根附海龍選手は静岡県島田市出身です。中学・高校名は確認できず、プロ資格の取得時期も資料間で食い違いがあります。
2003年8月19日生まれの根附海龍選手は、7歳頃からスケートボードを始め、学生年代のうちに国内外で大きな実績を残しました。
特に2019年11月には、米国フロリダ州で開催された世界的なアマチュア大会「Tampa Am」で優勝しています。
一方、出身中学校と高校については、2026年8月15日までに確認した本人インタビュー、エイベックスの公式プロフィール、AJSA(日本スケートボード協会)の記録、所属先やスポンサーの選手紹介に具体的な校名が見当たりませんでした。
まず、調査結果を簡潔に整理します。
- 確認できたこと:2003年8月19日生まれ、静岡県島田市出身、7歳頃から競技を開始
- 確認できなかったこと:出身中学校名、高校名、在籍課程
- 資料間で一致しないこと:本人は「中学2年生でプロ」と説明する一方、競技記事は「2016年にAJSAプロ資格を取得」と紹介
- 学生年代の主要実績:2019年にAJSAプロ戦優勝、湘南オープン優勝、DAMN AM JAPAN準優勝、Tampa Am優勝
この記事では学校名を推測せず、公表資料で確かめられる出身地と学生年代の競技歴を中心に、情報の食い違いも隠さず整理します。
根附海龍の出身地はどこ?静岡県島田市と確認
根附海龍選手の出身地は、静岡県島田市です。
エイベックスの公式プロフィールとCORED株式会社の選手紹介には、根附選手が2003年8月19日生まれで、静岡県島田市出身であることが記載されています。
島田市も、公式SNSで根附選手を「島田市出身のプロスケーター」と紹介しています。複数の公表資料が一致しているため、出身地については信頼性の高い情報と判断できます。
島田市は静岡県中部に位置し、大井川や茶の産地として知られる地域です。ただし、根附選手がスケートボードへの憧れを強くした場所としては、同じ静岡県中部にある藤枝市も重要です。
2024年4月25日に公開されたエイベックスの本人インタビューによると、根附選手が初めてスケートボードに触れたのは7歳頃でした。
叔父がボードを持って遊びに来た際、最初は立って滑るのではなく、その上に座って遊んだそうです。CORED株式会社の紹介では「小学1年生から本格的に開始」とされており、時期はおおむね一致します。
その後、根附選手は藤枝市のスケートパークを訪れました。そこで年上のスケーターたちが滑る姿を見て、自分も格好よく滑れるようになりたいと思ったと振り返っています。
根附選手の競技の原点は、次のように整理できます。
項目 確認できた内容
出身地 静岡県島田市
生年月日 2003年8月19日
競技開始 7歳頃、小学1年生頃
最初のきっかけ 叔父が持ってきたボードで遊んだこと
憧れを深めた場所 静岡県藤枝市のスケートパーク
初期の活動拠点として記録される場所 F2O PARK
私が印象深く感じたのは、遠い世界のスターだけではなく、地域のパークで滑る年上のスケーターが憧れの対象になった点です。
子どもにとって、目の前で技を見せてくれる少し年上の存在は、「自分にもできるかもしれない」と思わせてくれる身近なお手本ですよね。島田市で育ち、藤枝市のパークで刺激を受けた地域環境が、競技を続ける入口になったと考えられます。
根附海龍の出身中学は?学校名は公表資料で未確認
根附海龍選手の出身中学校については、具体的な学校名を確認できませんでした。
2026年8月15日までに確認した主な資料は、次のとおりです。
- 2024年4月25日公開のエイベックス本人インタビュー
- エイベックスの公式プロフィール
- CORED株式会社の選手紹介
- AJSAの公認プロ選手名簿
- AJSAが公開する2016年の大会結果
- 静岡のスケートシーンを扱った2024年2月29日公開の競技記事
- 2019年Tampa Amの主催者公式結果
これらには、生年月日、出身地、競技を始めた年齢、所属、スポンサー、大会成績などは掲載されています。しかし、中学校名の記載は見当たりません。
ここで大切なのは、「学校名を確認できない」と「本人が非公表と発表した」は別の意味だということです。
根附選手本人や所属先が「中学校名は公表しません」と明言した事実までは確認できませんでした。そのため、「出身中学は非公表」と断定するより、「確認した公表資料の範囲では未確認」とするのが正確です。
静岡県島田市出身だからといって、市内の特定校を候補として挙げることもできません。
実際の通学先には通学区域だけでなく、転居、学校選択、私立校への進学など、外部からは分からない事情が関係します。本人や学校などによる裏づけがない校名を掲載すると、誤情報だけでなくプライバシー上の問題にもつながりかねません。
検索結果や個人の投稿に校名らしき情報があったとしても、それだけで学歴として確定させるべきではないと私は考えます。
プロ資格は「中学2年」と「2016年」のどちら?
中学時代の経歴で注意したいのが、プロ資格を得た時期に関する資料の食い違いです。
根附選手は2024年4月25日のエイベックスのインタビューで、プロになった時期を「中学2年生」と説明しています。
本人によると、その頃には中部地区の大会で決勝へ進んだり、表彰台へ上がったりする機会が増えていました。プロになれたことが、スケートボードで本格的に上を目指すきっかけの一つになったそうです。
一方、2024年2月29日に公開された静岡のスケートシーンに関する競技記事では、根附選手が2016年にAJSAのプロ資格を取得したと紹介されています。
ここには学年上のずれがあります。
根附選手は2003年8月19日生まれです。一般的な学年進行なら、2016年4月に中学校へ入学する年代であり、2016年度は中学1年生に当たります。
AJSAの2016年大会結果には、根附選手がF2O PARK所属として大会で3位に入った記録が残っています。また、AJSAの2017年版公認プロ名簿には、根附選手の名前、生年月日、F2O PARK所属という情報が掲載されています。
このため、公表資料から確認できる範囲は次のとおりです。
- 2016年のAJSA大会結果に根附選手の3位入賞記録がある
- 2017年のAJSA公認プロ名簿には根附選手が掲載されている
- 競技記事はAJSAプロ資格の取得年を2016年としている
- 本人はインタビューで「中学2年生でプロになった」と話している
- AJSAの公開ページだけでは、資格認定の正確な日付まで確認できない
したがって、現段階で「中学2年生の何月に取得した」「2016年のこの大会で正式に認定された」とまでは断定できません。
本人の記憶に基づく学年表現と、競技記事に記載された西暦のどちらかに整理上のずれがある可能性はありますが、根拠なく一方を間違いと決めることもできません。
この記事では、本人は中学2年生頃と説明し、別資料は2016年取得としているものの、正確な認定時期は確定できないという結論にとどめます。
資料の食い違いをそのまま示すのは、少し歯切れが悪く見えるかもしれません。しかし、分からない部分を分かったように埋めないことこそ、選手の経歴を誠実に伝えるうえで大切ですよね。
根附海龍の出身高校は?高校名と在籍課程も未確認
根附海龍選手の出身高校についても、今回確認した公表資料では具体的な学校名を確認できませんでした。
高校へ進学したかどうか、全日制、定時制、通信制などのどの課程に在籍していたかについても、確認資料には記載がありません。
そのため、インターネット上の情報だけから特定の高校名を挙げたり、競技活動の多さを理由に通信制高校だったと推測したりすることはできません。
2003年8月19日生まれの根附選手は、一般的な学年進行なら2019年4月に高校へ入学する年代です。
ただし、これは生年月日から計算した「高校1年生相当の年代」を示すだけで、実際の進学先や在籍状況を証明するものではありません。
学校名は分からなくても、高校1年生に相当する2019年に世界的な結果を残したことは、複数の大会記録から確認できます。
2019年に国内プロ戦とTampa Amで優勝
2019年は、根附海龍選手の学生年代を語るうえで外せない一年です。
主な成績は次のとおりです。
2019年の大会 根附海龍選手の成績
DAMN AM JAPAN 準優勝
AJSAプロツアー H.L.N.A. Cup 優勝
湘南オープン 優勝
Tampa Am 優勝
2019年7月7日、静岡市の東静岡アート&スポーツ/ヒロバで開催されたAJSAプロツアー「H.L.N.A. Cup」では、根附選手が優勝しました。
AJSAの大会報告によると、決勝ではバックサイド・ノーズブラントスライドを2本とも成功。さらに、ヒールフリップからバックサイド・リップスライドへつなぐ技や、ノーリー・インワードヒールフリップなどを滑りの中に組み込みました。
ここで重要なのは、単に「ヒール系が得意だった」という抽象的な評価ではありません。
AJSAの公式大会報告には、根附選手がどの技を決勝で成功させたかが具体的に記録されています。得意なヒール系を一発の見せ技だけにせず、レールやバンクを使った複数の技へ展開していたことが、確認できる事実から分かります。
2019年11月には、米国フロリダ州のSkatepark of Tampaで開催された「Tampa Am」に出場しました。
主催者が公開する2019年の公式結果では、根附選手は11月9日の予選で100人中9位、翌10日の準決勝で28人中2位となり、12人による決勝で優勝しています。
ラウンド 参加人数 根附海龍選手の順位
予選 100人 9位
準決勝 28人 2位
決勝 12人 1位
予選から決勝まで順位を9位、2位、1位と上げた流れは、とても興味深いですね。
ただし、この結果だけを根拠に「プレッシャーに必ず強い」「試合中に完璧に修正した」といった心理面まで断定することはできません。
確認できるのは、参加人数が絞られていく複数のラウンドを通過し、最後の12人による決勝で首位になったことです。その事実だけでも、一つのラウンドで偶然高得点を得たのではなく、勝ち上がり形式の大会で結果を重ねたことが伝わります。

国内プロの根附海龍がTampa Amに出場できた理由は?
根附海龍選手の経歴を見ると、「AJSAの公認プロなのに、なぜ“Am”と付くTampa Amへ出場できたの?」と疑問に思う方もいるでしょう。
結論として、AJSAの国内公認プロ資格を持つことだけで、Tampa Amへの出場資格が直ちに失われるわけではなかったと判断できます。
その直接的な根拠は、Tampa Amの主催者であるSkatepark of Tampaが、2019年の予選、準決勝、決勝の公式結果に根附選手を掲載していることです。
つまり、根附選手は主催者に出場を認められ、正式な参加選手として各ラウンドを勝ち上がっています。
一方で、「世界ではシグネチャーモデルを持つ選手だけが必ずプロになる」という単一の正式ルールが、すべての大会や団体に共通しているわけではありません。
スケートボード界では、大会主催者、国内団体、スポンサーやデッキブランドなどが、それぞれ異なる文脈で「プロ」「アマチュア」という言葉を用いることがあります。
2024年の『Tarzan』の取材で、根附選手自身も、日本ではプロとして活動しながら世界ではまだアマチュアであり、トップスケーターを目指しているという趣旨を話していました。
この本人の認識と、Tampa Am主催者が2019年の出場を正式に受け付けた記録を合わせると、国内のAJSA公認プロとTampa Amにおけるアマチュア区分は、同じ基準ではなかったと理解できます。
なお、現在公開されているTampa Amの大会案内には、指定大会での成績や主催者側の承認など、予選参加に関する条件が示されています。しかし、大会条件は年によって変更される可能性があります。
現在の条件をそのまま2019年へ当てはめることはせず、この記事では2019年の公式結果に根附選手が正式掲載されている事実を、出場可能だった最も確かな根拠とします。
学生時代の実績から見える根附海龍の強みは?
根附海龍選手の中学・高校名は確認できませんが、学生年代の競技歴からは、現在につながる強みを具体的に読み取れます。
第一の強みは、早い時期からヒール系トリックに個性を持たせていたことです。
AJSAが公開する2015年の大会報告には、根附選手が得意のヒールフリップ系に複数のグラインドトリックを組み合わせ、安定した滑りを見せたことが記されています。
本人は2024年のインタビューで、父親もスケートボードをしており、父親がヒールなら回せたことから自分もヒール系へ取り組んだと説明しました。
また、ほかの選手と重ならない技を意識してきたとも語っています。
父親との身近なやり取りから始まった技が、大会記録に残るほどの得意分野へ育ったのですから、温かさを感じるエピソードですよね。
第二の強みは、一つの技だけではなく、ヒール系を複数の障害物や技の組み合わせへ発展させていたことです。
2019年のH.L.N.A. Cupでは、ヒールフリップからレール技へつなぐ構成に加え、バンク間の移動でも高難度の回転技を成功させました。
筆者としては、この公式記録こそ、根附選手の学生時代を評価するうえで大切な材料だと考えます。
「メイク率が高い」「独創性がある」といった紹介文だけでなく、どの技を大会の決勝で成功させたのかを見ることで、個性が実戦の得点へ結びついていたことを具体的に理解できるからです。
第三の強みは、異なる性格の大会で結果を残したことです。
2019年には国内のAJSAプロ戦で優勝する一方、DAMN AM JAPANでは準優勝、米国のTampa Amでは優勝しました。参加者やコース、勝ち上がり方の異なる舞台で上位に入った事実は、学生年代ですでに活動範囲が国内だけに収まっていなかったことを示します。
学校名が分からないと、学歴記事としては情報が少なく見えるかもしれません。
けれども、根附選手の場合は「どの学校に通ったか」以上に、「学生年代にどの舞台で、どのような技を成功させたか」という競技上の成長記録が豊富に残っています。
根附海龍の学歴と学生時代をどう評価する?
根附海龍選手の学歴について、現時点で確実に書けるのは、出身中学校名と高校名が確認できないということです。
その一方、7歳頃にスケートボードを始め、中学年代にはAJSAの大会で入賞し、遅くとも2017年には公認プロ名簿へ掲載されていたことが分かります。
高校1年生相当の2019年には、国内プロ戦のH.L.N.A. Cupと湘南オープンで優勝。さらにDAMN AM JAPANで準優勝し、Tampa Amでは予選9位、準決勝2位、決勝1位という結果を残しました。
私見では、根附選手の学生時代を特徴づけるのは、地域のパークで育てた個性を、国内外の公式大会で通用する技へ磨いたことです。
叔父のボードが最初のきっかけとなり、藤枝市の年上のスケーターへ憧れ、父親の影響からヒール系を練習するようになりました。その身近な環境で生まれた技が、2015年のAJSA大会報告に記録され、2019年のプロ戦優勝やTampa Am制覇へつながっています。
もちろん、個々の大会結果だけから、練習方法や心理状態を細部まで決めつけることはできません。
それでも、2015年と2019年のAJSA公式記録を比べると、早くから得意だったヒール系を、数年かけて複雑なレール技や回転技へ広げていった過程は読み取れます。
その後、根附選手は2021年と2022年のTampa Proで決勝に進み、2023年12月には東京・有明コロシアムで開催されたストリート世界選手権で銀メダルを獲得しました。
2024年3月には、ドバイで開催されたWorld Skateboarding Tourの男子ストリートでも優勝しています。
後年の結果を見ても、2019年のTampa Am優勝は孤立した一度だけの成功ではなく、世界大会で戦う選手へ成長する過程の大きな節目だったと考えられます。
学校名を無理に探し当てるより、確認できる競技記録を丁寧に追うほうが、根附選手が学生時代に積み上げたものを正確に伝えられるのではないかしらと感じます。
まとめ
根附海龍選手は、2003年8月19日生まれの静岡県島田市出身です。
7歳頃、叔父が持ってきたスケートボードで遊んだことをきっかけに競技を始め、藤枝市のスケートパークで滑る年上の選手たちに憧れました。
出身中学校と高校については、2026年8月15日までに確認した本人インタビュー、公式プロフィール、AJSAの記録、所属先やスポンサーの紹介に具体的な校名がありません。
また、プロ資格の取得時期については、本人が「中学2年生」と説明する一方、競技記事は「2016年」としています。
AJSA公式記録では2016年の大会3位と2017年の公認プロ名簿掲載までは確認できますが、正確な認定日を特定できないため、現時点では資料間に不一致が残るという結論です。
高校1年生相当の2019年には、AJSAプロ戦と湘南オープンで優勝し、DAMN AM JAPANで準優勝。Tampa Amでは100人による予選を9位、28人による準決勝を2位で通過し、12人による決勝で優勝しました。
国内でAJSA公認プロだった根附選手がTampa Amへ出場できた直接的な根拠は、主催者が2019年の正式な出場選手として各ラウンドの結果に掲載していることです。国内団体と海外大会では、「プロ」と「アマチュア」の区分が必ずしも同一ではありません。
根附海龍選手の学生時代は、学校名こそ確認できないものの、地域のスケートパークで育てたヒール系トリックを国内外の大会で通用する武器へ磨いた、実りの多い時期だったと評価できます。
よくある質問
根附海龍の出身地はどこですか?
根附海龍選手は静岡県島田市出身です。7歳頃からスケートボードを始め、藤枝市のスケートパークで年上のスケーターに憧れながら競技へ取り組みました。
根附海龍の出身中学・高校はどこですか?
2026年8月15日までに確認した本人インタビュー、公式プロフィール、AJSAの記録、所属先やスポンサーの紹介では、具体的な中学校名と高校名を確認できませんでした。「本人が非公表と発表した」のではなく、確認資料の範囲で未確認という状況です。
根附海龍がプロになったのはいつですか?
本人は2024年のインタビューで「中学2年生」と説明していますが、別の競技記事はAJSAプロ資格の取得年を2016年としています。AJSA公式資料では2016年の大会入賞と2017年の公認プロ名簿掲載を確認できるものの、正確な認定日は特定できていません。
春野 滋(エンタメ&スポーツ愛好家ライター)


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