挟土秀平(はさどしゅうへい)さんという、スゴ腕の左官職人さんが話題です。
2016年の大河ドラマ 『真田丸』の、オープニング題字、覚えておりますでしょうか。
土で綺麗に塗られた壁に、左官のコテで 『真田丸』と書いてありました。
あの壁と文字を書いたのが挟土秀平さんです。
職業は左官職人さんなのですが、芸術的とも言える美しい壁をあちこちに造っていらっしゃいます。
いったいどんな経歴の方なのか、家族は?そして気になる年収はどのくらいでしょうか?
めっちゃ気になったので、調べてみました。
かるく挟土秀平さんのプロフィールを紹介します↓↓
挟土秀平のプロフィール
名前:挟土 秀平 (はさど しゅうへい)
誕生日:1962年7月1日
出身地:岐阜県高山市
職業:左官職人、ならびに、職人社秀平組およびフェノミナ代表
経歴:
左官職人として、熊本、名古屋などで修行
1983年に技能五輪全国大会左官部門優勝
1984年に技能五輪世界大会出場
その後地元に戻り、父の会社「挾土組」に所属し、美術館やホテルなどの壁を造る
2001年に、「挾土組」を退社し独立、「職人社秀平組」を設立。
個人情報にあたるものは、ほとんど公表しておりませんので、ご了承ください。
挟土秀平は、なぜ左官職人に?
さて、挟土秀平さんは、なぜ左官職人になったのでしょうか?
それはズバリ、お父さんが左官職人だったから。
保育所に通っていた頃から、「大きくなったら、しゃかんになる!」と決めていたそうです。
きっと、お父さんも素晴らしい左官職人だったのだろうと思います。
父親が立派な仕事をしていると、息子には変にプレッシャーがかかったり、イヤな所ばかりが見えて反発したりするものですが、そうならずに、お父さんと同じ職業を選んだ挟土さんは、潔くて立派だな、と思います。
きっと、お父さんもとても美しい仕事をしていらっしゃったんだろうと思います。
挟土さんは、修業を積んだ後お父さんの会社に入っていますし、親子関係も良好だったのでしょうね。
父と息子で、仕事のいろいろな話も出来たんだろうな、と思うと少しうらやましくなります。
挟土秀平の年収はどのくらい?
それでは、挟土秀平さんの年収は、いったいどのくらいなのでしょうか?
その前に、参考として、左官職人として働いている人たちの、平均的な年収はどのくらいなのでしょうか?
一般的な左官職人の年収は?
統計での調査によりますと、左官職人の方の平均年収は、だいたい417万円ぐらいだそうです。
日本のサラリーマンの、平均年収と比べると少し低い金額のようです。
月給で換算すると、おおよそ35万円ぐらい、初任給は月給21万円程度が相場だそうです。
腕前次第でいくらか昇給するとは言え、なかなかに厳しい世の中です。
挟土秀平の気になる年収はいったいどのくらい?
ではでは、挟土秀平さんの気になる年収は、いったいどのくらいなのでしょうか?
ここで重要な、参考にできる事実があります。
挟土秀平さんは左官職人でありながら、15人の凄腕左官職人を束ねる中小企業「職人社秀平組」の社長さんなのです。
中小企業の社長さんの年収は、統計での調査によりますと、実は会社によって大きな差がございまして・・・。
小さな会社・零細企業では、おおよそ、高くて平均600万円ぐらいから800万円ぐらい。
中堅どころの会社になると、約1,000万円ぐらいから2,000万円ぐらいが、一般的な金額なんだそうです。
もちろん、会社の業績・実績により、大きく金額は変わってきますので、一概には言えません。
ましてや、「職人社秀平組」は高級ホテルの壁を塗ったり、高級料亭の壁を塗ったりしていますし、挟土秀平さんは展覧会を開いたり、講演に出かけたりしています。
2,000万円~3,000万円くらいは稼いでいらっしゃるのではないかと、勝手に想像しておりますが、いかがでしょうか。
挟土秀平の家族構成は?妻や子どもはいる?
挟土さんは一般人です、個人情報にあたるものは、ほとんど公表しておりません。
公表しておりませんが、噂では、奥様とご子息がいらっしゃるそうです。
ご子息は20代後半、もうじき30歳ですので、もしかしたら、お孫さんとかもいらっしゃるかもしれませんね。
以前、挟土さんが48歳の時に受けたインタビューで、高校生の息子が左官職人を目指している、とお話されていたそうです。
ご子息も、どこか遠くの街に修業に行って、「職人社秀平組」に帰って来てたりするかも知れませんね。
だとしたら、本当に素敵な親子関係ですね。
挟土秀平の作品がスゴイ!年収・経歴・家族構成は?の情報、まとめ
という訳で、芸術家であり左官職人の挟土秀平さんの情報でした。
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