清岡幸大郎選手は高知県立高知南高校から日本体育大学へ進み、レスリングの力と人間性を磨きました。
中高一貫の地元校で全国の頂点を経験し、大学では学生王者、全日本王者へと成長。パリ2024オリンピック男子フリースタイル65kg級の金メダルにつながる学歴と競技人生を、学生時代のエピソードとともに紹介します。
清岡幸大郎の高校・大学はどこ?学歴を一覧で紹介
清岡幸大郎選手の出身校は、高知県立高知南中学校・高等学校と日本体育大学です。
地元・高知県の中高一貫校でレスリングの土台を築き、高校卒業後は、オリンピックを目指せる環境を求めて日本体育大学へ進学しました。
清岡選手の学歴と学生時代の主な実績を整理すると、次のようになります。
学校・時期 学歴・主な出来事
小学生時代 高知県でレスリングに取り組み、小学6年生で初の全国優勝
中学校 高知県立高知南中学校に進学し、レスリング部で競技を継続
中学3年生 2016年全国中学生選手権47kg級優勝、国民体育大会で決勝進出
高校 高知県立高知南高等学校へ内部進学
高校2年生 2018年インターハイ55kg級優勝
大学 日本体育大学へ進学
大学時代 全日本学生選手権65kg級で2022年、2023年に優勝
大学4年生 2023年全日本選手権65kg級優勝
大学卒業後 2024年パリオリンピック65kg級金メダル
高知南中学校・高等学校は、清岡選手にとって単なる出身校ではありません。限られた練習環境のなかで、人から学び取る姿勢や挑戦する心を身につけた場所でした。
一方、日本体育大学は、子どもの頃から抱いていたオリンピックという夢を現実の目標へ変えた場所です。二つの学校で得たものが、金メダリストとしての清岡選手を支える両輪になったと考えられます。
清岡幸大郎の高校は高知県立高知南高等学校
清岡幸大郎選手が卒業した高校は、高知県立高知南高等学校です。
清岡選手は地元の中高一貫校へ進み、高知南中学校から高知南高校へと進学しました。生まれ育った高知県を離れず、レスリング部で競技を続けています。
清岡選手がレスリングを始めたのは4歳のときでした。母親の知人がレスリングクラブを立ち上げ、その初期メンバーとして誘われたことがきっかけだったそうです。
初めから厳しい組み合いをしていたわけではなく、最初はボール遊びやマット運動からのスタートでした。5歳ごろから外部の大会に出場するようになり、道具に頼らず自分の体で相手と向き合うレスリングに夢中になっていきます。
しかし、小学生時代から常に全国トップだったわけではありません。全国的には中堅以下に位置する時期もあったと、本人が振り返っています。
それでも清岡選手には、苦しい練習さえ前向きに受け止める力がありました。県外遠征で周囲を実力者に囲まれながらスパーリングをした際も、コーチから楽しそうだったと言われたほどです。
「強いから楽しめた」のではなく、「楽しめたから強くなれた」。この順番が、清岡選手の歩みを理解する大切なポイントではないかしら。
小学5年生でオリンピックを意識
清岡選手が初めてオリンピックを意識したのは、小学5年生のときです。
全国大会へ出場した際、同じ会場でロンドンオリンピック日本代表選手団の壮行会が開かれていました。赤いブレザーを着た代表選手たちを目にし、自分もあの場所に立ちたいと思ったといいます。
まだ全国の頂点に立つ前の少年が、目の前で見た光景から将来の目標を見つけたのですね。子どもの頃に抱いた憧れが、その後の進路を選ぶ一本の道しるべになりました。
翌年の小学6年生では、初めて全国チャンピオンに輝きます。夢が遠い憧れだけではなく、努力次第で近づける目標に変わり始めた時期だったのでしょう。
中学3年生で全国優勝と国体決勝進出
高知南中学校で力を伸ばした清岡選手は、中学3年生だった2016年、全国中学生選手権47kg級で優勝しました。
さらに、同じ中学3年生のときに出場した国民体育大会でも、大きな手応えをつかんでいます。当時の国体は出場資格を持つ中学生と高校生が同じ舞台で競う大会で、それまで中学生の入賞者はいなかったと本人は説明しています。
清岡選手は、誰も成し遂げていないことや「初」という言葉に心を引かれる性格でした。中学生が優勝すれば名前を残せると考え、年上の高校生たちにも臆せず挑戦したのです。
結果は決勝進出。優勝には届かなかったものの、目標に見合う努力を重ねて実力をつければ、学年や経験で上回る相手とも戦えるという確信を得ました。
私は、この経験が高校以降の清岡選手を支えたのではないかと感じます。勝利だけでなく、格上に挑んで通用した実感は、若い選手の心に長く残るものですよね。
高校2年生でインターハイ55kg級優勝
高知南高校へ進んだ清岡選手は、2018年、高校2年生でインターハイ55kg級の頂点に立ちました。
中学時代の全国中学生選手権に続き、高校日本一も経験したことになります。地元・高知の環境で積み上げた練習が、全国大会の結果として花開きました。
高知県はレスリング競技者がそれほど多くなく、清岡選手自身も、当時の練習環境は必ずしも万全ではなかったと語っています。
そこでコーチから繰り返し教えられたのが、県外遠征で強い選手と対戦した際に、どれだけ技術や感覚を吸収して高知へ持ち帰れるかが重要だという考え方でした。
練習相手の数や設備だけを比べれば、都市部の強豪校が有利に見えるかもしれません。しかし、限られた機会から最大限に学ぶ習慣は、環境が変わっても失われない財産になります。
清岡選手にとって高知南高校で得た最大のものは、インターハイの優勝だけではなく、自分から観察し、学び、成長へつなげる力だったのではないでしょうか。
高校生活では友人との時間も大切にした
清岡選手は、高校時代をレスリング一色で過ごしていたわけではありません。
友人と一緒に過ごす時間がとても楽しかったそうで、テスト期間に部活動が休みになると、勉強会を開いたり、息抜きにバスケットボールをしたりしていました。
競技で日本一を目指す選手と聞くと、朝から晩まで練習だけに打ち込む姿を思い浮かべがちです。けれども清岡選手は、一つのことを続けすぎれば苦しくなる瞬間があるため、気持ちをいったんゼロに戻せる場所が必要だと考えています。
リフレッシュする時間があるからこそ、本気で取り組む競技にも再び前向きに向き合えるのでしょう。楽しむ力を失わなかったことも、高校で着実に成長できた理由の一つと考えられます。
清岡幸大郎の大学は日本体育大学
清岡幸大郎選手が卒業した大学は、日本体育大学です。JOCの選手プロフィールにも、最終学歴として日本体育大学が記載されています。
高校時代に日本体育大学の練習へ招かれたことが、進学を考えるきっかけになりました。他大学へ進む選択肢もあったなかで、清岡選手は自分の目と体で確かめた環境を選びます。
日本体育大学にはトップレベルの選手が集まり、実績あるコーチ陣の指導を受けられました。実戦練習には張り詰めた厳しさがある一方、練習が終われば穏やかな空気に戻る。その切り替えも清岡選手の心を引きつけたそうです。
清岡選手は、オリンピックに最も近い場所はここだと確信して入学を決めました。学校名や知名度だけではなく、練習の質、指導者、仲間、日常の雰囲気まで見たうえで選んだ進路だったことが分かります。

日本体育大学で学生王者へ成長
日本体育大学へ進学した清岡選手は、より充実した環境のなかで実力を伸ばしました。
2022年と2023年には、全日本学生選手権男子フリースタイル65kg級で優勝。2023年にはダン・コロフ-ニコラ・ペトロフ国際大会でも同階級を制し、国内だけでなく国際舞台でも結果を残しています。
そして2023年12月、大学4年生で出場した全日本選手権男子フリースタイル65kg級で優勝しました。この大会はパリオリンピック代表選考に関わる重要な一戦であり、長年の夢に大きく近づく勝利となりました。
大学進学時に「オリンピックに一番近い場所」と感じた判断は、結果だけを見れば正しかったといえるでしょう。
ただし、環境を変えただけで急に強くなったわけではありません。高知時代から続けてきた、人の技術を観察して自分のものにする習慣が、強い選手の集まる日本体育大学でいっそう生きたと考えられます。
良い環境は、そこに入れば自動的に人を成長させてくれる魔法の箱ではありません。清岡選手は、高知で身につけた「吸収する力」を持っていたからこそ、日本体育大学という恵まれた環境を使いこなせたのでしょう。
大学3年生で初めて経験した団体戦
清岡選手が大学時代の思い出深い試合として挙げているのが、大学3年生で出場した東日本学生リーグ戦です。
この大会は大学対抗の団体戦で、各校から7人が出場して勝敗を争います。高校時代は部員数が足りず団体戦に出られず、大学1、2年生のときはコロナ禍の影響で試合がありませんでした。
そのため、清岡選手にとっては人生で初めての団体戦でした。個人競技という印象の強いレスリングですが、この日は自分の勝敗が大学全体の結果につながります。
観客席からは応援合戦のような熱い声援が送られ、会場はお祭りのような雰囲気に包まれたそうです。清岡選手は勝った瞬間、これまでにないほど気持ちが高ぶり、ガッツポーズで会場を盛り上げました。
個人の金メダルだけを追いかけるのではなく、仲間のために戦う喜びを知った経験だったのでしょう。日本体育大学で得たものは技術や体力だけでなく、チームに所属する誇りや、応援を力に変える感覚でもあったことがうかがえます。
高校・大学での経験はパリ五輪金メダルへどうつながった?
清岡幸大郎選手は、2023年の全日本選手権男子フリースタイル65kg級を制した後、2024年のパリオリンピック・アジア予選でも優勝し、オリンピック出場権を獲得しました。
そしてパリ2024オリンピックでは、男子フリースタイル65kg級で金メダルに輝いています。小学5年生で赤いブレザーの日本代表選手団に憧れてから、十数年越しで夢をかなえました。
大学4年生の12月に代表選考会へ臨んだ際には、試合前に音楽を聴き、周囲から届いた応援メッセージを読んで気持ちを高めていました。
すると突然、勝てば支えてくれた人へ恩返しができる、それまでの努力が報われるという思いが込み上げ、過去の練習や試合が一気によみがえったそうです。涙が止まらなくなり、その瞬間にオリンピックで金メダルを獲得したような感覚を覚えたと振り返っています。
実際のパリ大会では、文田健一郎選手の応援のため先に会場へ入りました。観客の多さや歓声に興奮しすぎて、その夜は眠れなくなったため、以後はホテルで中継を見ることにしたという微笑ましいエピソードもあります。
自分の初戦を迎えたときには、巨大な会場と大歓声を遊園地のように楽しみ、まだ一試合も戦っていない段階で、次のロサンゼルスオリンピックも目指したいと考えていました。
緊張に押しつぶされるのではなく、大舞台を心から楽しめたところに、4歳から変わらない清岡選手らしさが表れています。
金メダルが決まった直後は、あまりに大きな出来事に理解が追いつきませんでした。控室で落ち着き、表彰台でメダルを掛けてもらい、会場の最も高い位置に日の丸が掲げられるのを見て、ようやく優勝を実感したそうです。
高知南中学校・高校で育てた挑戦心と吸収力、日本体育大学で磨いた技術と勝負強さ。そのすべてが、パリのマットで一つにつながったのですね。
清岡幸大郎の学歴から見える強さの土台とは?
清岡幸大郎選手の学歴をたどると、強豪校へ進めば成功できるという単純な物語ではないことが分かります。
高知では、競技人口や練習相手が多いとはいえない環境に身を置いていました。だからこそ、遠征先で出会う強い選手から一つでも多くのものを持ち帰ろうとする姿勢が育ちました。
日本体育大学では、周囲にトップ選手がいる環境へ一転します。そこで高知時代に身につけた観察力と吸収力を発揮し、学生王者、全日本王者、オリンピック王者へと階段を上りました。
ここから見えてくるのは、環境の不足と充実が、それぞれ異なる形で清岡選手を育てたということです。
限られた環境では、自分から学びを探す力が養われました。恵まれた環境では、見つけた学びを高いレベルで試し、磨くことができました。
また、清岡選手は体だけでなく心の状態も丁寧に整えています。毎朝、ノート1ページほどに、その瞬間に考えていることを書く「モーニングページ」を実践しているそうです。
おなかがすいた、眠い、疲れたといった飾らない気持ちまで書き出すことで、頭の中を整理します。緊張の理由を言葉にしたり、調子が良かった日の心理状態を振り返ったりできるため、競技にも役立っていると説明しています。
毎朝あえて少しだけ練習へ行きたくないと考え、それでも練習へ行った自分を褒めるという発想も印象的です。他人と比べるのではなく、小さな「自分は頑張った」を見つける習慣が、長い競技生活を支えています。
筆者が考える進路選択の重要なポイント
筆者としては、清岡選手の進路で特に重要だったのは、地元を離れたことそのものではなく、自分の夢に必要な環境を自分で見極めたことだと考えます。
高校時代に日本体育大学の練習へ参加し、選手の実力やコーチの指導だけでなく、練習中の緊張感と終了後の穏やかな空気まで感じ取って進学を決めました。
パンフレットの情報や実績だけではなく、そこに身を置く自分を具体的に想像したのでしょう。オリンピックを目指すための厳しさと、長く競技を続けるための人間的な温かさ。その両方がある場所を選んだように感じられます。
もう一つ見逃せないのが、高校時代の友人との時間です。勉強会やバスケットボールで気分転換し、競技以外にも心を戻せる場所を持っていました。
一見すると、休むことは夢から遠ざかる行為に思えるかもしれません。しかし清岡選手の場合、心をいったんリセットする時間が、再びレスリングへ集中する力になりました。
中学、高校、大学の各段階で、競技力だけでなく、自分の心との付き合い方も学んできたのだと思います。金メダルはパリで獲得したものですが、その輝きを作った小さな材料は、高知や大学で過ごした日々のなかに散りばめられていたのでしょう。
清岡幸大郎の高校・大学と学歴まとめ
清岡幸大郎選手は、高知県立高知南中学校・高等学校を経て、日本体育大学を卒業しました。
中学3年生で全国中学生選手権47kg級を制し、高校2年生では2018年インターハイ55kg級で優勝。日本体育大学では2022年と2023年の全日本学生選手権65kg級を連覇し、2023年全日本選手権でも頂点に立ちました。
その後、2024年のアジア予選で出場権を獲得し、パリ2024オリンピック男子フリースタイル65kg級で金メダルを獲得しています。
高知南高校で身につけた、限られた機会から学びを吸収する姿勢。日本体育大学で得た、トップ選手や優れた指導者と競い合う環境。この二つが重なり、世界一へ続く道が形作られました。
掲載されたインタビューは2025年2月取材時の内容ですが、清岡選手が語った「人と比べず、自分なりに頑張ったことへ目を向ける」という考え方は、進路や競技に悩む若い方にも響くものがあります。
学歴は学校名を並べただけの記録ではありません。清岡選手の場合は、夢を見つけ、挑戦し、仲間と喜び、世界の頂点へ進んだ成長の地図そのものなのです。
よくある質問
清岡幸大郎選手の出身高校はどこですか?
清岡幸大郎選手の出身高校は、高知県立高知南高等学校です。中高一貫校の高知南中学校から進学し、高校2年生だった2018年にインターハイ55kg級で優勝しました。
清岡幸大郎選手の出身大学はどこですか?
出身大学は日本体育大学です。高校時代に同大学の練習へ招かれ、トップ選手やコーチ陣、練習環境に魅力を感じて進学しました。
清岡幸大郎選手は大学時代にどんな成績を残しましたか?
2022年と2023年の全日本学生選手権男子フリースタイル65kg級で優勝しました。2023年には国際大会と全日本選手権も制し、翌2024年のパリオリンピック金メダルへつなげています。
執筆者:春野滋(エンタメ&スポーツ愛好家ライター)

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