佐々木音憧の中学・高校と出身地は?スケート人生の歩みを解説

三重県四日市市で育ち中学高校時代を経て世界王者になった佐々木音憧選手 スケートボード

佐々木音憧選手は三重県四日市市出身で、山手中学校から第一学院高校四日市キャンパスへ進み、競技と学業を両立しました。

高校時代は愛知県蒲郡市へ生活拠点を移し、兄や仲間との共同生活を経験。2024年には17歳で世界選手権男子ストリートを制しています。

佐々木音憧の中学・高校・出身地は?

佐々木音憧選手の学歴と出身地について、2026年8月16日時点で確認できる情報を先に整理します。

  • 名前:佐々木音憧(ささき・とあ)
  • 生年月日:2007年2月28日
  • 出身地:三重県四日市市
  • 出身中学校:四日市市立山手中学校
  • 出身高校:第一学院高等学校
  • 在籍キャンパス:四日市キャンパス
  • 高校卒業後の状況:第一学院高校が2026年7月22日に「卒業生」と公表
  • 高校時代の主な練習・生活拠点:愛知県蒲郡市
  • 主な練習施設:DELIC SKATEPARK
  • 種目:スケートボード男子ストリート

以前の報道では「通信制高校に通う」とだけ紹介され、具体的な高校名が明らかになっていませんでした。

しかし、第一学院高校は2024年10月24日、佐々木選手を「四日市キャンパス3年生」として公式に紹介。さらに2026年7月22日には、同校の「卒業生」であることを明記しています。

したがって、現在は「高校名は非公表」ではなく、第一学院高校四日市キャンパスで学び、すでに卒業していると確認できます。

情報は公表時期によって変わることがあります。古い記事だけを参照すると高校名や卒業状況を見落とすため、学校自身による最新の発表まで確認することが大切ですね。


佐々木音憧の中学は四日市市立山手中学校

佐々木音憧選手の出身中学校は、三重県四日市市にある四日市市立山手中学校です。

四日市市は2024年9月19日、佐々木選手の世界選手権優勝を伝える公式発表で、「本市出身(山手中学校卒業)」と明記しました。

出身地と中学校の両方を地元自治体が示しているため、信頼性の高い情報といえるでしょう。

佐々木選手は2007年2月28日生まれです。所属事務所BENNUの公式プロフィールでは出身地を三重県、競技種目をストリートとしています。

スケートボード専門メディア「VHSMAG」が2019年10月23日に掲載したプロフィールでは、当時の佐々木選手は「三重在住の中学生スケーター」と紹介されていました。

同プロフィールによると、スケートボードを始めたのは2011年です。生年月日から計算すると、4歳頃からボードに乗っていたことになります。

世界王者になった2024年まで、約13年間にわたって経験を積んでいたわけです。17歳という若さだけが注目されがちですが、その背景には幼少期からの長い練習歴がありました。

中学生時代にはU-15大会で優勝

中学生時代の佐々木選手は、15歳以下のスケーターを対象としたコンテスト「Next Generations」で優勝しています。

2019年のVHSMAGのプロフィールでは、印象に残るトリックとして「270ノーズブラント」を挙げていました。

270は空中での回転角度を表します。ノーズブラントは、ボード前方のノーズ付近を縁石やレールなどへ掛けるようにして滑るトリックです。

回転しながら障害物へ正確にボードを合わせるため、進入速度、身体の軸、ボードの位置、着地までを細かく制御しなければなりません。

中学生の段階で、こうした難度の高い技を大会の勝負どころで使っていた点に、佐々木選手の特徴が表れています。

単に大技へ挑戦するだけでなく、成功させて得点につなげる力を早くから身につけていたのでしょう。

当時のスタンスはレギュラーで、左足を前に置いて滑る構えです。憧れの選手には、力強いトリックで知られる米国のクリス・ジョスリン選手を挙げていました。

将来の目標は、世界最高峰のストリート競技シリーズ「SLS(ストリート・リーグ・スケートボーディング)」への出場でした。

一方、スケートボード以外で好きなものを尋ねられると「ゲーム」と答え、当時遊んでいたタイトルには「Fortnite」を挙げています。

世界を目指す大胆な滑りと、ごく普通の中学生らしい一面。その両方を持っていたことに、親しみを感じる方も多いのではないでしょうか。

四日市市の環境が競技の原点になった

2019年当時、佐々木選手は三重県のスケートショップ兼パーク「Blackline」を拠点の一つとして技を磨いていました。

VHSMAGのスポンサー欄にはBlacklineとともに「MxMxM Skateboards」の名前も記載されています。

スケートボードは個人競技に見えますが、日々の練習では仲間の滑りを見て試し、失敗した原因を話し合い、成功を喜び合う文化があります。

四日市市は単なる出生地ではありません。佐々木選手が幼少期から中学校卒業まで滑り続け、技術の土台を築いた場所なのです。

2022年2月7日付の地域紙「YOUよっかいち」によると、佐々木選手は兄の佐々木来夢選手と四日市市役所を訪問。当時、三重県にはスケートパークが少ないため、もっと仲間が増えたらうれしいという趣旨の思いも語っていました。

この発言からは、自分だけが強くなればよいのではなく、地元で競技を楽しむ仲間が増えることも願っていた様子がうかがえます。


佐々木音憧の高校は第一学院高校

佐々木音憧選手が通った高校は、第一学院高等学校です

第一学院高校は、通信制課程を設けている高等学校です。同校の公式発表によると、佐々木選手は四日市キャンパスに在籍していました。

2024年10月24日の学校公式記事では、「第一学院高校 四日市キャンパス3年生」として世界選手権優勝を紹介しています。

さらに2026年7月22日には、佐々木選手が第20回アジア競技大会の男子ストリート日本代表に選ばれたことを伝え、その中で「第一学院高校の卒業生」と明記しました。

時系列にすると、次のようになります。

  • 2023年12月:報道では通信制高校で学んでいると紹介
  • 2024年10月24日:第一学院高校が四日市キャンパス3年生と公表
  • 2026年7月22日:第一学院高校が卒業生と公表

このため、「通信制高校に通っていた」という以前からの情報に加え、現在は学校名と卒業歴まで確認できます。

なお、「四日市キャンパス在籍」と「生活拠点が愛知県蒲郡市だった」という情報は矛盾しません。

第一学院高校で学習を続けながら、競技環境を求めて蒲郡市に暮らし、国内外で練習や大会出場を重ねていたということです。

通信制高校を選んだ理由は競技との両立

スケートボードの世界大会に挑む選手は、国内の学校行事だけを基準に生活を組み立てることができません。

大会の日程、海外遠征、移動時間、体調、パークの使用状況などに応じて、学習と練習の予定を調整する必要があります。

第一学院高校は2024年10月の発表で、佐々木選手が同校で学びながら、米国でもトレーニングしていると紹介しました。

つまり、通信制高校は競技だけを優先して学業を手放すための選択ではありません。学習を継続しながら、国内外で練習する時間を確保するための仕組みだったと考えられます。

競技に合わせて学び方を柔軟に設計したからこそ、高校生活と世界への挑戦を同時に進められたのでしょう。


高校時代に四日市市から蒲郡市へ移った理由は?

佐々木音憧選手は高校時代、より充実した練習環境を求めて愛知県蒲郡市へ生活拠点を移しました。

2024年9月17日付の日刊スポーツは、佐々木選手が蒲郡市で兄の佐々木来夢選手、小鈴祥大選手と共同生活を送っていると報じています。

3人にとってホームパークとなったのが、蒲郡市蒲郡町にある「DELIC SKATEPARK」です。

Japan Street League実行委員会による2023年10月1日の大会「PUNK HEAPS」も同施設で開催され、佐々木音憧選手、来夢選手、小鈴選手らが招待選手として出場しました。

佐々木選手にとって蒲郡市は、出身地ではなく、世界で戦う技術を高めるために選んだ練習・生活拠点です。

原点は三重県四日市市、本格的な強化拠点は愛知県蒲郡市と整理すると分かりやすいでしょう。

※画像はAIによるイメージ

兄と仲間との共同生活で自己管理を学ぶ

共同生活では、佐々木音憧選手が3人分の料理を担当していました。

日刊スポーツの2024年9月17日付記事でも、本人が料理を作り、技の調子が悪いときには来夢選手や小鈴選手から助言を受けていることが紹介されています。

以前の密着報道では、来夢選手が洗濯、小鈴選手が皿洗いや掃除を担当し、音憧選手はスマートフォンでレシピを調べながら食事を作っていたと伝えられました。

評判のよかった料理としてカレーを挙げるなど、世界を目指す選手たちにも身近な生活があったのですね。

練習は昼過ぎから午後9時頃まで続き、パークの店番やスクールでの指導を担当することもありました。

親元を離れたことで、食事や睡眠、練習時間を自分で管理し、不調の原因も自分たちで考える必要が生まれます。

私は、この生活が競技面にもたらした最大の効果は、単なる練習量の増加ではなく、技を修正するための対話が日常になったことだと考えます。

ストリート種目では、わずかな身体の傾きや踏み切り位置の違いが成否を分けます。身近にいる実力者からすぐに動きを指摘してもらえる環境は、ベストトリックの成功率を高めるうえで大きな意味を持ったはずです。

スクールで教える経験も成長につながった可能性

佐々木選手は練習するだけでなく、スクールで生徒にスケートボードを教える仕事にも携わりました。

自分では自然にできる技でも、初心者に説明するときは、足の位置、目線、踏み切るタイミングなどに分解しなければなりません。

これは本人が直接語った効果ではありませんが、筆者としては、教える経験が自分の動きを客観視する力につながった可能性があると見ています。

感覚だけに頼らず、動作を言葉にして整理できれば、不調時にも修正点を見つけやすくなります。

共同生活、スクールでの指導、長時間の練習は別々の経験ではなく、自分の状態を把握して技を整える能力を育てる一続きの環境だったのではないでしょうか。


学歴と練習環境は世界選手権優勝にどう結びついた?

佐々木音憧選手は2024年9月14日、イタリア・ローマで行われたワールドスケートゲームズの男子ストリート決勝で、合計276.64点を記録して初優勝しました。

Olympics.comは、2位以下に10点以上の差をつけたと報道。四日市市は2024年9月19日の公式発表で、2位に11点以上の差をつけ、男子史上最年少で優勝したとする森智広市長のコメントを掲載しています。

「最年少優勝」という情報は年齢だけから推測したものではなく、四日市市の公式発表と日刊スポーツの2024年9月17日付報道で確認できます。

当時17歳だった佐々木選手は、日本勢では堀米雄斗選手、白井空良選手に続いて男子ストリートの世界王者となりました。

276.64点と得点差が示す競技上の強み

ストリート競技は、階段、手すり、縁石などを模したコースで技の難度、完成度、独創性などを競います。

大技を持っているだけでは勝てません。決勝という緊張感の中で技を成功させ、採点対象となる得点を積み上げる再現性が求められます。

佐々木選手は世界選手権後、高得点につながったトリックについて、今後も世界で戦える技になったという趣旨の手応えを語っています。このコメントは第一学院高校の2024年10月24日付発表や日刊スポーツの記事でも紹介されました。

ここで重要なのは、276.64点という合計点だけではありません。

2位に11点以上の差をつけた事実は、優勝争いが僅差の偶然で決まったのではなく、佐々木選手の得点力が大会の中で明確に抜けていたことを示します。

パリ五輪の代表選考では出場権を獲得できませんでしたが、その後はベストトリックの成功率向上に取り組んだと日刊スポーツが報じています。

蒲郡市で仲間から細かな助言を受けられる環境は、この「高難度の技を本番で決める力」を磨くうえで相性がよかったと考えられます。

日本男子ストリートでの立ち位置

日本男子ストリートには、五輪連覇を果たした堀米雄斗選手、世界選手権優勝経験を持つ白井空良選手、若くして国際舞台で結果を残してきた小野寺吟雲選手らがいます。

世界選手権を制した佐々木選手であっても、日本代表の座が自動的に約束されるわけではありません。

一方で、17歳で世界一になり、11点以上の得点差をつけた実績は、国際大会で優勝を狙える技の難度と勝負強さを備えていることの証明です。

第一学院高校は2026年7月22日、佐々木選手が同年9月に愛知県で開催される第20回アジア競技大会の男子ストリート日本代表に選出されたと発表しました。

学校を卒業して競技へ取り組む現在も、四日市市で育った原点と蒲郡市で築いた練習環境が、次の国際舞台へつながっています。


佐々木音憧の学歴と経歴から見える強さを考察

佐々木音憧選手の学歴をたどると、世界選手権優勝は突然生まれた快挙ではないことが分かります。

4歳頃に競技を始め、山手中学校時代にはU-15大会で優勝。第一学院高校では柔軟な学習環境を活用しながら、蒲郡市や米国でトレーニングを重ねました。

私が特に注目したいのは、成長段階に応じて環境を変えている点です。

四日市市で競技の基礎を築き、練習の質をさらに高める必要が生じると、蒲郡市へ移って兄や仲間と暮らしました。海外での経験が必要になれば、学業を続けながら米国でも練習しています。

これは、通信制高校だから自然に実現したものではありません。

学習課題、食事、家事、仕事、練習、遠征を自分で組み合わせ、自由度の高い環境を競技力へ変える自己管理が必要です。

また、共同生活の価値は精神論だけでは語れません。

技の調子が悪いとき、近くにいる実力者へすぐ相談できることは、動作修正の速度を上げます。世界選手権前に取り組んだベストトリックの成功率向上にも、こうした日常的なフィードバックが役立った可能性があります。

世界選手権の276.64点と11点以上の得点差は、高難度の技を持つだけでなく、決勝で得点へ変えられた結果です。

私は、四日市市で積み上げた長い競技歴、第一学院高校での柔軟な学び、蒲郡市での共同生活が、それぞれ「経験」「時間」「修正力」を補い合ったと考えます。

2028年ロサンゼルス五輪へ向けた代表争いは厳しくなるでしょう。それでも、パリ五輪に届かなかった後に世界選手権を制した事実は、課題を分析して次の結果へ結びつけられる選手であることを示しています。

世界王者という肩書だけでなく、環境が変わっても自分に必要な練習方法を探せること。それこそが、今後の長い競技生活を支える佐々木選手の強みではないかしら。


まとめ

佐々木音憧選手は、三重県四日市市出身のスケートボーダーです。

中学校は四日市市立山手中学校、高校は第一学院高等学校四日市キャンパスで、同校は2026年7月22日の公式発表で佐々木選手を卒業生と紹介しています。

高校時代には愛知県蒲郡市へ生活拠点を移し、DELIC SKATEPARKの近くで兄の佐々木来夢選手、小鈴祥大選手と共同生活を送りました。

料理や仕事も担当しながら練習を続け、仲間から技術的な助言を受けられる環境を築いたことが、競技者としての自立と技の再現性を高めたと考えられます。

2024年9月14日には、ローマで行われた世界選手権男子ストリートを276.64点で制覇。四日市市の公式発表によると、2位に11点以上の差をつけ、男子史上最年少優勝を達成しました。

山手中学校から第一学院高校へ進み、四日市市から蒲郡市、さらに海外へと練習の範囲を広げた佐々木選手。その学歴と経歴には、世界で勝つために学び方や生活環境を自ら整えてきた歩みが表れています。


よくある質問

佐々木音憧の名前は何と読む?

「佐々木音憧」は、ささき・とあと読みます。2007年2月28日生まれで、種目はスケートボード男子ストリートです。

佐々木音憧の出身中学校はどこ?

三重県四日市市にある四日市市立山手中学校です。四日市市が2024年9月19日の公式発表で「山手中学校卒業」と明記しています。

佐々木音憧の高校はどこ?

第一学院高等学校四日市キャンパスです。学校側は2024年10月24日に四日市キャンパス3年生として紹介し、2026年7月22日には卒業生と公表しています。

春野滋(エンタメ&スポーツ愛好家ライター)

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