野中生萌さんと野口啓代さんは、世界大会を共に転戦し、競いながら成長した先輩・後輩であり「戦友」です。
2013年の初共演から約8年。2016年世界選手権では銀・銅、東京2020では再び銀・銅を分け合い、日本女子クライミングの歴史を一緒に築きました。
野中生萌と野口啓代の関係は?先輩・後輩から「戦友」へ
野中生萌さんと野口啓代さんの関係を端的にいえば、日本代表の先輩・後輩であり、世界の表彰台を競ったライバル、そして長い遠征生活を共有した戦友です。
野口さんは1989年5月30日生まれ、野中さんは1997年5月21日生まれ。約8歳の年齢差があります。
野口さんは2008年に日本人として初めてボルダリングワールドカップで優勝し、2009年には年間総合優勝を達成しました。その後も2010年、2014年、2015年に年間女王となり、通算4度の総合優勝を記録しています。
一方、野中さんが初めて日本代表に入ったのは2013年、16歳のときでした。当時の野口さんは、すでに世界の第一線で結果を残し続けていた大先輩です。
それでも二人の関係は、遠くから先輩を見上げるだけのものではありませんでした。
Number Webが2021年8月7日に掲載した東京五輪の記事では、二人の間柄を「年の差でもリスペクト」し合うライバル関係として紹介しています。野口さん自身も、競技後の取材で野中さんとの関係を「戦友」と表現しました。
二人の関係には、次のような側面があります。
- 日本代表として海外大会を転戦した先輩・後輩
- ボルダリングを得意とする世界トップクラスのライバル
- 遠征先で生活や悩みを共有した仲間
- 東京2020への出場とメダル獲得を共に目指した戦友
- 日本女子の競技水準を押し上げた二人のエース
野中さんは、野口さんと比較され続けることを負担に感じた時期もあったと明かしています。
自分が良い成績を取っても悪い成績に終わっても、常に偉大な先輩が比較対象になるのですから、若い選手にとっては苦しい状況だったでしょう。
しかし、野中さんは成長するにつれ、長期間にわたって勝ち続ける難しさを実感します。そして、野口さんのような選手と同じ基準で見てもらえることを、ありがたく受け止められるようになったという趣旨の話をしています。
私は、この感情の変化こそ二人の関係を理解する鍵だと考えています。
憧れだけでは、対等な勝負はできません。比較される痛みを抱えながらも、自分の実力でその距離を縮めたからこそ、野中さんは野口さんを「追いかける対象」から「一緒に表彰台を争う相手」として見られるようになったのでしょう。
二人の出会いは2013年ブリアンソン!遠征生活で何があった?
二人が初めて一緒に出場したワールドカップは、2013年7月にフランスで開催されたリードのブリアンソン大会です。
これは野中さんがCLIMBERSの企画「野中生萌 ここまで頑張れたのは、間違いなく啓代ちゃんのおかげ」で振り返った事実です。
当時の野中さんにとって、世界の表彰台を争っていた野口さんは、あまりにも遠い存在でした。
ところが国際大会への出場を重ね、野中さん自身も結果を残し始めると、一度勝つことだけでなく、勝ち続けることの難しさが分かってきます。
そこで初めて、ボルダーとリードの双方で長く活躍してきた野口さんの凄さを、本当の意味で理解したそうです。
二人の距離を縮めたのは試合だけではありません。
同じCLIMBERSの企画で野中さんは、当時は代表監督がいない時期もあり、選手自身が遠征先のアパートを借り、食事を作ってワールドカップに参戦したと振り返っています。
海外で同じ部屋になれば、特別な予定を入れるのではなく、二人でおしゃべりをして過ごしていました。初期の思い出は大会そのものより、一緒にふざけて遊んだ記憶のほうが多いという趣旨の話もしています。
現在の強化体制だけを知るファンには、少し意外なお話かもしれませんね。
世界大会で順位を争う選手が、移動や食事を自分たちで整えながら同じ屋根の下で暮らす。そこで共有されるのは技術だけでなく、慣れない土地での不安や、結果が出ないときの悩みだったはずです。
野中さんによれば、悩みを話すと野口さんから共感が返ってくることが多く、年齢や実績にかかわらずフラットに話すことができました。
ここで大切なのは、野口さんが一方的に答えを授ける指導者ではなかった点です。
同じ大会に出る現役選手として悩みを受け止めたからこそ、野中さんも本音を話せたのでしょう。二人の信頼は、表彰台よりも先に、遠征先の日常の中で育ったと考えられます。
野中生萌と野口啓代の名勝負は?4大会の直接対決を比較
二人の関係は、仲の良い先輩・後輩というだけではありません。同じ決勝で表彰台の順位を争った具体的な直接対決が、何度もありました。
代表的な4大会を整理すると、次のようになります。
年・大会 野中生萌 野口啓代 二人の関係を示すポイント
2016年世界選手権パリ・ボルダリング 2位 3位 野中さんが世界選手権初表彰台。二人で銀・銅
2018年W杯重慶・ボルダリング 2位 1位 野口さんが優勝し、野中さんが続いた日本勢ワンツー
2019年世界選手権八王子・複合 5位・80点 2位・21点 東京2020の出場枠を左右した重要大会
東京2020女子複合決勝 2位・45点 3位・64点 野中さんが銀、野口さんが現役最後に銅
2016年世界選手権パリは野中2位、野口3位
2016年9月の世界選手権パリ大会では、女子ボルダリングで野中さんが2位、野口さんが3位となりました。
野中さんにとっては世界選手権で初めての表彰台です。すでに何度も世界の頂点を経験していた野口さんと、成長を続けていた野中さんが、同じ表彰台に立った象徴的な大会でした。
この2016年、野中さんはワールドカップのムンバイ大会で初優勝し、ミュンヘン大会でも優勝しています。
世界選手権の結果を含め、野中さんが「期待の若手」ではなく、野口さんと同じ表彰台を争うトップ選手になった年だったと評価できます。
2018年W杯重慶は野口1位、野中2位
2018年5月のボルダリングワールドカップ重慶大会では、野口さんが3季ぶりのW杯優勝を果たし、野中さんが2位に入りました。
この年の野中さんは、シーズンを通じて安定した成績を残し、最終的にボルダリングW杯の年間総合優勝を獲得します。
一大会では野口さんが勝ち、年間では野中さんが頂点に立つ。この結果は、二人の関係が一方向の世代交代ではなかったことを示しています。
野口さんは若い選手が台頭しても勝てる力を保ち、野中さんはその高い基準を追いながら、シーズン全体で世界一へ到達しました。
2019年世界選手権八王子は五輪代表を懸けた勝負
2019年8月の世界選手権八王子大会・女子複合決勝では、野口さんが2位、野中さんが5位でした。
当時の複合は、スピード、ボルダリング、リードの種目順位を掛け算し、積が小さい選手を上位とする方式です。
野口さんはスピード7位、ボルダリング1位、リード3位で、積算点は21点。野中さんはスピード4位、ボルダリング4位、リード5位で80点でした。
野口さんはこの表彰台によって、東京2020の代表内定につながる成績を収めました。
野中さんも大会で5位に入り、国際的な五輪出場資格の対象となる順位でしたが、日本は開催国枠、1か国最大2人という上限、日本山岳・スポーツクライミング協会の選考方針をめぐって扱いが複雑になりました。
そのため「5位に入った時点で、単純に野中さんの代表が即決した」と説明するのは正確ではありません。
IFSCと日本側の見解をめぐる経緯を経て、2019年11月に野中さんを含む出場資格が国際連盟側から確認され、その後、東京2020への道が正式に固まりました。
二人が以前から願っていた「一緒にオリンピックへ出る」という目標は、単純な国内順位だけではなく、国際大会の資格制度や選考上の難しさを乗り越えて実現したのです。

東京2020で野中生萌が銀、野口啓代が銅を獲得できた理由
2021年8月6日に青海アーバンスポーツパークで行われた東京2020女子複合決勝で、野中生萌さんは45点で銀メダル、野口啓代さんは64点で銅メダルを獲得しました。
金メダルは、5点だったスロベニアのヤンヤ・ガンブレット選手です。
決勝の種目別順位は、次のとおりでした。
選手 スピード ボルダリング リード 積算点 総合
野中生萌 3位 3位 5位 3×3×5=45 2位
野口啓代 4位 4位 4位 4×4×4=64 3位
ヤンヤ・ガンブレット 5位 1位 1位 5×1×1=5 1位
最初のスピードでは、野中さんと野口さんが3位決定戦で直接対戦しました。
野中さんが7秒台で先着して3位、野口さんが8秒42で4位。このわずか一つの順位差が、最後の積算点にも影響しています。
ボルダリングでは、野中さんが0完登2ゾーンで3位、野口さんも0完登2ゾーンながら試行数の差で4位となりました。
リードでは野口さんが29+まで登って4位、野中さんは21で5位。野口さんがこの種目では野中さんを上回りましたが、それまでの順位を掛け合わせた結果、総合では野中さんが銀、野口さんが銅となりました。
この数字から見える二人の強みは、大崩れせず、3種目すべてを上位でまとめた安定性です。
東京大会の方式は、ある一種目の順位が極端に低いと、掛け算によって総合点が一気に大きくなる仕組みでした。
反対に、得意種目で圧倒的な1位を取れば、ほかの種目の遅れを吸収できます。ガンブレット選手がボルダリングとリードをともに1位で終え、5点に抑えたことが典型例です。
野中さんはボルダリングだけでなく、五輪に向けて重点的に取り組んだスピードで3位に入りました。スピードとボルダリング終了時点の積は9点で、メダル争いに有利な位置を確保しています。
野口さんは全種目4位という均衡の取れた結果でした。本人はボルダリングで完登できなかったことに苦しさを感じたと競技後に語りましたが、リードまで諦めずに登ったことで銅メダルにつなげました。
JOCが2021年10月25日に公開したメダリストインタビューによると、野中さんは最終結果を見た瞬間、結果が本当なのかすぐには信じられないほど驚いたそうです。
一方、野口さんは東京大会を現役最後の競技会と位置づけていました。新型コロナウイルスの影響で大会が1年延期されたことも、もう1年競技を続けられる時間として前向きに受け止めたという趣旨の話をしています。
野中さんも延期期間にフィジカルを鍛え、特にスピードを伸ばしました。
予定外に生まれた1年間を、二人が立ち止まる時間ではなく、弱点を補う時間に変えた。その積み重ねが、3種目すべての総合力を求められた東京2020で実を結んだのだと私は見ています。
登り方はどう違った?二人を強くした技術的な関係
野口啓代さんの大きな強みは、競技課題の変化に適応しながら、長期間トップに残り続けたことです。
野中さんはCLIMBERSの東京五輪代表内定インタビューで、競技スタイルが時代とともに変わっても、野口さんは順応して常に上位にいるという趣旨で、その強さを評価しています。
ボルダリングの課題は、保持力や丁寧な足運びを中心とするものだけではありません。
時代が進むにつれて、大きなホールドを全身で押さえる動き、走って跳ぶようなランジ、壁の中で身体の向きを素早く切り替えるコーディネーション系の課題が増えてきました。
野口さんは豊富な経験、保持力、足使い、課題を読む力を組み合わせ、競技スタイルが変わっても自分の登りを更新しました。
対する野中さんは、ダイナミックな動きと高い身体能力を生かす登りを磨きました。東京2020に向けてはスピードにも本格的に取り組み、決勝で野口さんを直接上回る3位に入っています。
これは単なる「若さと勢い」ではありません。
もともとボルダリングを得意としていた野中さんが、異質な15メートルの規格壁を速く登る技術まで身につけたことが、45点という総合成績につながりました。
二人が同じボルダリングを得意としていたことも、互いを高めた重要な要素です。
得意分野が重なれば、練習でも大会でも相手の成長がはっきり見えます。技術の小さな変化や、課題への対応速度をごまかせない関係だったからこそ、強い負けず嫌いを競技力へ変えられたのでしょう。
また、クライミングでは競技前に選手が壁を観察する「オブザベーション」が行われます。
選手同士がホールドの持ち方や身体の向きについて意見を交わす光景もありますが、実際に壁へ出れば、同じ助言を聞いても選ぶ動きは一人ひとり異なります。
この競技文化を考えると、二人が相談できる仲間でありながら、真剣なライバルでもあったことは矛盾しません。
壁の解き方を一緒に考えても、最後に身体を動かし、結果を引き受けるのは自分自身です。相手の失敗を願うのではなく、互いが良い登りをしたうえで勝ちたいという関係が成り立ちやすい競技なのですね。
野口啓代の引退後、野中生萌が受け継いだものとは?
野口啓代さんは東京2020を最後に競技会から引退し、その後はプロフリークライマーとしてクライミングの普及や次世代育成に取り組んでいます。
2025年3月には、地元・茨城県龍ケ崎市で小中学生を対象にした「AKIYO’S DREAM with RYUGASAKI」が開かれました。
一方の野中さんは東京大会後も現役を続け、パリ2024にも出場しました。
つまり二人は、東京2020を境にまったく別々の道へ離れたのではありません。野口さんは競技経験を次世代へ渡す立場となり、野中さんは国際大会で挑戦を続ける姿によって、その先の可能性を示しています。
野中さんは、野口さんが大会からいなくなると、クライミング界に大きな穴が空くと感じていました。同時に、その場所を自分が担い、競技界をさらに上へ引き上げたいという決意も示しています。
筆者としては、野中さんが受け継いだものは、野口さんの記録や登り方そのものではないと考えます。
課題の流行、競技方式、対戦相手、自分の年齢が変わっても、必要な技術を学び直して世界へ挑む姿勢。それこそが、長く野口さんを見てきた野中さんの中に残った一番大きな財産ではないでしょうか。
2016年世界選手権では野中さんが2位、野口さんが3位。2018年重慶W杯では野口さんが優勝し、野中さんが2位。そして東京2020では、再び野中さんが銀、野口さんが銅となりました。
この順位の入れ替わりを見ると、二人の歩みは単純な世代交代ではありません。
追う側が一度勝てば終わるのではなく、先輩も進化し、後輩もまた追い直す。その往復が何年も続いたからこそ、日本女子は世界の表彰台を争う厚みを持てたのだと思います。
野中生萌さんと野口啓代さんは、2013年のブリアンソン大会から海外遠征を共にし、世界選手権やワールドカップで何度も順位を争った先輩・後輩です。
比較される苦しさも抱えながら、最後は東京2020で銀・銅メダルを獲得しました。仲良しという一言でも、対立する宿敵という言葉でも足りない、互いの限界を引き上げた「戦友」だったのです。
よくある質問
野中生萌さんと野口啓代さんは仲が良いのですか?
はい。二人は日本代表の遠征で同室になり、一緒に食事を作ったり、おしゃべりをしたりしていました。
ただし競技では世界の表彰台を争うライバルです。親しさと競争心が同時に存在する「戦友」と表現するのが最も近いでしょう。
二人が初めて一緒に出場したワールドカップはいつですか?
野中さんの回想によると、2013年7月のリード・ブリアンソン大会です。
当時16歳だった野中さんにとって、すでにW杯年間女王を経験していた野口さんは、非常に遠い存在でした。
東京2020で二人の成績はどう違いましたか?
野中さんはスピード3位、ボルダリング3位、リード5位で45点となり、銀メダルを獲得しました。
野口さんは全3種目で4位となり、64点で銅メダルを獲得。東京大会が競技人生最後の大会となりました。
主な参考資料
- World Climbing(IFSC)公式選手記録・大会結果
- 東京2020オリンピック公式競技結果
- 日本オリンピック委員会「東京2020オリンピックメダリストインタビュー」(2021年10月25日)
- CLIMBERS「野中生萌 ここまで頑張れたのは、間違いなく啓代ちゃんのおかげ」
- CLIMBERS「東京五輪 代表内定インタビュー 野中生萌」
- Number Web「『戦友ですね』野中生萌と野口啓代を強くしたライバル関係」(2021年8月7日)
- FINEPLAY「プロフリークライマー野口啓代が語る、次世代のクライミングシーンにかける思い」(2025年2月17日)
春野滋(エンタメ&スポーツ愛好家ライター)


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