鈴木芽吹選手の出身中学は熱海市立泉中学校、高校は佐久長聖高校です。中学では陸上部ではなくソフトテニス部に所属しながら全国へ進み、高校1年で全国高校駅伝の区間賞と全国優勝を経験しました。
現在はトヨタ自動車に所属し、10000mで27分05秒92の日本記録を持つ鈴木芽吹選手。日本陸上競技連盟のプロフィールにも、熱海泉中(静岡)→佐久長聖高(長野)→駒澤大学という経歴が掲載されています。
「中学では何部だったの?」「なぜ佐久長聖へ進んだの?」「高校時代はどれくらい強かった?」と気になりますよね。ここでは公式記録を軸に、中学時代から全国高校駅伝、そして現在につながる成長の過程を丁寧にたどります。
鈴木芽吹の中学はどこ?熱海市立泉中学校で全国大会へ
鈴木芽吹選手の出身中学校は、静岡県熱海市の熱海市立泉中学校です。日本陸連の公式プロフィールでは「熱海泉中(静岡)」と記載され、出身地も静岡県とされています。
2001年6月3日生まれの鈴木選手は、現在こそ10000m日本記録保持者ですが、中学時代から学校の陸上部で専門的な長距離指導を受けていたわけではありません。
地元紙「タウンニュース」によると、泉中学校には陸上部がなく、鈴木選手は学校ではソフトテニス部に所属していました。 それでも陸上では全国大会まで進んでいたのです。
ここは、鈴木芽吹選手の学生時代を知るうえで、とても興味深いところですよね。
中学生の長距離ランナーというと、学校の陸上部に入り、毎日の部活動で走り込んで力を伸ばす姿を想像しがちです。しかし鈴木選手は、少なくとも学校の部活動という意味では、その典型的な道を歩んでいませんでした。
それでも中学3年時には全国レベルまで成長します。
2017年1月22日に広島で開催された天皇盃 第22回全国都道府県対抗男子駅伝では静岡県代表に選ばれ、中学生区間である2区3kmを担当しました。大会公式記録にも「鈴木芽吹[泉中]」と掲載されています。
鈴木選手は10位で襷を受けると、4人を抜いて6位まで順位を上げて中継。静岡県は最終的に5位に入りました。
当時の記事では、全国中学校大会やジュニアオリンピックへの出場経験があり、中学3年時の全国大会3000mでは10位だったことも紹介されています。
「陸上部がなかった」という一言だけを見ると、競技環境に恵まれなかった少年という印象になるかもしれません。
けれど記録を並べてみると、見えてくる姿は少し違います。
学校に陸上部がなくても、全国で戦える場所を見つけ、実際に結果を残していた。
私はこの点こそ、鈴木選手の中学時代の本当の面白さだと思います。
なお、鈴木選手が陸上に興味を持ったきっかけについて、2019年の地元記事では箱根駅伝を観戦したことが紹介されています。小学6年時には地元のオレンジマラソン3kmで1位になった経験もあったそうです。
のちに自分自身が駒澤大学の選手として箱根路を走ることを考えると、不思議な縁を感じますよね。
鈴木芽吹は中学で陸上部ではなくソフトテニス部だった
鈴木芽吹選手の中学時代について、とくに驚かれるのが「陸上部ではなかった」という事実です。
前述の通り、学校ではソフトテニス部に所属していました。一方で陸上競技では全国大会へ進み、都道府県対抗男子駅伝の静岡県代表にも選ばれています。
この二つの事実を一緒に見ることが大切だと思います。
「陸上部ではなかったのに全国へ行った天才」とだけ紹介すると、確かに分かりやすいのですが、それでは鈴木選手の成長過程を少し単純化しすぎてしまいます。
注目したいのは、学校の部活動とは異なる形でも競技を続け、全国で通用する走力を身につけていたことです。
2017年の全国都道府県対抗男子駅伝で任された2区は3km。中学生区間ですから、長い距離を一定のペースで走るだけではなく、高いスピードを保ちながら順位を争う力も求められます。
そこで10位から6位へ押し上げたという結果は、当時の鈴木選手が単に3000mのタイムを持っているだけではなく、駅伝という勝負の中で前を追える選手だったことを示しています。
これは後の高校時代を考えると、さらに興味深く見えてきます。
中学3年では4人を抜いて順位を上げ、高校1年では全国高校駅伝の6区で首位を奪い返す。
もちろん、中学生の都道府県駅伝と高校駅伝では大会もメンバーも条件も異なりますから、単純に同じものとして比較することはできません。
それでも、前にいる選手を追い、襷を受けた位置より良い状況で次へ渡すという結果が早い時期から繰り返し現れているのは、鈴木選手の学生時代を見るうえで見逃せない特徴だと私は感じます。
そして中学卒業後、その力をさらに伸ばす場所として選んだのが長野県の強豪・佐久長聖高校でした。
鈴木芽吹の高校は佐久長聖!1年で全国高校駅伝優勝
鈴木芽吹選手が中学校卒業後に進学したのは、長野県の佐久長聖高等学校です。日本陸連のプロフィールでも「佐久長聖高(長野)」と確認できます。
静岡県熱海市で育った鈴木選手にとって、県外の長野で競技生活を送ることは大きな環境の変化だったはずです。
しかも佐久長聖は、全国高校駅伝で優勝実績を持つ高校長距離界屈指の強豪です。
中学時代には学校に陸上部がなかった鈴木選手が、一転して全国トップクラスの選手たちと日々競い合う環境へ入ったわけですね。
その変化は大きかったでしょうが、鈴木選手は高校1年生から結果を残します。
2017年12月24日に京都で行われた第68回全国高校男子駅伝に1年生で出場し、6区5kmを担当しました。
公式記録ではタイムは14分20秒、区間1位。佐久長聖高校の公式発表でも同じ記録が確認できます。
しかも、ただの区間賞ではありませんでした。
大会記録によれば、佐久長聖は3区終了時点で首位・倉敷から38秒差の2位。4区で差を縮めた後、6区を走った鈴木選手が区間1位の快走でトップを奪い返しました。
佐久長聖はそのまま逃げ切り、2時間2分44秒で9年ぶり2度目の全国優勝を達成しています。
高校1年生が全国大会のメンバーに選ばれるだけでも大きなことです。
その1年生が、全国優勝を争う緊迫した場面で襷を受け、先頭を奪い返した。
ここに私は、鈴木芽吹選手の高校時代を象徴する場面があるように思います。
中学3年の都道府県対抗駅伝では10位から6位へ。
高校1年の全国高校駅伝では2位から1位へ。
鈴木選手は学生時代の早い段階から「自分の区間で状況を良くする」走りを全国舞台で見せていたのですね。
タイムの速さだけなら、数字を見れば分かります。
けれど駅伝では「どの順位で襷を受け、どう次の選手へ渡したか」も選手の価値を映す大切な情報です。
その視点で見ると、高校1年時の14分20秒という記録は、ただの区間賞以上の重みを持って見えてきます。
鈴木芽吹の佐久長聖3年間は?6区の区間賞から主将・1区へ
鈴木芽吹選手は、佐久長聖高校で3年連続して全国高校駅伝を走りました。
3年間の結果を並べると、鈴木選手が「全国大会に出る1年生」から「チームを背負う主将」へ変わっていった過程がよく分かります。
学年 大会 担当区間 個人成績 チーム成績
高1 第68回・2017年 6区5km 14分20秒・区間1位 優勝
高2 第69回・2018年 5区3km 8分44秒・区間4位 5位
高3 第70回・2019年 1区10km 28分58秒・区間7位 3位
高校2年だった2018年の第69回大会では、5区3kmを8分44秒、区間4位で走っています。佐久長聖の総合順位は5位でした。日本陸連が公開している大会記録で確認できます。
そして3年生の2019年には、佐久長聖の主将として第70回全国高校駅伝へ。
この年に任されたのは、各校のエース級が集まる1区10kmでした。
公式大会記録によると、鈴木選手は28分58秒で区間7位。佐久長聖は最終的に全国3位となっています。
なお、大会回数については間違えやすいので注意したいところです。
鈴木選手が高校3年時に出場した2019年大会は、第70回全国高校男子駅伝です。第71回ではありません。
こうした数字は小さな違いに見えますが、選手の経歴をたどる記事では大切にしたい部分ですよね。
そして、3年間で走った区間にも注目してみたいところです。
1年時は後半の6区5km。
2年時は短い5区3km。
3年時は最長の1区10km。
同じ高校駅伝でも、まったく役割が違います。
1年時には前を追って首位を奪い返す役割を果たし、2年では短い距離のスピード勝負を経験。そして3年では主将として、各校の有力選手がそろうスタート区間を任されています。
「全国大会を走らせてもらう1年生」から、「全国大会の最初の流れを作る主将」へ。
私は、この変化が鈴木芽吹選手の高校3年間をいちばん分かりやすく表していると思います。

さらに、佐久長聖時代の鈴木選手は国内駅伝だけで注目されていたわけではありません。
2019年には、デンマーク・オーフスで開催された世界クロスカントリー選手権のU20日本代表メンバーに選ばれました。日本陸連が公表した代表選手一覧にも、佐久長聖高校所属の鈴木芽吹選手の名前があります。
ただし、ここは正確に区別しておきたいところです。
地元紙の報道によれば、鈴木選手は現地で足の不調があり、実際のレース出場は見合わせました。 そのため「世界クロスカントリー選手権を走った」とするのは正確ではなく、「日本代表に選出され、現地まで進んだものの出走しなかった」とするのが事実に即した表現です。
華やかな経歴ほど、こうした違いを丁寧に扱いたいですよね。
出走できなかったこと自体は残念ですが、高校年代で国際大会の日本代表メンバーに選ばれる位置まで到達していたことは、当時の評価の高さを示しています。
佐久長聖で何が変わった?「速さ」以上に役割が広がった3年間
ここからは、確認できる記録をもとにした筆者なりの考察です。
鈴木芽吹選手の中学・高校時代を続けて眺めると、私は単純に「ずっと速かった選手」という印象だけでは終わりません。
むしろ目につくのは、競技環境の変化に合わせて、自分が担える役割を増やしていることです。
中学では学校に陸上部がありませんでした。
それでも全国都道府県対抗男子駅伝で静岡県代表となり、2区で4人を抜きました。
高校では全国屈指の強豪・佐久長聖へ。
そこでは1年生から全国高校駅伝のメンバーに入り、6区区間賞でチームを首位へ戻しました。
そして3年生になると、主将として1区を任されています。
この流れを見ると、「環境がなくても一人で強くなった」という美談だけでは説明しきれません。
中学で頭角を現したあと、より競争の激しい佐久長聖へ進み、その環境の中で全国優勝を経験し、最後は主将になった。
私はむしろ、成長段階に合わせてより高いレベルの環境へ身を置き、その環境に適応し続けたことが鈴木選手の学生時代の重要なポイントだと考えています。
そしてもう一つ面白いのが、「担当する区間が固定されていない」ということです。
高校では6区、5区、1区。
その後の駒澤大学では、箱根駅伝で5区、8区、4区、2区を走りました。
箱根駅伝公式記録では、第97回大会の5区で1時間12分44秒・区間4位、第98回8区で1時間7分47秒・区間18位、第99回4区で1時間1分00秒・区間3位、第100回2区で1時間6分20秒・区間2位という成績が残っています。
山上りの5区、復路の8区、往路の4区、そして各校のエースが集まる「花の2区」。
役割もコース特性も大きく異なります。
高校時代から一つの区間だけに特化したのではなく、異なる距離や状況を経験してきたことは、鈴木選手の競技者としての幅につながったのではないかしら、と私は感じます。
もちろん、区間経験だけで現在の強さを説明することはできません。
それでも高校3年間の変化を見ると、単なるスピードの成長だけではなく、短い区間、長い区間、追う展開、エース区間、主将という責任まで、少しずつ背負えるものを増やしていったことが分かります。
ここは記録表だけを一度眺めただけでは、なかなか見えてこない鈴木芽吹選手の魅力だと思います。
鈴木芽吹の中学・高校時代は駒澤大学と日本記録へどうつながった?
佐久長聖高校卒業後、鈴木芽吹選手は駒澤大学へ進学しました。日本陸連の現在のプロフィールでも「熱海泉中→佐久長聖高→駒澤大学」と確認できます。
大学でも1年生から箱根駅伝を走り、第97回大会では山上りの5区を担当。1時間12分44秒で区間4位でした。
4年生では主将となり、第100回箱根駅伝で花の2区を走って1時間6分20秒、区間2位。
高校3年時に佐久長聖の主将となり、大学4年でも駒澤大学の主将になったという経歴を見ると、鈴木選手の成長はタイムだけでは測れないものだったことが分かります。
大学主将への就任は、誰かに押しつけられただけではありません。
2023年のインタビューで鈴木選手は、大学では自ら主将に立候補したことを明かしています。高校時代にもキャプテンを経験していましたが、大学ではより明確に「キャプテンをやりたい」という思いがあったと振り返っています。
これは学生時代を一本の線で見ると、とても興味深い変化です。
中学時代は自分が走れる環境を探す立場。
高校では強豪校の中でメンバーとなり、やがて主将へ。
大学では自らチームを率いる立場を望むようになった。
走力だけでなく、自分がチームにどう関わるかという意識まで成長していったのですね。
大学卒業後はトヨタ自動車へ進み、さらに競技レベルを高めます。
2025年には日本選手権10000mで優勝し、アジア選手権では10000m銀メダル。東京で行われた世界選手権にも10000m日本代表として出場し、20位となりました。日本陸連のプロフィールにもこれらの主要成績が掲載されています。
そして2025年11月の八王子ロングディスタンスで、10000mを27分05秒92で走り、日本記録を樹立しました。
2026年6月時点の日本陸連プロフィールでも、この27分05秒92が自己ベストとして掲載され、鈴木選手は10000mの日本記録保持者と明記されています。
中学時代から考えると、ずいぶん遠くまで来たように感じますよね。
泉中学校には陸上部がなかった。
それでも全国都道府県対抗男子駅伝に出て4人を抜いた。
佐久長聖へ進むと1年で全国高校駅伝の区間賞と全国優勝を経験した。
3年では主将となり1区を走った。
駒澤大学でも主将となり、最後の箱根駅伝では花の2区で区間2位。
社会人となった後には世界選手権へ進み、ついには10000m日本記録までたどり着きました。
私はこの歩みを、「恵まれない環境でも才能さえあれば成功できる」という物語にはしたくありません。
それよりも心に残るのは、その時々の自分に必要な環境へ進み、そこで新しい役割や力を身につけてきたことです。
中学時代と佐久長聖時代では、競技環境はまるで違います。
それでも鈴木選手はどちらでも結果を残し、次のステージへ進みました。
名前の「芽吹」という文字になぞらえるなら、中学時代に芽を出し、佐久長聖で根と幹を太くし、駒澤大学から実業団へと枝を伸ばしていったような歩みでしょうか。
少し出来すぎた比喩かもしれませんが、学生時代の記録を追っていると、そんな成長の姿を重ねたくなってしまいます。
鈴木芽吹の中学・高校時代を振り返って分かること
鈴木芽吹選手の出身中学校は、静岡県の熱海市立泉中学校。出身高校は長野県の佐久長聖高校です。
泉中学校には陸上部がなく、学校ではソフトテニス部に所属していました。
しかし陸上では中学生のうちから全国大会へ進み、2017年の全国都道府県対抗男子駅伝では静岡県代表として2区3kmを走って4人抜き。10位から6位へ順位を上げました。
佐久長聖では高校1年から全国高校駅伝に出場。
2017年の第68回大会では6区5kmを14分20秒で走って区間賞を獲得し、2位から首位を奪い返しました。佐久長聖は2時間2分44秒で9年ぶり2度目の全国優勝を果たしています。
2年時は第69回大会5区で8分44秒の区間4位。
3年時には主将として2019年の第70回大会1区を走り、28分58秒の区間7位。佐久長聖は全国3位となりました。
また2019年には世界クロスカントリー選手権のU20日本代表メンバーに選出されましたが、現地で足の不調がありレース出場は見合わせています。ここは「世界大会出場」と誤解しないよう区別しておきたいところです。
こうして振り返ると、鈴木選手の学生時代を表す言葉は「昔から速かった」だけでは足りません。
陸上部のない中学校で全国へ進み、強豪高校へ飛び込み、高校1年で全国優勝の流れを変える走りを見せ、最後には主将としてエース区間を任された。
速さと同時に、背負う役割が少しずつ大きくなっていった学生時代だったのではないでしょうか。
そして高校時代のその経験は、駒澤大学での主将、トヨタ自動車での活躍、東京世界選手権、10000m日本記録へと続いています。
現在の鈴木芽吹選手を見ると、どうしても27分05秒92という数字に目を奪われます。
けれど記録は、ある日突然生まれるものではありません。
その数字のずっと手前には、陸上部のない泉中学校で走っていた中学生がいて、全国高校駅伝の6区で前を追い、首位を奪い返した佐久長聖1年生がいました。
記録表示は数秒で読めても、その記録にたどり着く物語には何年もの時間があります。
鈴木芽吹選手の中学・高校時代を知ると、これから見る一本一本のレースが、少し違って見えてくるのではないかしらと思います。
よくある質問
鈴木芽吹の出身中学校はどこ?
鈴木芽吹選手の出身中学校は、静岡県熱海市の熱海市立泉中学校です。日本陸連のプロフィールでは「熱海泉中(静岡)」と掲載されています。
学校には陸上部がなく、ソフトテニス部に所属していましたが、陸上では全国大会へ進みました。
鈴木芽吹の出身高校はどこ?
出身高校は、長野県の佐久長聖高校です。
全国高校駅伝には3年連続で出場し、1年時の2017年第68回大会では6区を14分20秒で走って区間賞。チームの全国優勝に貢献しました。
鈴木芽吹は高校3年で全国高校駅伝の何区を走った?
2019年の第70回全国高校駅伝で1区10kmを担当し、28分58秒で区間7位でした。佐久長聖は総合3位です。
鈴木芽吹は世界クロスカントリー選手権に出場した?
2019年大会のU20日本代表には選ばれましたが、地元紙によると現地で足の不調があり、実際のレース出場は見合わせています。
鈴木芽吹は高校卒業後どこの大学へ進学した?
佐久長聖高校卒業後は駒澤大学へ進学しました。箱根駅伝には第97回から第100回まで4大会連続で出場し、5区、8区、4区、2区を走っています。
大学4年時には主将を務め、卒業後はトヨタ自動車へ。現在は10000mで27分05秒92の日本記録を持っています。
執筆:春野滋


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