北口榛花選手とセケラックコーチの契約終了は、不仲ではなく、新たな環境で成長するための前向きな決断です。
北口選手は2026年1月20日の公式Instagramで、約7年間の支援への感謝と「いろいろな世界を見てみたい」という思いを説明しました。その後、南アフリカ合宿を経て、5月1日にヤン・ゼレズニー氏へ正式にコーチングを依頼したと発表しています。
この記事では、本人の発表、世界陸連と日本陸上競技連盟の大会結果、関係者のインタビューを基に、契約終了の理由と故障との関係、新コーチ決定までの経緯を2026年8月16日時点で整理します。
北口榛花とセケラックコーチの契約終了理由は?
北口榛花選手がディヴィッド・セケラックコーチとの契約を終えた公表上の理由は、競技を続けるにあたり、これまでとは異なる世界も見てみたいと考えたためです。
北口選手は2026年1月20日、公式Instagramに「応援してくださる皆様へ」と題した文書を掲載しました。そのなかで、セケラックコーチとの契約を終え、新たな挑戦を始めることを自ら報告しています。
陸上競技専門メディアの月陸Onlineは同日、北口選手の発表について、「競技を続けるにあたっていろいろな世界を見てみたい」という思いから一歩を踏み出したと伝えました。
本人の発表内容を、事実、未確認情報、筆者の解釈に分けると次のようになります。
区分 内容
本人が公表した事実 セケラックコーチとの契約を終了し、新たな挑戦へ進む
本人が示した理由 競技を続けるなかで、いろいろな世界を見てみたい
本人が伝えた感情 コーチ、家族、チームメイト、街の人々への感謝
発表時点の次の計画 ヤン・ゼレズニー氏と話を始め、南アフリカ合宿で今後を協議する
確認されていない説 不仲、対立、解任、指導への不満による決別
筆者の解釈 成功した環境を否定する別れではなく、成長段階を変えるための「卒業」に近い
契約終了という言葉から、「世界選手権で振るわなかったから解任したの?」「実は関係が悪化していたのかしら」と心配する方もいるでしょう。
しかし、北口選手が公開した文章から読み取れるのは、関係悪化ではなく、長く支えてくれた人々への敬意です。
北口榛花とセケラックコーチは不仲だった?
2人が不仲だったと裏付ける公表事実は、2026年8月16日時点で確認できません。
北口選手は契約終了の報告で、セケラックコーチだけでなく、コーチの家族、チームメイト、チェコの街の人々にも感謝を示しました。
大学生だった自分が海外へ飛び込めたのは、周囲の支えがあったからだという趣旨も伝えています。これは、長年の関係を否定する人の説明とは考えにくいですよね。
また、世界一になった状況で環境を変える判断には、さまざまな意見があることも北口選手自身が認識していました。それでも、自分の将来を考えて一歩を踏み出したと説明しています。
一方、契約条件や日々の指導をめぐる細かな話し合いは公表されていません。セケラックコーチ本人による契約終了時の詳しい見解も、2026年8月16日時点で広く確認できる範囲には見当たりません。
したがって、「まったく意見の違いがなかった」とまで第三者が断言することもできません。しかし、確認できない対立を推測し、不仲が原因だったと決めつけるのは適切ではないでしょう。
私は今回の契約終了を、恩師との関係が壊れた「決別」ではなく、教わったものを携えて次の学びへ進む「卒業」に近いものだと受け止めています。
世界一なのになぜコーチを変えたの?
北口選手はセケラックコーチの指導下で、世界選手権とオリンピックの頂点に立ちました。それほど成功した環境を変えるのですから、驚く声が出るのも自然です。
ただ、頂点に立った選手だからこそ、次に何を学ぶべきかという難しい課題も生まれます。
同じ方法を続ければ安定感を保てる可能性がある一方、身体の変化や故障、ライバルの進化に合わせて、新しい視点を取り入れる必要もあります。まして北口選手は、将来の目標として70mを掲げています。
大切なのは、世界一だった環境を捨てたのではなく、世界一まで到達したからこそ、その先へ進むための知識を探したと考えられる点です。
セケラックコーチへの感謝と、新しい指導を求める気持ちは矛盾しません。恩師の教えを大切にしながら、別の先生から学び直すことも、長い競技人生ではあり得る選択なのです。
右肘の故障や世界選手権予選敗退が原因だった?
2025年の右肘故障と東京世界選手権での予選敗退は、北口榛花選手が身体や投てき技術を見直す大きな契機になった可能性があります。
ただし、本人は故障や予選敗退だけを契約終了の理由とは説明していません。ここは、公表事実と競技上の背景を分けて考える必要があります。
北口選手の所属先は2025年6月27日、右肘内側上顆炎と診断されたことを発表しました。これにより、同年7月4日から6日に行われた日本選手権を欠場しています。
右肘内側上顆炎は、肘の内側に痛みが生じる状態です。やり投げでは腕だけでなく全身を使いますが、最後に大きな速度でやりを送り出す肩や肘には強い負荷がかかります。
北口選手は8月に実戦へ戻ったものの、十分な状態を取り戻すには至りませんでした。
そして2025年9月19日、東京・国立競技場で行われた世界選手権女子やり投予選では、1投目60m38、2投目60m31、3投目60m38という結果でした。
世界陸連の公式結果によると、自動通過記録は62m50で、それに届かなかった場合は全体上位12人が決勝へ進む方式でした。北口選手は決勝進出を逃し、前回2023年ブダペスト大会の女王が予選で姿を消す結果となったのです。
故障が直接の契約終了理由とは断定できない
故障後にコーチを変更したという時系列だけを見れば、両者を結びつけたくなるかもしれません。
しかし、北口選手は「旧体制の指導が故障を招いた」「世界選手権の敗退を理由に契約を切った」とは公表していません。
やり投げ選手の故障には、フォーム、練習量、試合日程、疲労、身体の状態など、複数の要因が関係する可能性があります。外部から一つの原因へ単純化することはできません。
確認できるのは、右肘の故障と世界選手権予選敗退を経験した後、北口選手が新たな指導環境を選び、新コーチのもとで技術の見直しを始めたという流れです。
故障が決断を後押しした可能性は考えられますが、それは競技経過からの推測にとどまります。本人が示した中心的な理由は、あくまで「いろいろな世界を見てみたい」という将来志向の思いです。
私は、敗退への罰として環境を変えたのではなく、故障によって一度立ち止まった時期に、これから何を学ぶべきかを考え直したのではないかと見ています。
北口榛花とセケラックコーチが築いた約7年間とは?
北口榛花選手とセケラックコーチの師弟関係は、日本女子やり投げの歴史を変えた約7年間でした。
北口選手は日本大学3年だった2018年度、十分な指導環境を求め、チェコ西部の街ドマジュリツェへ単身で渡りました。
やり投げに関するカンファレンスを通じて知ったセケラックコーチへ、自ら指導を依頼したのです。用意された海外研修へ参加したのではなく、必要な環境を自分で探し、直接扉をたたきました。
当時のセケラック氏は元やり投げ選手で、チェコのナショナルジュニアコーチを務めた経験もある指導者でした。北口選手は2019年から本格的に師事し、日本とチェコを行き来しながら競技力を高めていきます。
北口選手がチェコ語を学んだことも、2人の関係を語るうえで欠かせません。
投てき動作はとても繊細で、「もう少し肘を高く」「身体を残して」といった言葉だけでは伝わらない感覚があります。相手の言葉を学び、文化へ歩み寄ったことが、細かな指導を受け止める土台になったのでしょう。
セケラックコーチと残した主な実績
2人の歩みは、記録とメダルにはっきり表れています。
年月 主な出来事 意味
2018年度 北口選手がチェコ・ドマジュリツェへ渡航 セケラックコーチへ自ら指導を依頼
2019年 64m36の日本記録を樹立 本格的な飛躍の始まり
2022年7月 オレゴン世界選手権で銅メダル 日本女子投てき種目初の世界選手権メダル
2023年8月 ブダペスト世界選手権で金メダル 日本女子やり投げ初の世界女王
2023年9月 ブリュッセルで67m38 現在も残る日本記録を樹立
2024年8月 パリ五輪で65m80を投げ金メダル 日本女子フィールド種目初の五輪金
2025年9月 東京世界選手権で予選敗退 右肘故障後の苦しい大会
2026年1月20日 契約終了を発表 約7年間の指導関係に一区切り
2022年オレゴン世界選手権の銅メダル、2023年ブダペスト世界選手権の金メダル、2024年パリ五輪の金メダルは、北口選手本人の努力とセケラック体制の成果です。
新しいコーチを選んだからといって、この実績や教えの価値が薄れるわけではありません。
むしろ、世界大会で勝つための技術、欧州を転戦する経験、大舞台で自分の力を出す準備を身につけたからこそ、北口選手は次の課題を考えられる地点まで到達したのでしょう。
新コーチのヤン・ゼレズニー氏はいつ決まった?
北口榛花選手は2026年5月1日、公式SNSで、ヤン・ゼレズニー氏へ正式にコーチングを依頼することになったと発表しました。
ただし、1月20日のセケラックコーチとの契約終了発表時点で、ゼレズニー氏への依頼が正式決定していたわけではありません。
北口選手は1月の発表で、ゼレズニー氏と話し合いを始め、南アフリカのトレーニングキャンプに参加したうえで、今後一緒に歩む可能性について協議すると説明していました。
その後、実際に南アフリカで指導を受け、相性や練習方針を確かめました。そして5月1日のSNSで、キャンプを経て正式にコーチングをお願いすることになったと報告したのです。
この経緯は、北口選手が名声だけで指導者を選ばなかったことを示しています。
世界記録保持者であっても、その指導方法がすべての選手に合うとは限りません。いったん合宿で一緒に練習し、双方が方向性を確認してから継続的な指導へ進んだ点は、とても慎重な選択だったと感じます。
ヤン・ゼレズニー氏は98m48の世界記録保持者
チェコ出身のヤン・ゼレズニー氏は、男子やり投げ史を代表する選手です。
1996年に記録した98m48は、2026年8月時点でも男子やり投げの世界記録として残っています。現役時代には五輪3連覇、世界選手権3度優勝という実績を残しました。
北口選手が学ぼうとしているのは、投てき技術だけではありません。
2026年5月1日の発表では、ゼレズニー氏のメンタリティーも吸収したいという思いを示しています。何度も世界一になるための準備、重圧との向き合い方、自分の技術を信じる力も、新体制で得たいものなのでしょう。
ここに、今回のコーチ変更の重要な意味があります。
セケラックコーチは北口選手を世界の頂点へ導きました。ゼレズニー氏には、その頂点からさらに挑戦を続けるための技術と考え方を求めていると見られます。
新体制で投げ方はどう変わった?
新体制では、セケラック体制で築いたすべてを捨てるのではなく、助走から投てきへ移る動作や、肘、肩、背中の位置を調整しています。
2026年5月17日のセイコーゴールデングランプリ後に伝えられた主な変更点は、次の通りです。
- 助走をスタンディングスタートにする
- 助走路の左側ではなく中央を走る意識を持つ
- 助走途中でやりを引く従来の動作をやめる
- 右腕を伸ばし、肘が下がりすぎない形を作る
- 肩の位置を整え、背中側でやりを支える
助走途中でやりを引く動きは、ゼレズニー氏が現役時代に用いた技術として知られています。
ところが、北口選手が取り入れていた動きは、ゼレズニー氏が意図した軌道やタイミングとは異なっていたようです。南アフリカでの最初の投てき練習から修正を求められ、北口選手は新しい形へ取り組み始めました。
これは「セケラックコーチの指導が間違っていた」という話ではありません。
選手の身体や技術は年齢、経験、故障によって変化します。以前は機能していた動作でも、次の目標へ進む段階では、より安定して繰り返せる形へ調整する必要が生じます。
ゼレズニー氏が2026年6月の月陸Onlineのインタビューで説明した内容からも、一度で完成させる大改造ではなく、段階的に動きを安定させる方針がうかがえます。

新体制の初戦から日本選手権までの正しい順番
大会の開催日と記録を確認すると、2026年の新体制での出場順は次の通りです。
日付 大会 記録・順位
2026年5月17日 セイコーゴールデングランプリ東京 60m36、5位
2026年5月23日 ダイヤモンドリーグ厦門大会 60m08、7位
2026年6月12日 第110回日本選手権 62m86、優勝
つまり、厦門大会はセイコーゴールデングランプリの6日後に行われています。日本選手権は、その次の出場大会でした。
日本陸上競技連盟の公式発表によると、5月17日のセイコーゴールデングランプリで北口選手は60m36を投げて5位。約8カ月ぶりの実戦であり、新体制の初戦でした。
続く5月23日のダイヤモンドリーグ厦門大会では、1投目54m81、2投目59m52、3投目60m08を記録し、7位となりました。
そして6月12日の日本選手権では、5投目に62m86を投げて逆転優勝。2年ぶり5度目の日本選手権制覇を果たし、愛知・名古屋アジア大会の日本代表にも内定しました。
62m86は新体制成功の証明なの?
日本選手権の62m86は前進を示す記録ですが、この一投だけで新フォームが完成したとはいえません。
北口選手自身も日本陸上競技連盟の優勝コメントで、62m86は本来なら大きく喜べる記録ではないとしつつ、痛みが完全にない状態で、自分の殻を少し破れたことに安堵したと説明しています。
ゼレズニー氏からは遠隔で指示を受けていました。北口選手は、新しく学んだ多くの情報が頭に入り、考えすぎて投げられない時期が続いていたことも率直に明かしています。
それでも、勝負のかかった5投目で記録を伸ばせたことには価値があります。
新しい技術を頭で理解する段階から、試合の緊張下で身体が反応する段階へ、少しずつ進んでいると考えられるからです。
北口選手は「復活」と呼べる目安として65m以上を挙げ、1試合に一度ではなく、65mを繰り返し投げられる力を目指す考えを示しました。
この言葉からも、新体制の評価基準は一度の大記録ではなく、高い水準の投てきを安定して再現できるかにあると分かります。
世界一でコーチを変えた決断をどう見る?
筆者としては、北口榛花選手のコーチ変更には、大学時代から続く「自分で必要な環境を確かめる姿勢」が表れていると考えます。
2018年度には、自ら指導者を探してチェコへ渡りました。2026年には、世界選手権とパリ五輪を制した環境から踏み出し、南アフリカ合宿で新しい指導者との相性を確認しました。
一方はコーチを求める旅で、もう一方は恩師との契約を終える決断です。
形は違っても、競技人生の重要な選択を他人任せにせず、自分で会い、自分で学び、自分で判断する点は共通しています。
この一貫性を踏まえると、今回の契約終了を一度の敗戦への感情的な反応と見るより、長期的な競技人生を考えた選択と捉えるほうが自然でしょう。
セケラック体制とゼレズニー体制は対立しない
新旧のコーチを「どちらが正しいか」で比べる必要はありません。
セケラックコーチと築いた全身の連動、海外転戦への対応力、大舞台で勝ち切る力は、北口選手のなかに残っています。世界選手権と五輪の金メダルは、その土台が確かなものだった証しです。
ゼレズニー氏は、その土台をすべて壊すのではなく、助走、やりを引くタイミング、右肘と肩の位置などへ別の視点を加えています。
私には、今回の変更が旧体制への否定ではなく、競技者としての引き出しを増やす作業に見えます。
一人の恩師から深く学ぶ時期を終え、別の世界的指導者から新しい感覚を受け取る。両方の教えを自分の身体に合わせて統合できれば、それが北口選手だけの完成形になるのでしょう。
今後は記録だけでなく再現性にも注目
今後の試合では、飛距離だけで新体制を評価しないことが大切です。
観戦するときは、助走が途中で止まるような動きになっていないか、右腕を後方へ伸ばした姿勢を保てているか、投げ急いで肘が下がっていないかに注目すると、変化を追いやすくなります。
もちろん、映像だけで故障の状態や技術の成否を断定することはできません。
それでも、60m前後の投てきが続いた試合と、日本選手権で62m86を投げた5投目を比べながら見ると、新しい助走と投てき動作がどのように試合へなじんでいくのかを楽しめます。
北口選手が求めるのは、過去の自分へ戻ることだけではありません。セケラックコーチと到達した67m38を土台に、70mという新しい領域へ近づくことです。
その挑戦には、記録が伸びない時期もあるでしょう。短期の順位に一喜一憂するより、痛みなく投げられる状態を保ち、65m以上を安定して出せるかを見守りたいですね。
まとめ
北口榛花選手は2026年1月20日、公式Instagramで、約7年間指導を受けたディヴィッド・セケラックコーチとの契約終了を発表しました。
本人が公表した理由は、競技を続けるなかで、いろいろな世界を見てみたいと考えたためです。不仲や対立、解任を裏付ける公表事実はなく、北口選手はコーチ本人、家族、チームメイト、街の人々へ感謝を伝えています。
2025年の右肘内側上顆炎と東京世界選手権予選敗退は、技術や身体を見直す背景になった可能性があります。ただし、北口選手は故障や敗退だけが契約終了の理由だったとは説明していません。
契約終了発表後は、南アフリカのトレーニングキャンプでヤン・ゼレズニー氏の指導を受け、2026年5月1日に正式なコーチング依頼を発表しました。
新体制初戦は5月17日のセイコーゴールデングランプリで60m36、5月23日のダイヤモンドリーグ厦門大会では60m08、6月12日の日本選手権では62m86で優勝という順番です。
セケラックコーチとの歩みは、決して失敗で終わったものではありません。世界選手権金メダル、パリ五輪金メダル、日本記録67m38という大きな土台を築き、その先へ進むために新しい知識を求めたのが今回の決断です。
名コンビとの別れに寂しさを感じるファンもいるでしょう。それでも、恩師への感謝を胸に新たな投げを作ろうとする北口選手を、焦らず温かく見守りたいと思います。
よくある質問
北口榛花選手とセケラックコーチは不仲だったのですか?
不仲を裏付ける公式発表はありません。北口選手は、競技を続けるなかで別の世界も見たいという理由を示し、セケラックコーチや家族、チームメイト、街の人々へ感謝を伝えました。
右肘の故障が契約終了の原因ですか?
故障が技術や環境を見直す背景になった可能性はありますが、本人は右肘の故障だけが契約終了の理由とは説明していません。「故障を招いた指導への不満で別れた」とする根拠も確認されていません。
北口榛花選手の新コーチは誰ですか?
新コーチは、男子やり投げの世界記録98m48を持つチェコ出身のヤン・ゼレズニー氏です。北口選手は南アフリカ合宿で指導を受けた後、2026年5月1日に正式なコーチング依頼を発表しました。
執筆:春野滋(エンタメ&スポーツ愛好家ライター)


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