どんな場所に就職したか、にもよりますが、パティシエの初任給はだいたい15万ほど、だそうです。
高くても18万ほど。
働き始めた頃の年収は、200〜300万円くらいが一般的だそうで、勤務先によっては200万円に届かないこともあるようです。
企業(大手の洋菓子チェーンや、食品製造メーカーやコンビニなどのスィーツ部門)に勤務する場合は、チーフ、リーダーなどの役職がありますが、昇進しても年収は500万円に届くかどうかというところ、ぐらいのようです。
たいへん厳しい世の中です。
この収入に加えて、パティシエの仕事は非常にハードなので、仕事を続けることができずに辞めてしまう人も、非常に多いらしいです。
パティシエの収入は、どうやって決まる?
・パティシエとしての経験
・職歴
・海外留学経験
どこどこの有名ホテルのレストランで、シェフ・パティシエをしていた、とか、
本場フランス・パリの有名レストランで、巨匠だれだれに弟子入りして修行した、とか、
○○のコンクールで、△△賞を受賞した、とか
そういうアピールポイントがあると、高収入で優遇採用されるらしいです。
統計では、パティシエの平均年収は約347万円。
アルバイト・パートの平均時給は999円、派遣社員の平均時給は1,300円らしいです。
いかがでしょうか。
西原金蔵のような、伝説級のパティシエはどのくらいの年収?
このようにたいへん厳しい職業ですが、シェフ・パティシエとして独立したり、オリジナル商品を作ってヒットさせることができれば、数千万円規模の年収を稼ぐことも、夢ではないといわれています。
西原さんの場合、30歳の時に、神戸ポートピアホテル内のレストラン「アラン・シャペル」で、専属パティシエに就任したあたりで、年収1000万円に、かなり迫っていたのではないかと思います。
40年ぐらい前ですので、その頃の基準も合わせて考える必要はありますが。
その後、世界中の「Alain CHAPEL」を廻り、「ホテルオークラ神戸」「資生堂パーラー」と、何度か職場を移っています。
職場が替わるたびに、ステップアップし、年収も増えたのではないかと考えられます。
で、全部のべて、勝手に推測ですが、西原金蔵さんの年収は、数千万円ぐらいになるのではないかと、考えられます。
西原金蔵のお菓子の特徴は?どれが人気?
西原さんのお菓子は、素材をとても大事にしており、季節のフルーツしか扱わないのだそうです。
店には常時20℃に保たれたフルーツ貯蔵庫があり、そこで熟成させたフルーツを使っているらしいです。
いつも、その日に焼いたケーキを提供し、冷凍保存などは一切していないのだそうです。
上の写真、『ビターチョコレートのシャーベット(冷菓)オレンジのマーマレードと共に、』ですが、
シャーベットは濃厚なのに軽やかな口当たりで、チョコレート好きにも最高。
添えてあるジューシーで爽やかなオレンジのマーマレードと合わせると、とても美味しかったです。
と、言う感想を見つけました。
番組では、もっとつっこんで取材していると思いますので、見るのがとても楽しみですね。
西原金蔵のプロフィール・経歴・年収、人気のお菓子の情報、まとめ
京都にこんな素敵なお菓子屋さんがあったなんて・・・。
なぜに、コロナでこんなに出かけるな、遠出をするな、県をまたぐな、と言われているさなかに、NHKは、この番組を放送することにしたのでしょうか。
いや、まあ、それはスケジュールとかあったんでしょうけども。
コロナが治まったら、ぜひ、京都に行って、食べてみたいなあ~~京都水尾ゆずのグラニテ。
しばし、京都に旅する妄想にふけりたいと思います。
最後まで読んでいただいて、ありがとうございました。
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