白井空良選手は神奈川県相模原市出身で、富士見小、中央中を経て、光明学園相模原高を2020年3月に卒業しています。
大学進学を裏付ける公式情報は、2026年8月時点では確認できません。学校名の根拠や在籍時期、地元の練習環境との関係を、確認できた事実に絞って紹介します。
白井空良の出身地・学歴は?公式情報を一覧で確認
白井空良(しらい・そら)選手の出身地は、神奈川県相模原市です。
2001年11月3日生まれで、2026年8月時点では24歳。男子スケートボードのストリート種目で活躍し、ムラサキスポーツに所属しています。
出身校は、次の3校です。
- 相模原市立富士見小学校
- 相模原市立中央中学校
- 光明学園相模原高等学校
学校名は、相模原市が2021年10月21日に公表した東京2020オリンピックの結果報告資料で確認できます。
さらに光明学園相模原高等学校も、2026年7月8日付のお知らせで、白井選手を「令和2年3月」に卒業した同校出身者として紹介しています。令和2年は2020年です。
確認できる学歴を、在籍時期の目安や根拠とともに整理しました。
学校段階 学校名 在籍・卒業時期の目安 所在地 主な確認資料 確認状況
小学校 相模原市立富士見小学校 2008年4月ごろ~2014年3月ごろ 相模原市中央区 相模原市の2021年10月21日公表資料 卒業を確認
中学校 相模原市立中央中学校 2014年4月ごろ~2017年3月ごろ 相模原市中央区 相模原市の2021年10月21日公表資料 卒業を確認
高校 光明学園相模原高等学校 2017年4月ごろ~2020年3月 相模原市南区 相模原市資料、同校の2026年7月8日発表 2020年3月卒業を確認
大学 公表された学校名なし ― ― 公式プロフィールなどで確認できず 進学の有無を断定できない
小学校と中学校の在籍時期は、2001年11月生まれの白井選手が一般的な時期に入学した場合の目安です。入学年月を直接示した公式資料ではないため、確定情報としてではなく参考としてご覧ください。
一方、高校の卒業年月は、卒業校自身が2020年3月と明らかにしています。
公式情報で確認できる最終学歴は、光明学園相模原高等学校卒業です。大学については「進学していない」のではなく、「進学を確認できる公式情報がない」というのが正確な答えになります。
検索すると、体操競技で活躍した白井健三さんの学歴が混ざることがあります。
白井健三さんは日本体育大学へ進学していますが、スケートボードの白井空良選手とは別人です。名前が似ているため、「白井空良 大学」と調べる際には情報を取り違えないよう注意したいですね。
白井選手は、小学校から高校まで相模原市内の学校で学んでいます。
世界で活躍する選手と聞くと、幼少期から海外を転々としていたような経歴を思い浮かべる方もいるかもしれません。しかし、白井選手の学校生活の基盤は、出身地である相模原市に置かれていました。
白井空良の出身小学校は相模原市立富士見小学校
白井空良選手の出身小学校は、相模原市立富士見小学校です。
富士見小学校の所在地は神奈川県相模原市中央区で、白井選手が同校を卒業したことは、相模原市の2021年10月21日公表資料に記載されています。
白井選手がスケートボードを始めたのは5歳のころです。
博報堂DYスポーツマーケティングが2026年4月時点で掲載している公式選手紹介では、「5歳の時に親のすすめで始めた」と説明されています。家族が競技と出会うきっかけを作ったのですね。
幼少期の主な練習場所として知られているのが、相模原市中央区の小山公園ニュースポーツ広場です。
同広場には、スケートボードやインラインスケートなどを楽しめる設備があります。白井選手は、幼いころからこの場所で滑り、技術を磨いてきました。
ここで区別しておきたいのは、白井選手が富士見小学校の部活動でスケートボードに取り組んだと確認されたわけではないことです。
公開資料から分かるのは、次の二つです。
- 学校生活の場は相模原市立富士見小学校だった
- 日常的な練習の場として小山公園ニュースポーツ広場を利用した
つまり、出身小学校は富士見小、競技の原点は地域のスケートパークと整理するのが適切です。
野球やサッカーでは、学校の部活動や地域クラブが育成の中心になることが多いですよね。ところが、スケートボードは学校外の公園や専用パーク、街中を模した設備が大切な練習場所になります。
男子ストリートでは、階段や手すり、縁石などを模した障害物を使い、技の難度、完成度、構成、独創性などを競います。
教員や監督から一斉に同じ課題を与えられる競技とは異なり、スケートボーダーは自分で試す障害物や技を選びます。失敗と修正を繰り返しながら、自分らしい滑りを作っていく面が強い競技です。
白井選手は2025年1月公開の博報堂DYグループによるインタビューで、誰もしていない技に挑み、見る人を驚かせたいという趣旨を語っています。
幼少期から地域のパークへ通った経験と、後に独創的な技を追求するようになった競技観との間に、直接的な因果関係があるとまでは断定できません。
それでも、同じ場所で何度も試し、成功するまで工夫できる環境が身近にあったことは、白井選手が競技を継続するうえで大切な土台の一つだったと考えられます。
筆者として特に興味深く感じるのは、白井選手の成長が「学校の部活動だけでは説明できない」点です。
富士見小学校という生活の場、家族による競技との出会い、小山公園という地域の練習場所。この三つが重なり、学校外で技術と表現を磨くスケートボード特有の成長過程が見えてきます。
白井空良の出身中学校は相模原市立中央中学校
白井空良選手の出身中学校は、相模原市立中央中学校です。
中央中学校も相模原市中央区にあり、卒業生であることは相模原市が2021年10月21日に公表した資料で確認できます。
2001年11月3日生まれであることから、一般的な進学時期であれば、2014年4月ごろに入学し、2017年3月ごろに卒業したと考えられます。
ただし、これは生年月日から計算した目安です。入学年月や卒業年月そのものを記載した学校資料が確認されているわけではありません。
中学校時代の部活動、学業成績、校内での活動についても、詳細な公式情報は公表されていません。
中央中学校にスケートボード部があり、白井選手が所属していたという資料も確認できないため、「中学校の部活動で才能を伸ばした」と説明するのは正確ではありません。
確認できる事実は、中央中学校の卒業生であることと、5歳から続けてきたスケートボードにこの年代も取り組んでいたという競技歴です。
学校生活に関する情報が少ないと、つい当時の練習風景や友人とのエピソードを想像したくなりますよね。しかし、本人や学校が明らかにしていない内容を事実のように補うことはできません。
分からない部分を「分からない」と示すことも、選手の経歴を誠実に伝えるためには欠かせない姿勢だと思います。
一方で、富士見小学校から中央中学校へ進み、引き続き相模原市中央区を生活の基盤としていた点には注目できます。
白井選手は、学校の部活動を中心とした一本道ではなく、地元の学校へ通いながら、学校外のパークで競技を続ける道を歩んだとみられます。
これはスケートボード選手の育ち方を理解するうえでも重要です。
練習環境が学校の中に限られないからこそ、地域に継続して滑れる場所があるか、家族が移動や活動を支えられるか、異なる年代のスケーターと交流できるかといった要素も大きな意味を持ちます。
白井選手の代名詞として知られるのが、通称「ソラグラインド」です。
ムラサキスポーツの選手紹介では、白井選手のオリジナルトリックとして取り上げられています。自分の名前で呼ばれる技を持つことからも、既存の正解をなぞるだけではない独創性が伝わってきます。
ただし、ソラグラインドが中央中学校在学中に完成した、あるいは中学校時代の特定の経験から生まれたと確認できる資料はありません。
中学校時代については、地元の中央中学校で学びながら、学校外でスケートボードを継続した時期と捉えるのが、確認済みの事実に沿った説明でしょう。

白井空良の出身高校は光明学園相模原高等学校
白井空良選手の出身高校は、光明学園相模原高等学校です。
同校は神奈川県相模原市南区にある私立高校で、白井選手は2020年3月に卒業しました。
高校名は相模原市の資料だけでなく、光明学園相模原高等学校が2026年7月8日に発表したお知らせでも確認できます。
自治体と卒業校という二つの公的性格を持つ情報源が一致しているため、高校名と卒業時期については根拠が明確です。
一般的な進学時期であれば、白井選手は2017年4月ごろに同校へ入学したと考えられます。ただし、在籍したコース、校内での活動、部活動への所属状況、遠征と授業を両立するために利用した制度などは、公表資料から確認できません。
高校時代の学校生活そのものは不明な点が多い一方、この年代の競技成績は具体的に残されています。
高校3年生に当たる2019年、白井選手は「Damn Am Japan」で優勝しました。
同年には「WORLD SKATE OI STU OPEN」でも優勝し、「DEW TOUR Long Beach」で2位、「X Games Minneapolis」で3位、「SLS Los Angeles」で6位に入っています。
博報堂DYスポーツマーケティングが2020年9月11日に発表したマネジメント契約締結資料にも、2019年の主な戦績として、次の結果が掲載されています。
- WORLD SKATE OI STU OPEN:優勝
- DEW TOUR Long Beach:2位
- X Games Minneapolis:3位
- SLS Los Angeles:6位
白井選手は、相模原市内の高校に通う年代で、すでに海外の主要大会でも上位に入っていたのです。
この点から、高校時代を単に「学生生活と競技を両立した時期」とまとめるだけでは、その特徴を十分に捉えられません。
学校に籍を置きながら、国内外の大会や映像作品を通じて、プロのスケートボーダーとして評価される領域へ踏み出した時期だったと考えられます。
2019年には、Blind Skateboardsの映像作品「Time Change」に自身のスケートパートも残しました。
スケートパートとは、選手が街やパークなどで成功させた技を撮影し、一つの映像として編集したものです。大会のように決められた会場で得点を争うだけでなく、技の選択、撮影場所、滑りの流れなどを通して選手の個性を表現します。
つまり、白井選手は高校年代に、大会成績と映像表現の両方で評価を高めていたことになります。
これは、学校部活動の大会成績だけを追えば選手の成長が分かる競技との大きな違いです。
スケートボードでは、公式大会の順位だけでなく、どのような技をどんな場所で見せたのか、その選手にしかないスタイルがあるかという点も注目されます。
白井選手は2019年、相模原市から文化・スポーツ表彰も受けました。地元の高校に在学しながら世界規模の大会で結果を残し、その活躍が相模原市からも評価されたのですね。
ところが、高校卒業を間近に控えた2020年2月、白井選手は左膝の前十字靱帯を断裂しました。
テレビ東京が2020年9月に伝えた内容によると、同年4月に手術を受け、その後はリハビリに取り組んでいます。
前十字靱帯は、膝の安定性に関わる重要な組織です。ジャンプからの着地や、ボード上での繊細な姿勢制御が求められる競技だけに、選手生命への不安を抱くほどの負傷だったと考えられます。
白井選手自身も2022年のインタビューで、けがをした直後には競技人生が終わったように感じたことを振り返っています。
その後、親友の支えや練習施設の設計に関わる時間を通して、周囲から応援されていることに改めて気づいたという趣旨も語っていました。
高校年代で世界へ進む技術と表現力を身につけ、卒業の時期には競技を続けられるか分からない大けがに直面した白井選手。
光明学園相模原高校時代は、華やかな国際成績だけでなく、その後の競技人生を左右する試練へ向き合い始めた時期でもあったのです。
白井空良は大学へ進学した?高校卒業後の歩み
白井空良選手の大学進学については、2026年8月時点で裏付けとなる公式情報を確認できません。
所属先やマネジメント会社などの公式プロフィールにも、大学名や大学卒業に関する記載は見当たりません。
したがって、「大学へ進学していない」「高卒でプロになった」と断定することは避けるべきです。
公開情報から確実に確認できる最終学歴は、2020年3月の光明学園相模原高等学校卒業となります。
高校卒業前後に左膝の前十字靱帯を断裂した白井選手は、手術とリハビリを経て競技へ復帰しました。
2021年の「WORLD SKATE CHAMPIONSHIPS」で3位となり、東京2020オリンピックの出場資格を獲得。東京大会の男子ストリートでは予選9位となり、上位8人による決勝にはわずかに届きませんでした。
「東京五輪9位」とだけ書くと、決勝で9位だったようにも受け取れます。正確には、男子ストリート予選9位で、最終順位も9位と整理できます。
2024年のパリオリンピックでは決勝へ進出し、4位となりました。初出場の東京大会では決勝進出まであと一歩、2度目のパリ大会ではメダルまであと一歩というところまで順位を上げています。
こうした卒業後の戦績は華やかですが、学歴を確認したい読者にとって必要な結論は変わりません。
白井選手について公式に確認できるのは光明学園相模原高校卒業までであり、大学に関しては公開情報がないということです。
高校卒業後の歩みで、学歴や地元との関係を考えるうえで注目したいのが、練習施設づくりへの参加です。
白井選手は、神奈川県寒川町にある「THE PARK SAMUKAWA」の設計に携わり、同施設を練習拠点としています。
博報堂DYスポーツマーケティングが2026年4月時点で掲載している公式プロフィールでも、自らプロデュースした寒川のパークを拠点にしていると紹介されています。
本人のインタビューによると、2020年の負傷後、リハビリ期間中に同施設の設計へ関わりました。
幼少期には小山公園ニュースポーツ広場という地域の施設で練習し、成長後は自分の経験を生かして、練習する場所を作る側にも回ったのです。
筆者としては、ここに白井選手の学歴と競技環境を結ぶ大切な視点があると考えます。
白井選手は、学校の運動部を中心に競技力を高めた選手としてではなく、地域のパークで技を磨き、大会と映像の双方で独自性を表現し、やがて自ら練習環境の設計にも関わる選手へ成長しました。
もちろん、相模原市の学校に通ったことだけで世界的な成績を説明することはできません。
本人の努力、家族や友人の支え、スポンサー、遠征経験、負傷からの回復、練習施設など、さまざまな要素が関係しています。
それでも、富士見小学校、中央中学校、光明学園相模原高校という地元での学校生活と、小山公園での日常的な練習が並行していた点は見逃せません。
学校と競技施設が別々に存在しながら、どちらも生活圏の中にあったことが、競技を長く続けられる土台の一つになったのではないでしょうか。
白井選手は2026年7月10日、相模原市で7人目となる「相模原市ホームタウンアスリート」に認定されました。
相模原市が同年7月2日の定例記者会見で認定予定を発表し、光明学園相模原高等学校も7月8日付で卒業生として紹介。認定式は7月10日午前11時30分から、相模原市役所本館1階ホールで行われました。
認定時点の相模原市発表では、白井選手は世界ランキング1位の選手として紹介されています。
ランキングは大会結果によって変動する情報です。そのため、「常に世界1位」と捉えるのではなく、2026年7月2日の相模原市発表時点における紹介として理解する必要があります。
卒業後の成績や認定制度は学歴そのものではありませんが、地元の学校で学んだ選手が、世界で結果を残して地域の顔として迎えられたという歩みを示しています。
学歴を調べる意味は、学校名を並べることだけではないのかもしれません。
白井選手の場合は、相模原で学び、学校外のパークで技を磨き、大会と映像で自分のスタイルを確立していった過程まで見ることで、世界へ進んだ道筋がより具体的に伝わってきます。
まとめ
白井空良選手の出身地は、神奈川県相模原市です。
出身校は相模原市立富士見小学校、相模原市立中央中学校、光明学園相模原高等学校で、高校は2020年3月に卒業しています。
3校の学歴は、相模原市が2021年10月21日に公表した資料で確認できます。高校名と卒業時期については、光明学園相模原高等学校も2026年7月8日付のお知らせで公表しています。
大学進学の有無や大学名は、2026年8月時点の公式情報では確認できません。したがって、公開資料上の最終学歴は光明学園相模原高等学校卒業となります。
白井選手は5歳でスケートボードを始め、相模原市中央区の小山公園ニュースポーツ広場で練習しました。
高校3年生に当たる2019年には、WORLD SKATE OI STU OPEN優勝、DEW TOUR Long Beach 2位、X Games Minneapolis 3位などの成績を残し、映像作品「Time Change」でも自身のスタイルを表現しています。
その経歴から見えてくるのは、学校部活動だけではなく、地域のパーク、大会、映像作品を通して成長するスケートボード独自の育成過程です。
富士見小、中央中、光明学園相模原高という学歴は、白井選手が相模原で日常を送りながら競技を続け、独創性を武器に世界へ進んだ歩みの基盤を伝えています。
よくある質問
白井空良選手の出身地はどこですか?
神奈川県相模原市です。小学校から高校まで、相模原市内の学校を卒業しています。
白井空良選手の出身中学校と高校はどこですか?
出身中学校は相模原市立中央中学校、出身高校は光明学園相模原高等学校です。高校は2020年3月に卒業しました。
白井空良選手は大学へ進学していますか?
大学進学の有無や大学名を裏付ける公式情報は、2026年8月時点で確認できません。日本体育大学へ進学した体操競技の白井健三さんとは別人です。
執筆:春野滋(エンタメ&スポーツ愛好家ライター)


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