北口榛花選手は北海道旭川市出身で、旭川東高校からやり投げを始め、世界選手権とパリ五輪を制した金メダリストです。
幼少期の水泳・バドミントン、大学時代の故障、チェコでの武者修行を経て、日本記録67m38を樹立しました。この記事では、出身校から2026年の新体制までを時系列で紹介します。
北口榛花の出身地と学歴は?北海道旭川市から日本大学へ
北口榛花選手は、1998年3月16日に北海道旭川市で生まれました。小学校から高校まで旭川市内で学び、2016年4月に日本大学スポーツ科学部へ進学しています。
2026年8月時点の主なプロフィールと学歴は、次のとおりです。
- 名前:北口榛花(きたぐち・はるか)
- 生年月日:1998年3月16日
- 出身地:北海道旭川市
- 身長:179cm
- 出身小学校:北海道教育大学附属旭川小学校
- 出身中学校:北海道教育大学附属旭川中学校
- 出身高校:北海道旭川東高等学校
- 出身大学:日本大学スポーツ科学部競技スポーツ学科
- 所属:JAL(日本航空)
- 専門種目:女子やり投げ
- 自己ベスト:67m38(日本記録)
北海道教育大学附属旭川小学校、同附属旭川中学校を経て、北海道旭川東高校へ進学しました。旭川東高校でやり投げと出会ったため、旭川は生まれ育った土地であると同時に、世界女王への一歩を踏み出した場所でもあります。
高校卒業後は日本大学へ進み、競技スポーツ学科で学びながら陸上競技部に所属しました。2020年4月には日本航空へ入社し、以後はJAL所属のアスリートとして競技を続けています。
パリオリンピック後の2024年10月、北口選手は北海道へ凱旋しました。母校の北海道教育大学附属旭川小学校・中学校で開かれた報告会では、園児や児童、生徒、保護者、教職員ら約900人に迎えられています。
2024年10月13日には、旭川市から市民栄誉賞が贈られ、旭川平和通買物公園で凱旋パレードが行われました。旭川市が公表した資料によると、来場者は約4万8000人です。
北海道からも道民栄誉賞を授与されました。世界の頂点に立った選手をこれほど多くの人が迎えた光景からは、北口選手が旭川の人々にとって誇らしい存在であることが伝わってきますよね。
なお、所属先がJALであることと、日常的な練習拠点や生活拠点が常に日本にあることは別の話です。北口選手は長くチェコを含む海外でも練習してきたため、「出身地」「所属企業」「現在の練習拠点」は分けて考えるのが正確です。
北口榛花はいつやり投げを始めた?水泳・バドミントンから高校で転向
北口榛花選手がやり投げを始めたのは、北海道旭川東高校へ進学した後です。それ以前は水泳とバドミントンに取り組み、どちらの競技でも全国大会を経験していました。
水泳を始めたのは3歳の頃です。小学生になるとバドミントンにも本格的に取り組み、北海道教育大学附属旭川小学校時代には全国小学生大会の団体戦で優勝しました。
競泳でも全国大会に出場しています。つまり北口選手は、幼い頃から陸上競技だけに取り組んできた選手ではなく、複数の競技で身体能力を育てた後にやり投げへ進んだのです。
バドミントンの山口茜選手と小学生時代に対戦したというエピソードも、本人や関係者を取材した報道で紹介されています。ただし、大会名や試合結果まで一様に確認できる情報ではないため、「対戦経験が伝えられている」と慎重に捉えるのがよいでしょう。
水泳、バドミントン、やり投げは、一見すると関係の薄い競技に思えるかもしれません。しかし、いずれも全身の動きを適切な順番でつなぐことが重要です。
やり投げでは助走の勢いをそのまま腕力だけで押し出すのではありません。クロスステップから投げる側と反対の脚で体を受け止める「ブロック動作」を行い、下半身から体幹、肩、腕、やりへと力を伝えます。
水泳で培った全身のリズムや肩まわりの動き、バドミントンで覚えたフットワークや頭上から腕を振る感覚が、やり投げへの適応を助けた可能性はあります。ただし、これは各競技の特徴を踏まえた筆者の見方であり、北口選手自身がすべての動作を技術的に結びつけて説明したわけではありません。
北口選手をやり投げへ導いたのは、旭川東高校陸上部の顧問だった松橋昌巳さんです。松橋さんに誘われて競技を始めると、わずか約2か月で北海道大会を制しました。
用具の握り方、助走、クロスステップ、リリースまで一から覚える必要がある種目で、これほど短期間に結果を出したのですから驚かされます。複数競技で磨いた運動感覚に加え、新しい動きを吸収する力が高かったのでしょう。
高校2年生だった2014年7月31日には、全国高校総体を52m16で優勝。同年の国民体育大会でも53m15を投げて頂点に立ちました。
2015年1月には、日本陸上競技連盟が国際舞台での活躍を期待する若手を支援する「ダイヤモンドアスリート」に認定されます。競技開始からまだ日が浅い高校生が、将来の日本代表候補として評価されたのです。
同年7月16日、コロンビア・カリで開催された世界ユース選手権では、日本選手団の女子主将を務めました。女子やり投げで60m35を記録し、金メダルを獲得しています。
世界ユース選手権で使用されたのは、一般女子の600gとは異なる500g規格のやりです。そのため60m35を現在の自己ベストと単純に比べることはできませんが、高校生で世界大会を制した価値に変わりはありません。
2015年の全国高校総体では56m59で連覇し、国民体育大会では57m02の大会新記録を樹立。日本ジュニア選手権でも58m90の大会新記録・日本高校新記録で優勝しました。
高校から競技を始め、約2年で世界ユース女王になった歩みは、鮮やかな才能の開花そのものです。ただし、その後の道は決して順調な記録更新だけで続いたわけではありませんでした。

日本大学時代の右肘故障とチェコ渡航が転機になった理由
北口榛花選手は2016年4月、日本大学スポーツ科学部競技スポーツ学科へ入学しました。同年5月8日のゴールデングランプリ川崎では61m38を記録し、当時の日本歴代2位に相当する投てきで3位に入っています。
ところが同年6月、日本選手権を前に右肘の靱帯を損傷しました。大きな力が肩や肘を通過するやり投げにおいて、肘の故障は競技生活を左右しかねない問題です。
翌年には痛みが治まったものの、思うように記録を伸ばせない時期が続きました。それでも2017年9月の日本学生陸上競技対校選手権では、最終6投目に60m49を投げ、大会新記録で優勝しています。
北口選手の競技人生を変えたのは、2018年11月にフィンランドで参加したやり投げの国際講習会でした。当時は、継続して専門的な指導を受けられるコーチがいないという課題を抱えていたのです。
そこで出会ったのが、チェコでジュニア選手を指導していたデイビッド・セケラックさんでした。北口選手は指導内容に強くひかれ、英語でメールを送るなどして、自らコーチ就任を依頼します。
2019年2月には単身チェコへ渡り、約1か月にわたって直接指導を受けました。その後も日本とチェコを往復しながら、セケラックコーチとの練習を続けています。
意思疎通を深めるためにチェコ語も学び、現地メディアの取材にチェコ語で応じる姿も伝えられました。語学力を誇ることが目的ではなく、コーチの説明や練習環境をより深く理解するための手段として学んだ点が重要です。
私は、このチェコ渡航こそ北口選手の経歴を読み解くうえで最大の転機だったと考えます。優れた指導者が現れるのを待つのではなく、自分に必要な環境を探し、大学生の立場で海外へ飛び込んだからです。
一方で、この行動を「気持ちの強さ」だけで説明するのも十分ではありません。違う言語や文化の中で練習を続けるには、教わった内容を理解し、自分の感覚と照合し、試合で再現する作業が欠かせません。
北口選手の強さは大胆な決断力だけでなく、未知の技術を少しずつ自分の投てきへ落とし込む学習力にもあったのではないかしら、と感じます。
北口榛花の主要経歴は?日本記録67m38からパリ五輪金まで
北口榛花選手は2019年に初めて日本記録を更新し、東京オリンピック、世界選手権、ダイヤモンドリーグを経て、2024年パリオリンピックの金メダルへ到達しました。
主な経歴を時系列で整理すると、次のとおりです。
年 大会・出来事 記録・結果
2014年 全国高校総体 52m16で優勝
2015年 世界ユース選手権 60m35で金メダル(500g規格)
2019年 木南道孝記念大会 64m36の日本新記録
2019年 北九州陸上カーニバル 66m00の日本新記録
2021年 東京オリンピック 決勝進出・12位
2022年 パリ・ダイヤモンドリーグ 日本選手として同シリーズ初優勝
2022年 オレゴン世界選手権 63m27で銅メダル
2023年 ブダペスト世界選手権 66m73で金メダル
2023年 ダイヤモンドリーグ・ブリュッセル 67m38の日本記録
2023年 ダイヤモンドリーグファイナル 63m78で優勝
2024年 パリオリンピック 65m80で金メダル
2024年 ダイヤモンドリーグファイナル 66m13で優勝
2026年 日本選手権 62m86で5度目の優勝
2019年5月の木南道孝記念大会では、4投目に63m58、5投目に64m36を記録しました。海老原有希さんが保持していた従来の日本記録63m80を、56cm更新した日本新記録です。
同年6月の日本選手権では63m68の大会新記録で初優勝しました。一方、世界選手権では決勝進出ラインにわずか6cm届かず、予選で敗退しています。
その約1か月後となる10月27日、北九州陸上カーニバルで66m00を投げ、自身の日本記録を大幅に更新しました。世界選手権の悔しさを次の試合の記録へ変えたことからも、修正力の高さがうかがえます。
2021年の東京オリンピック予選では、8月3日の1投目に62m06を記録し、全体6位で決勝へ進みました。オリンピックで日本女子選手が60mを超えたのは初めてで、日本女子やり投げの決勝進出は1964年東京大会以来57年ぶりでした。
しかし、予選後に左脇腹の痛みが出たため、決勝は55m42で12位。本来の力を出し切ることはできませんでしたが、日本女子やり投げが世界の決勝で戦う扉を再び開きました。
2022年6月18日には、パリで行われたダイヤモンドリーグで優勝。世界の有力選手が集まるシリーズで、日本選手が種目を問わず優勝した初めての例となりました。
同年7月のオレゴン世界選手権では、決勝の最終6投目に63m27を投げて銅メダルを獲得します。日本女子のフィールド種目では、オリンピックと世界選手権を通じて初めてのメダルでした。
2023年8月26日のブダペスト世界選手権では、最終6投目に66m73を記録して逆転優勝。最後の一投を残した時点で4位という状況から、世界女王の座をつかみました。
同年9月8日のダイヤモンドリーグ・ブリュッセル大会では、67m38を投げて日本記録を更新。9月17日のダイヤモンドリーグファイナルも63m78で制しています。
そして2024年8月10日、パリオリンピック女子やり投げ決勝の1投目に65m80を記録しました。最後までこの記録を上回る選手は現れず、北口選手が6投目を投げる前に金メダルが確定しています。
日本女子がオリンピック陸上競技のマラソン以外で金メダルを獲得したのは初めてでした。予選でも1投目に62m58を投げ、自動通過ラインの62mを一度で突破しており、大舞台での試合運びも見事でしたね。
2025年の右肘痛と2026年のコーチ変更で何が変わった?
北口榛花選手は2025年に右肘の故障で苦しみ、2026年には約7年間続いたセケラックコーチとの体制を終え、ヤン・ゼレズニーさんを新コーチに迎えました。
2025年6月には右肘を痛め、日本選手権を棄権。復帰後のダイヤモンドリーグ・ローザンヌ大会は50m93、チューリヒ大会は60m72で6位となりました。
東京で開催された2025年世界選手権では60m38の全体14位となり、予選を通過できませんでした。パリオリンピック女王にとって、故障の影響と向き合う厳しいシーズンになったのです。
投てき選手の肘は、助走で生まれた力をやりへ伝える経路にあります。痛みがなくなったとしても、動作への不安、タイミングのずれ、無意識のかばい方まで一度に消えるとは限りません。
2026年1月、北口選手側から約7年間指導を受けたデイビッド・セケラックコーチとの契約終了が公表されました。長年の師弟関係を終える決断は、競技人生の大きな節目だったはずです。
その後、2026年2月の合宿を経て、男子やり投げの世界記録保持者ヤン・ゼレズニーさんから指導を受ける新体制へ移行。5月1日には、新コーチ就任が発表されました。
ゼレズニーコーチは男子やり投げの世界記録98m48を保持し、オリンピックを3連覇した競技史上屈指の選手です。ただし、名選手に教わればすぐに自己ベストが伸びる、という単純なものではありません。
2026年5月17日のセイコーゴールデングランプリでは59m53で5位でした。右肘の痛みはなくなっていたものの、新しく教わる内容を投てきへ落とし込む途中であることを北口選手自身も説明しています。
6月12日の第110回日本選手権では、5投目に62m86を記録し、2年ぶり5度目の優勝を達成しました。日本陸上競技連盟は同日、この成績とともにアジア大会代表内定を発表しています。
北口選手は日本陸連を通じた試合後のコメントで、62m86は手放しで喜べる記録ではないとしながらも、勝負のかかった試合で自分の殻を少し破れたと振り返りました。また、「復活」と言うには65m以上が必要だという趣旨も語っています。
ここに、今後を考えるうえで重要な基準があります。外部が62m86だけを見て完全復活と決めるのではなく、本人が目標とする65m以上を複数回、安定して投げられる状態まで戻せるかを見守る必要があるのです。
67m38・65m80・62m86の比較から見る今後の課題
北口榛花選手の今後を判断するには、自己ベスト67m38、パリ五輪優勝記録65m80、2026年日本選手権の62m86を同じ意味の数字として扱わないことが大切です。
67m38は、技術、体調、気象条件、試合展開が高い水準でかみ合った自己最高記録です。65m80は、オリンピック決勝の最初の一投で優勝を決定づけた、大舞台での再現性と勝負強さを示す記録でした。
一方、62m86は故障後、新しいコーチの技術を学んでいる段階で残した記録です。自己ベストには4m52及びませんが、勝負どころの5投目で逆転し、国内タイトルを取り戻した点に価値があります。
やり投げの記録は、助走速度だけで決まるものではありません。速く走れても、クロスステップ、踏み込み、ブロック、上半身の回転、やりを放す瞬間がずれれば、力は十分に伝わらないのです。
新体制で注目したいのは、助走の速さを投てきへ無理なく結びつけられるか、踏み切り側と反対の脚で体を受け止めるブロック動作を毎回再現できるか、安定した姿勢でやりをリリースできるかという点です。
リリース角などの具体的な数値や技術変更については、本人やコーチによる詳細な説明がない限り断定できません。ただ、北口選手が日本選手権後に「新しいことをたくさんやっている」という趣旨を明かしたことからも、複数の技術要素を整理している途中だと考えられます。
筆者としては、一試合だけの最大記録より、60m台前半から中盤を継続して投げられるかに注目したいと思います。試合ごとの最低記録が上がり、その中で65m以上を繰り返せるようになれば、世界の上位争いに戻る可能性は高まるでしょう。
北口選手の経歴を貫いているのは、単なる「天才」の物語ではありません。水泳とバドミントンからやり投げへ進み、故障後はチェコへ渡り、世界女王になった後も新しい指導者から学び直しています。
ただし、「適応力があるから今回も必ず成功する」と結論づけることはできません。長年かけて作った投てきに新しい考え方を取り入れる以上、試合で安定するまで時間が必要になる可能性もあります。
初出場となる2026年愛知・名古屋アジア大会は、結果を争うだけでなく、新体制で学んだ動作を大きな大会でも再現できるかを確認する舞台になります。北口選手自身が掲げた65mという目標へ、どこまで近づけるかが注目点です。
旭川で水泳とバドミントンに親しんだ少女は、高校で偶然のように出会ったやり投げを、自ら世界へつながる道へ変えました。私は、その歩みの魅力はメダルの色だけでなく、必要なことを学び直す勇気にあると感じます。
まとめ
北口榛花選手は北海道旭川市出身で、北海道教育大学附属旭川小学校・中学校、北海道旭川東高校、日本大学スポーツ科学部を経て、JAL所属のやり投げ選手になりました。
高校進学後に松橋昌巳さんの誘いでやり投げを始め、約2か月で北海道大会を制覇。2015年には世界ユース選手権で金メダルを獲得しました。
大学時代には右肘の故障や専門的な指導者の不在に直面しましたが、自らデイビッド・セケラックコーチへ連絡してチェコへ渡航。2019年に日本記録を更新し、2022年世界選手権銅メダル、2023年世界選手権金メダル、2024年パリオリンピック金メダルへつなげました。
自己ベストは、2023年9月8日にブリュッセルで記録した67m38です。2026年にはヤン・ゼレズニーコーチとの新体制を始め、日本選手権を62m86で制してアジア大会代表に内定しました。
故障からの完全復活を判断する目安は、本人も意識する65m以上の投てきを安定して出せるかどうかでしょう。旭川から世界へ羽ばたき、再び技術を学び直している北口選手の挑戦を、これからも温かく見守りたいですね。
よくある質問
北口榛花選手の出身地と出身校はどこですか?
出身地は北海道旭川市です。北海道教育大学附属旭川小学校・中学校、北海道旭川東高校を経て、日本大学スポーツ科学部競技スポーツ学科へ進学しました。
北口榛花選手はいつからやり投げを始めましたか?
北海道旭川東高校へ進学した後、陸上部顧問だった松橋昌巳さんに誘われて始めました。競技開始から約2か月で北海道大会を制しています。
北口榛花選手の自己ベストと主な実績は?
自己ベストは、2023年9月8日にブリュッセルで記録した67m38の日本記録です。2023年ブダペスト世界選手権と2024年パリオリンピックで金メダルを獲得しています。
春野滋(エンタメ&スポーツ愛好家ライター)


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