赤堀雅秋さんが『ふてほど』で演じたのは、葛飾区立第六中学校の校長です。最終回では女装の趣味を保護者に問題視されますが、趣味を捨てるのではなく学校を辞める道を選びました。
出演が確認できるのは第5話・第6話・第8話・最終話。2024年3月29日放送の最終回では、令和を経験した小川市郎の価値観がどれほど変わったのかを映し出す重要な役割を担っています。
赤堀雅秋の『ふてほど』での役柄は?
赤堀雅秋さんがTBS系ドラマ『不適切にもほどがある!』で演じたのは、主人公・小川市郎が勤務する葛飾区立第六中学校の校長です。
検索してきた方が知りたいポイントを先に整理すると、こうなります。
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 演じた俳優 | 赤堀雅秋 |
| 役柄 | 葛飾区立第六中学校の校長 |
| 主人公との関係 | 小川市郎の勤務先の校長 |
| 登場話 | 第5話・第6話・第8話・最終話 |
| 最終話放送日 | 2024年3月29日 |
| 最終回の出来事 | 女装の趣味を保護者に問題視される |
| 校長の選択 | 女装をやめず、学校を辞める |
『不適切にもほどがある!』は、2024年1月26日から3月29日まで放送された全10話のドラマです。
脚本は宮藤官九郎さん、主演は阿部サダヲさん。1986年で中学校の体育教師をしている小川市郎が、バス型のタイムマシンによって2024年へ移動するところから、昭和と令和の価値観の違いが描かれていきます。
市郎は「地獄のオガワ」と呼ばれるほど昭和的な指導をする教師です。
ところが2024年では、本人に悪気がなくても、その言動がハラスメントやコンプライアンスの観点から問題になることが次々に出てきます。
面白いのは、ドラマが「昭和は間違っていて、令和が正しい」と単純に決めていないところですよね。
令和で価値観を更新した市郎が昭和へ戻ると、今度は1986年の社会にある息苦しさが見えてくる。その象徴的な出来事の一つが、赤堀さん演じる校長の退職でした。
つまり赤堀さんの校長は、単に学校の管理職として登場するだけではありません。
最終回で「アップデートされた市郎」と「以前の市郎」の違いを見せるために効いてくる人物なのです。
赤堀雅秋の校長は何話に登場した?
赤堀雅秋さん演じる校長は、第5話・第6話・第8話・最終話(第10話)に登場します。
各話を放送順に並べると、次の通りです。
- 第5話「隠しごとしちゃダメですか?」:2024年2月23日
- 第6話「昔話しちゃダメですか?」:2024年3月1日
- 第8話「1回しくじったらダメですか?」:2024年3月15日
- 最終話「アップデートしなきゃダメですか?」:2024年3月29日
ここで押さえておきたいのは、赤堀さんが最終回だけに登場するゲストではないことです。
第5話から葛飾区立第六中学校の校長として物語の中に存在し、第6話、第8話にも登場したうえで、最終話に大きな見せ場が用意されています。
第5話では、昭和側で向坂サカエが不登校の生徒・佐高強について考える学校パートが進みます。第6話、第8話を含め、校長は市郎たちが働く学校の管理職として配置されていました。
ただし、これらの回で毎回校長自身が物語の中心になるわけではありません。
作品の主軸は市郎や娘の純子、孫の犬島渚、向坂サカエ、向坂キヨシらにあり、校長は昭和の学校という世界を構成する脇役の一人です。
だからこそ、最終回が効くんですよね。
何度か目にしていた「いつもの校長」に、それまで前面には出ていなかった私生活があると分かり、一気に人物の見え方が変わります。
私は、この脇役を最終回で主人公の変化を示す存在へ転換する構成がとても面白いと感じました。
登場時間の長さではなく、「その人物をどこに置くか」で物語に大きな意味を持たせているんですね。
『ふてほど』最終回で赤堀雅秋の女装校長に何が起きた?
赤堀雅秋さんの校長が強烈な印象を残したのは、2024年3月29日放送の最終話「アップデートしなきゃダメですか?」です。
市郎が2024年での生活を経て1986年へ戻ると、葛飾区立第六中学校にも変化が起きていました。
その一つが、校長の退職です。
校長には女装を楽しむ趣味があり、そのことが保護者に知られて騒ぎになります。
劇中ではPTAの保護者たちに囲まれ、女装をやめるのか、それとも教師を辞めるのかという趣旨の選択を迫られます。
すると校長は、深刻に悩み続けるのではありません。
女装を捨てるのではなく辞める方を即座に選び、辞表を置いて学校を去ってしまいます。最終回翌日の報道でも、この一連の場面が具体的に紹介されました。
ここは表現を正確にしておきたいところです。
ドラマの展開として確認できるのは、校長が女装趣味をやめるより、教師として学校に残ることをやめる選択をしたということ。後任としては、それまで教頭だった佐伯が校長側の立場を担うことになります。
校長本人の決断だけでも十分にインパクトがありますが、『ふてほど』という作品で本当に重要なのは、その出来事を見聞きした市郎の反応です。
令和へ行く前の市郎は、昭和的な「男らしさ」「教師らしさ」「こうあるべき」という価値観を疑う人物ではありませんでした。
ところが令和から戻った市郎は違います。
女装は仕事上の問題ではなく個人の趣味ではないか、誰かに迷惑をかけているわけではないのに大勢で責める方がおかしいのではないか、という方向から反発するのです。
ここで市郎は、単に「令和の知識を覚えた」のではありません。
他人を自分の常識だけで判断すること自体を疑える人へ変わったことが分かります。

さらに最終回では、市郎の変化を示す場面が校長の一件だけでは終わりません。
学校関係者の飲み会では若い女性教師がお酌をする光景に違和感を示し、不登校の生徒を一つの価値観にはめようとする姿勢にも反発します。
そして野球部では、それまで自分自身が行ってきた昭和式の厳しい指導にも疑問を持ち、「地獄のオガワ」から変わろうとします。
こうして並べてみると、校長の女装問題は単発のギャグではないことがよく分かりますね。
校長の退職を入口として、市郎が1986年の「当たり前」を次々に疑い始める。
その最初のスイッチとして、赤堀さんの校長がとても効果的に使われているのです。
赤堀雅秋の女装姿や退職に視聴者はどう反応した?
赤堀雅秋さん演じる校長の女装は、最終回放送後にも注目を集めました。
2024年3月30日のデイリースポーツは、校長の女装姿の完成度を面白がる声や、仕事より女装を選んでさっと辞めてしまった展開への反応を紹介しています。
さらに2024年4月2日には番組公式Xで校長の舞台裏が紹介され、翌3日のENCOUNTでも反響が報じられました。
そこで注目されたのも、赤堀さんの女装姿が予想以上に似合っていたという視聴者の驚きでした。
ただ、もう一つファンの想像を膨らませたのが、喫茶店「すきゃんだる」のトイレです。
『ふてほど』では、このトイレが物語の重要な仕掛けと関係しています。
最終回では校長が女性の服に着替える場所として「すきゃんだる」のトイレを利用していたことも分かり、視聴者の間では「校長も未来を見たのでは?」という考察まで生まれました。
ただし、ここは事実と考察を分けておきましょう。
校長が実際に未来へタイムスリップしたと確定する描写ではありません。
トイレという場所や、市郎から受け取ったものなどを材料に視聴者が想像を広げたものであり、公式設定として「校長も未来人だった」と断定するのは避けた方が正確です。
この余白も『ふてほど』らしいですよね。
すべてを台詞で説明するのではなく、「もしかして?」と視聴者が考えられる材料を残す。
赤堀さんの校長は、笑いを生む人物でありながら、作品を見終わった後にも考察したくなるキャラクターになりました。
赤堀雅秋の女装校長はなぜ重要?市郎の変化から考察
ここからは劇中で確認できる事実とは分けて、筆者として赤堀雅秋さんの校長役が最終回に置かれた意味を考えてみます。
私が最も重要だと思うのは、校長が「市郎のアップデートを測る物差し」になっていることです。
第1話の「地獄のオガワ」と最終回の市郎は何が違う?
第1話の市郎は、1986年の価値観を疑うどころか、その中心にいる人物でした。
生徒への厳しい指導を当然とし、「地獄のオガワ」と呼ばれる体育教師として登場します。
その市郎が2024年へ行くと、自分では普通だと思っている言動が周囲から次々に「不適切」と見られます。
ここまでなら、「昭和のおじさんが令和社会で価値観を学ぶドラマ」に見えますよね。
ところが最終回では構図が逆転します。
令和でさまざまな価値観に触れた市郎が昭和へ戻った途端、今度は昭和社会の方が市郎にとって居心地の悪い場所になるのです。
校長の女装趣味が問題視されたと聞いた市郎は、個人の趣味と仕事を切り分けて考えようとします。
歓迎会で女性教師がお酌をする姿にも疑問を持ち、野球部で自分が行ってきた厳しい指導まで見直します。
最終的には昭和の生きづらさを口にするほど、市郎の視点は変わっています。
ここが実に巧みだと思うんです。
「市郎は成長しました」と説明する必要がありません。
以前なら当たり前だと思っていた世界に市郎自身が反発する姿を見せれば、変化は一目で伝わるからです。
そして、その変化を最初に鮮やかに見せる題材として選ばれたのが、赤堀さん演じる校長の私生活でした。
「管理する人」が「管理される人」になる逆転
もう一つ、私が面白いと感じるのは校長という役職です。
校長は学校組織のトップであり、一般的には教師や生徒をまとめ、規律を守らせる側の人物ですよね。
ところが最終回では、その校長自身が私生活について周囲から「こうあるべきだ」と迫られます。
管理する側だった人物が、自分の生き方を管理される側へ回る。
この逆転は、『不適切にもほどがある!』という作品のテーマを考えるうえでも興味深いところです。
しかも校長は、自分の生き方について長い演説をしません。
大勢を説得しようともせず、趣味か仕事かを迫られると、驚くほど軽やかに自分の選択をします。
赤堀雅秋さんは俳優であると同時に、劇作家・脚本家・演出家として舞台でも活動してきた表現者です。
もちろん、その経歴が今回の演技に直接どう影響したかは、本人や制作側の説明がない限り断定できません。
それでも、長い説明ではなく一つの行動によって人物を強く印象づける役を赤堀さんが演じたことは、演劇好きとしても味わい深いところだと私は感じました。
『ふてほど』は「昭和対令和」の勝負ではない
そして校長のエピソードを考えるうえで忘れてはいけないのが、このドラマが昭和と令和のどちらか一方を正解にしていないことです。
最終回では、市郎が昭和の生きづらさに気づく一方、昭和を経験した向坂サカエは令和に戻ってから、SNSや人間関係のあり方にモヤモヤを感じています。
市郎とサカエが行き着くのは、昭和にも令和にもそれぞれ生きづらさがある、という地点です。
つまりアップデートとは、昭和の価値観を全部捨てて令和の価値観に交換することではないのでしょう。
筆者としては、自分が「普通」だと思っているものを一度疑い、目の前の相手を一人の人間として見直せることこそ、この作品が描いたアップデートに近いのではないかと感じます。
その意味で、赤堀さんの校長は非常に重要です。
第1話の「地獄のオガワ」と、最終回で校長の個人的な趣味を理由に責めることへ反発する市郎。
この二人の市郎を並べるだけで、全10話を通して主人公に何が起きたのかが見えてくるからです。
校長自身が大きく成長する物語ではなく、校長に起きた出来事によって主人公の成長が可視化される。
私はここに、赤堀雅秋さんの役柄が出演時間以上に記憶へ残る理由があると思います。
赤堀雅秋『ふてほど』の役柄をまとめると?
赤堀雅秋さんが『不適切にもほどがある!』で演じたのは、小川市郎が勤務する葛飾区立第六中学校の校長です。
登場が確認できるのは第5話・第6話・第8話・最終話で、最大の見せ場は2024年3月29日放送の最終回でした。
校長は女装の趣味を保護者に知られ、女装をやめるか教師を辞めるかという趣旨の選択を迫られます。
そこで趣味を捨てるのではなく辞める道を即座に選び、学校を去りました。
しかし、この場面の本当の面白さは「女装する校長」という意外性だけではありません。
令和を経験して1986年へ戻った市郎が、校長の個人的な趣味を理由に大勢で責めることへ反発したことで、第1話から最終回までの市郎の変化がはっきり見えるのです。
かつて「地獄のオガワ」と呼ばれていた人物が、今度は昭和社会の「当たり前」に違和感を持つ側になる。
この反転こそ、最終回「アップデートしなきゃダメですか?」に校長のエピソードが置かれた大きな意味ではないでしょうか。
管理する側の校長が周囲から生き方を管理され、その出来事を見た市郎が「それは個人の問題ではないか」と立ち止まる。
私はこの流れを見ると、『ふてほど』が問いかけたのは「昭和と令和、どちらが正しい?」という二択ではなく、違う価値観を持つ人をすぐに排除せず考える余地を持てるかということだったように思います。
赤堀雅秋さんの校長は決して出番の多い人物ではありません。
それでも最終回の短いエピソードによって、主人公の成長と作品のテーマを同時に照らした、実に『ふてほど』らしい脇役だったのではないでしょうか。
よくある質問
赤堀雅秋は『ふてほど』で何役を演じた?
赤堀雅秋さんは、葛飾区立第六中学校の校長役を演じました。阿部サダヲさん演じる小川市郎が勤務する、1986年側の中学校の校長です。
赤堀雅秋の校長は『ふてほど』の何話に出演した?
出演が確認できるのは、第5話・第6話・第8話・最終話(第10話)です。特に2024年3月29日放送の最終話「アップデートしなきゃダメですか?」で重要な役割を果たします。
『ふてほど』で赤堀雅秋の校長はなぜ辞めた?
女装の趣味を保護者に知られ、女装をやめるか教師を辞めるかという趣旨の選択を迫られたためです。校長は女装をやめず、学校を辞める方を選びました。この出来事に市郎が反発することで、令和を経験した市郎の価値観の変化も描かれています。


コメント