塩貝健人選手の出身小学校・中学校名は非公表ですが、年代ごとの所属クラブと成長の歩みは確認できます。
小学生年代はバディサッカークラブ江東や大森FC、中学生年代は横浜FCジュニアユースでプレーしました。ただし、これらは通学先の学校名ではありません。
塩貝健人の出身小学校・中学校はどこ?
結論からお伝えすると、塩貝健人選手が通っていた小学校と中学校の正式名称は、2026年8月28日までに確認できた公表資料には記載されていません。
日本サッカー協会(JFA)の選手情報、所属クラブの発表、本人が執筆した慶應義塾体育会ソッカー部のブログなどには競技歴が掲載されていますが、出身小学校・中学校の校名は明らかにされていないのです。
現時点で確認できる情報を整理すると、次のようになります。
区分 確認できた情報 確認状況
出身小学校 正式な学校名は公表資料に記載なし 非公表
小学生年代の所属 バディサッカークラブ江東、大森FCなど JFAの所属歴で確認
出身中学校 正式な学校名は公表資料に記載なし 非公表
中学生年代の所属 横浜FCジュニアユース JFAや本人ブログで確認
高校 國學院大學久我山高等学校 公表資料で確認
ここで注意したいのが、学校名とサッカークラブ名は別の情報だという点です。
バディサッカークラブ江東や大森FCは小学生年代の選手が活動するクラブであり、横浜FCジュニアユースはJリーグクラブの育成組織です。いずれも塩貝選手が通っていた学校の名称ではありません。
したがって、「塩貝健人選手の中学校は横浜FC」という説明は正確ではありません。
正しくは、通学先の中学校名は非公表で、中学生年代の2017年から2019年まで横浜FCジュニアユースに所属していたとなります。
東京都出身というプロフィールや、所属クラブの活動地域だけを根拠に学校名を推測することもできません。クラブには広い地域から選手が通うことがあり、練習拠点と自宅や学校が同じ地域にあるとは限らないからです。
本人や学校、クラブが公表していない以上、特定の学校名を挙げず「非公表」と整理するのが、最も正確で誠実な伝え方でしょう。
塩貝健人は小学生時代にどのクラブへ所属した?
塩貝健人選手は、慶應義塾体育会ソッカー部が2023年5月1日に公開した本人執筆の部員ブログ「負けず嫌い」で、小学1年生からサッカーを始めたと振り返っています。
塩貝選手は2005年3月26日生まれです。一般的な学齢に当てはめると、サッカーを始めたのは2011年度ごろと考えられます。
本人は大学1年生だった2023年のブログで、それまでの競技生活を約12年間と表現していました。小学校入学後から長くボールを追い続けてきたことが分かりますね。
小学生年代の所属先を確認するうえで重要なのが、JFAが2024年1月25日に公表した「2024年JFA・Jリーグ特別指定選手」の選手紹介です。
同資料には、塩貝選手の所属歴が次の順番で記載されています。
- バディサッカークラブ江東
- 大森FC
- バディサッカークラブ江東
- 横浜FCジュニアユース
- 國學院大學久我山高等学校
- 慶應義塾体育会ソッカー部
この公式な所属歴から、塩貝選手は小学生年代に、バディサッカークラブ江東から大森FCへ移り、その後再びバディサッカークラブ江東でプレーしたことが確認できます。
一つのクラブだけで小学生時代を過ごしたのではなく、複数のチームを経験していたのですね。
一部の二次的なプロフィールでは、小学生年代の所属先として「月島ポーラベア」という名称が紹介されることもあります。
しかし、JFAが2024年1月25日に公表した特別指定選手の所属歴には、月島ポーラベアの記載がありません。今回確認できた一次情報だけでは、在籍の有無や時期、JFA掲載歴との関係を確定できないため、本記事では公式資料に記載された所属先を中心に扱います。
バディSC江東では第9期卒団生
バディスポーツは、塩貝健人選手をバディSC江東の第9期卒団生として紹介しています。
2024年に塩貝選手が横浜F・マリノスのJFA・Jリーグ特別指定選手としてJ1リーグに出場した際にも、卒団生の活躍として取り上げました。
「卒団生」という公表情報からは、塩貝選手が小学生年代の終盤にバディSC江東で活動し、同クラブを卒団して次のカテゴリーへ進んだことが読み取れます。
ただし、バディSC江東に所属していた事実と、バディの名称を持つ教育施設や特定の小学校へ通っていたかどうかは別問題です。
「バディ出身」という言葉だけで通学先まで結びつけることはできません。この区別は、塩貝選手の出身小学校を調べる際に、ぜひ押さえておきたいポイントです。
小学生年代にクラブを移った理由についても、本人が具体的に説明した一次資料は確認できませんでした。
練習環境、出場機会、家族の事情などを外部から想像することはできますが、裏づけのない理由を本人の物語として語るべきではありません。確認できるのは、JFAが示した所属順と、バディスポーツによる第9期卒団生という情報までです。
筆者として興味深く感じるのは、塩貝選手が早い時期から複数のクラブ環境を経験していることです。
指導者や仲間、練習方法、試合で求められる役割は、チームが変われば少しずつ違います。こうした経験が後の適応力につながった可能性は考えられますが、これは所属歴を踏まえた筆者の見方であり、本人が明言した事実ではありません。
塩貝健人の中学校時代は横浜FCジュニアユース
塩貝健人選手は、2017年から2019年まで横浜FCジュニアユースに所属していました。
2005年3月生まれの塩貝選手にとって、2017年度は中学1年生、2019年度は中学3年生に当たります。中学生の3年間を、Jクラブのアカデミーで過ごしたことになりますね。
横浜FCジュニアユースは、中学校の部活動ではありません。
Jリーグクラブである横浜FCが設けている育成組織のうち、主に中学生年代の選手が所属するカテゴリーです。その上には、主に高校生年代が活動する横浜FCユースがあります。
ジュニアユースには、各地域のクラブなどでプレーしてきた選手たちが集まります。塩貝選手も小学生年代の活動を経て選考を通過し、横浜FCの育成組織へ進みました。
その事実から、当時の育成年代で一定の評価を得ていたことはうかがえます。ただし、具体的にどの能力が評価されたのかは公表されていないため、それ以上の断定はできません。
そして、Jクラブのジュニアユースに所属できたからといって、すべての選手が試合へ出られるわけではありません。
将来のプロ入りを目指す選手が集まる環境では、日々の練習からポジション争いが続きます。試合ごとのメンバー選考に加え、ジュニアユースからユースへ進む際にも選考があります。
塩貝選手の中学時代も、決して順調な出来事ばかりではありませんでした。
一人だけ試合へ出場できなかった悔しい経験
塩貝健人選手は、2023年5月1日に公開された慶應義塾体育会ソッカー部の部員ブログ「負けず嫌い」で、中学時代の忘れられない試合について記しています。
本人が「クラブユース関東予選1回戦」と表現した試合では、横浜FCの快勝が予想されていたため、塩貝選手も出場機会があると考えていたそうです。
そのため、前半からウォーミングアップを始めて出番に備えていました。
試合が進むと横浜FCは得点を重ね、ベンチにいた選手たちが次々と交代でピッチへ入っていきます。
ところが、最後まで塩貝選手の名前だけは呼ばれませんでした。
本人は、泣きそうになりながらピッチ脇でステップを続けた記憶が、大学生になっても鮮明に残っているという趣旨で振り返っています。
本人ブログには開催年、対戦相手、最終スコアまでは記載されていません。このため、年代から特定の大会や試合を推測して結びつけることは避ける必要があります。
このエピソードで印象に残るのは、単にベンチで試合を見ていたのではなく、塩貝選手が「自分にも出番が来る」と信じて準備を続けていたことです。
ほかの選手が次々と起用されるなかで、自分だけが残される時間は、中学生にとって胸が締めつけられるようなものだったでしょう。そう考えるのは筆者の受け止めですが、本人がこの経験を「負けず嫌い」という題名のブログで取り上げたことからも、強く記憶に残る出来事だったと分かります。
成功した後の経歴だけを眺めると、塩貝選手は育成年代から常に中心選手だったように見えるかもしれません。
しかし、本人の言葉から見えてくるのは、出場を期待しながら最後まで選ばれなかった経験も抱えていた、一人の少年の姿です。華やかな実績だけでは分からない原点といえるのではないかしら。

塩貝健人はなぜ横浜FCユースへ昇格しなかった?
塩貝健人選手は、横浜FCジュニアユースから高校生年代の横浜FCユースへ内部昇格していません。
本人は2023年5月1日のブログで、中学時代に思うような結果を残せず、ユースへ上がることができなかったという経緯を明かしています。
ただし、横浜FCによる具体的な選考理由は公表されていません。
得点数、技術、身体能力、戦術との相性など、選考にはさまざまな要素があった可能性があります。しかし、横浜FCや本人が説明していない以上、「この能力が足りなかったから」と外部から断定することはできません。
本人が公表している事実は、中学時代に満足できる結果を残せず、ユースへ昇格できなかったというところまでです。
ジュニアユースからユースへの昇格は、所属選手全員に保証された進路ではありません。昇格しなかった選手は、高校のサッカー部、別クラブのユース、地域クラブなど、それぞれ新しい環境を探します。
塩貝選手が選んだ次の道は、國學院大學久我山高等学校のサッカー部でした。
本人ブログによると、2020年にスポーツ推薦で入学しています。ところが、高校に進めばすぐに中心選手になれたわけではなく、1年時は主にCチームで活動しました。
スポーツ推薦で入学したにもかかわらず、監督から名前ではなくビブスの番号で呼ばれていた時期もあったと、本人が明かしています。
中学最後の進路選考でユースへ昇格できず、高校でも下位チームから出発したことになります。
この二つの事実を並べると、塩貝選手の歩みが、育成年代で一度評価されたまま順調に上がっていく一本道ではなかったことがよく分かります。
高校・大学という別ルートで評価を高めた
塩貝健人選手は國學院大學久我山高校で力を伸ばし、その後、慶應義塾大学へ進学しました。
JFAが2023年11月22日に公表したU-18日本代表の招集メンバーには、慶應義塾大学所属のフォワードとして塩貝選手の名前が掲載されています。
ここで大切なのは、当時の招集がフル代表ではなく、18歳以下を対象とする年代別日本代表だったと正確に区別することです。
中学3年生の段階では横浜FCユースへ昇格できなかった選手が、高校と大学でのプレーを通じて評価を高め、年代別代表に選ばれました。
この変化は、育成年代の選考が大切である一方、その時点で選手の将来を完全に決めるものではないことを示しています。
成長の時期には個人差があり、チームが変われば戦術や求められる役割も変化します。新しい環境で出場機会をつかみ、それまでとは違う長所を伸ばす選手もいるでしょう。
もちろん、ユースへ昇格できなかった選手が、その後必ず成功するという意味ではありません。
塩貝選手の場合も、本人がブログで語った強い負けず嫌いを持ちながら、新しい環境で競争を続けた結果として、その後の評価につながったと見るのが自然です。
塩貝健人の小学校・中学校時代から何が見える?
ここからは、公表された所属歴と本人の文章を踏まえた筆者の考察です。
私は塩貝健人選手の育成年代を、「エリート選手」か「苦労人」かのどちらか一方に当てはめないほうが、実像に近づけると考えています。
横浜FCジュニアユースに加入したことからは、小学生年代で一定の評価を受けていたことがうかがえます。その一方で、レベルの高い集団に入った後は、試合に出られない経験をし、ユース昇格も逃しました。
つまり、塩貝選手は早い段階で、選ばれる喜びと選ばれない悔しさの両方を経験した選手なのです。
この二つを知ると、塩貝選手の成長を単純な成功物語ではなく、評価が何度も変わってきた歩みとして捉えられます。
特に注目したいのは、Jクラブのアカデミーから高校、大学へと育成経路が切り替わった点です。
Jクラブのアカデミーでは、クラブの方針に沿った一貫指導を受けられます。一方、高校サッカーには学校生活と競技を両立しながら、多様な対戦相手と全国大会を目指す環境があります。
大学サッカーでは、より身体的に成熟した選手と競いながら、競技を続ける時間を確保できます。
塩貝選手は横浜FCユースへ内部昇格する一本道から外れた後、國學院久我山高校と慶應義塾大学という別の舞台で再評価されました。
この経歴は、日本サッカーの育成が一つのルートだけでは完結しないことを、具体的に示していると私は感じます。
15歳前後の選考では、その時点の技術や身体の発達、チーム編成との兼ね合いなどが影響します。その後に環境や役割が変われば、選手への評価も変わり得るのです。
塩貝選手の事例でより大切なのは、「落選しても気にしなくてよい」という単純な励ましではありません。
選ばれなかった現実を受け止めたうえで、新しい場所でもう一度評価を積み上げる道があるということです。育成年代の進路に悩む選手や、その姿を見守るご家族にとっても、心に残る歩みではないでしょうか。
また、出身小学校や中学校の名称より、本人が公表した競技上の経験に目を向けることも大切です。
学校名が分かれば経歴表の空欄は埋まりますが、どのような思いで準備を続け、選ばれなかった後にどの道を選んだのかまでは分かりません。
本人が明かしていない校名を周辺情報から推測するより、JFA、クラブ、本人が公表した内容を丁寧につなぐほうが、塩貝選手の努力を正しく理解できますよね。
本記事では2026年8月28日時点で、JFAが2024年1月25日に公表した「2024年JFA・Jリーグ特別指定選手」の選手情報、JFAが2023年11月22日に発表したU-18日本代表メンバー、慶應義塾体育会ソッカー部が2023年5月1日に公開した本人ブログ「負けず嫌い」、バディスポーツの卒団生紹介を照合しました。
これらで確認できない出身校名、クラブの詳しい在籍月、横浜FCユースへ昇格できなかった具体的な選考理由については、推測で補っていません。
まとめ
塩貝健人選手の出身小学校と中学校の正式名称は、2026年8月28日までに確認できた公表資料では明らかになっていません。
小学生年代は、JFAの公式な所属歴から、バディサッカークラブ江東、大森FC、再びバディサッカークラブ江東という順番でプレーしたことが確認できます。バディスポーツでは、バディSC江東の第9期卒団生として紹介されています。
中学生年代の2017年から2019年までは、横浜FCジュニアユースに所属しました。ただし、横浜FCジュニアユースは通学先の中学校ではなく、Jクラブの育成組織です。
中学時代には、自分だけ試合へ出場できなかった悔しい経験があり、横浜FCユースへの昇格も果たせませんでした。具体的な不昇格理由は公表されていません。
その後は國學院大學久我山高校、慶應義塾大学へと進み、年代別日本代表に選ばれるまで評価を高めました。
塩貝選手の小学校・中学校時代から見えるのは、最初から順風満帆だった経歴ではありません。選ばれた経験に安心せず、選ばれなかった後も別の環境で力を示してきたことが、現在へつながる大切な原点なのだと思います。
よくある質問
塩貝健人の出身小学校はどこですか?
正式な小学校名は公表されていません。JFAの所属歴では、小学生年代にバディサッカークラブ江東、大森FC、再びバディサッカークラブ江東でプレーしたことが確認できます。
塩貝健人の出身中学校はどこですか?
通学していた中学校の正式名称は非公表です。2017年から2019年まで所属した横浜FCジュニアユースは、中学校ではなくJリーグクラブの育成組織です。
塩貝健人はいつからサッカーを始めましたか?
本人が2023年5月1日に公開した慶應義塾体育会ソッカー部のブログ「負けず嫌い」で、小学1年生からサッカーを始めたと明かしています。
塩貝健人は横浜FCユースへ昇格しましたか?
横浜FCジュニアユースからユースへは昇格していません。具体的な選考理由は公表されておらず、その後は國學院大學久我山高校へ進学しました。
春野滋(エンタメ&スポーツ愛好家ライター)


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