楢崎智亜さんの最終学歴は宇都宮北高校で、大学へは進学せずプロクライマーの道を選びました。
高校卒業後とみられる2015年から競技へ専念し、2016年9月には世界選手権男子ボルダリングで日本人初優勝。小学校・中学校から高校までの学歴、医学部も意識した進路選択、世界王者になるまでの歩みを整理します。
楢崎智亜の高校・大学と学歴は?
楢崎智亜さんの出身高校は栃木県立宇都宮北高校で、本人インタビューによると高校卒業後は大学へ進学せず、クライミングに専念しました。
JOC(日本オリンピック委員会)が2024年7月26日時点で掲載している選手プロフィールでは、「在学校名/最終学歴」が栃木県立宇都宮北高校となっています。
宇都宮市が2024年8月8日に更新した選手紹介でも、出身校は宇都宮北高等学校です。高校名については、複数の公的な情報で一致しています。
一方、大学へ進学しなかったことの直接的な根拠は、JOCの最終学歴欄ではなく、楢崎さん本人が進路について語ったインタビューです。
最終学歴が高校と記載されているだけでは、大学へ一時的に在籍した可能性まで否定できません。高校名は公的プロフィール、大学非進学は本人発言を根拠にすると分けることで、情報の確度が分かりやすくなります。
楢崎さんの学校歴と進路は、次のように整理できます。
時期 学校・進路 根拠と主な出来事
小学校 作新学院小学部と紹介されている 作新学院の卒業生対談などで学校歴が紹介されている
中学校 作新学院中等部 作新学院が2021年7月19日に中等部卒業生として紹介
高校 栃木県立宇都宮北高校 JOCと宇都宮市の公式プロフィールで確認
高校卒業後 大学へ進学せず競技に専念 本人インタビューで進学との間で悩んだ経緯を説明
卒業年月 2015年3月とみられる 1996年6月22日生まれで、通常の進級過程をたどった場合の推定
ここで注意したいのが、卒業年月の確度です。
楢崎さんは1996年6月22日生まれなので、留年などがなく一般的な進級過程をたどった場合、宇都宮北高校の卒業は2015年3月と考えられます。ただし、本人や学校が卒業年月を明記した資料に基づく確定情報ではないため、本記事では「2015年3月とみられる」と表現します。
その前提で計算すると、2016年9月の世界選手権優勝は高校卒業から約1年半後です。
楢崎さんの学歴で本当に注目したいのは、大学名がないことではありません。進学と競技の間で迷った末に期限を定めてプロへ進み、短期間で世界の頂点に届いた進路の組み立て方なのです。
楢崎智亜の小学校・中学校は?10歳で競技を始めた原点
楢崎智亜さんは、作新学院小学部から作新学院中等部へ進んだと紹介されています。
中学校については、作新学院が2021年7月19日、東京オリンピックに出場する楢崎さんを「中等部卒業生」として取り上げました。中等部校舎では、楢崎さんのほか、競泳の萩野公介さんや飛び込みの榎本遼香さんを応援する企画も実施されています。
また、作新学院が公開した楢﨑智亜さんと弟・明智さんの卒業生対談では、兄弟が同学院で過ごした学校歴が紹介されています。この学校側の発信が、小学校・中学校時代を確認する際の主な根拠です。
ただし、小学部については、JOCや自治体のプロフィールで明記された宇都宮北高校ほど根拠が多いわけではありません。そのため「公的資料で完全に確定」と扱うのではなく、学校が公開した卒業生関連情報に基づく経歴として捉えるのが慎重でしょう。
楢崎さんはクライミングを始める前、器械体操に取り組んでいました。
2017年に公開された本人インタビューによると、小さい頃から続けていた器械体操を小学4年生でやめ、その後、兄が通うクライミングジムについて行きました。そこで壁を登る楽しさを知り、10歳でクライミングを始めています。
壁の中を自由に動き回れることや、登る行為そのものが楽しかったというのが、楢崎さんの競技生活の原点でした。
クライミング専門メディア「CLIMBERS」の選手名鑑では、器械体操で培った跳躍力や空中でのバランス感覚が、その後の登りにも生かされたと紹介されています。
楢崎さん本人も2017年のインタビューで、海外選手より体が小さい分、しなやかさや「バネ」を使って飛ぶ動きを得意としていると説明しました。
器械体操とクライミングは異なる競技ですが、踏み切る方向を判断し、空中で姿勢を整える感覚には共通点があります。幼少期の体操経験が、後に代名詞となるダイナミックな登りの土台になったと考えられるのです。
中学3年時には、国内ユースの公式戦で初めて表彰台に立ちました。
10歳で始めたクライミングが、中学生の頃には全国レベルで結果を競う活動へ変わっていました。趣味としての楽しさを失わず、大会で試行錯誤を重ねたことが、高校で世界へ挑戦するための助走になったのでしょう。
楢崎智亜の出身高校は宇都宮北高校!在学中の国際成績は?
楢崎智亜さんの出身高校は、栃木県立宇都宮北高校です。
JOCの選手プロフィール、宇都宮市の公式紹介、Olympics.comの選手情報で学校名が一致しており、学歴の中でも特に確度の高い情報です。
一方、宇都宮北高校への入学方法を「一般受験」とする情報や、山岳部があることを志望理由と結びつける紹介も見られます。
しかし、本人や高校が入試形態、志望理由を明確に説明した一次情報は確認できません。出身校が分かっていることと、その高校を選んだ理由まで分かっていることは別ですから、推測による断定は避けたいところですね。
高校在学中の楢崎さんは、ユース大会だけでなく、シニアの世界大会にも挑戦しました。
主な国際成績を、在学中と卒業後に分けると次のようになります。
高校在学中とみられる時期
- 2012年8月:世界ユース選手権リード4位
- 2014年8月:ドイツ・ミュンヘン開催の世界選手権ボルダリング10位
高校卒業後とみられる時期
- 2015年8月:世界ユース選手権ボルダリング4位
- 2015年12月:アジアユース選手権ボルダリング優勝
2015年8月と12月の大会は、卒業時期を2015年3月と推定するなら、高校在学中の成績ではありません。卒業後も年齢区分上はユース大会へ出場できたため、「ユース大会出場=高校生」とは限らない点に注意が必要です。
2012年の世界ユース選手権は、通常の進級過程なら高校1年生に当たる時期でした。世界の同年代を相手にリードで4位へ入ったことは、国際舞台で戦える手応えにつながったと考えられます。
さらに2014年、高校3年生に当たる時期には、ユースではなくシニアの世界選手権へ初出場。男子ボルダリングで10位に入りました。
ボルダリングは、選手が初めて見る複数の課題を、制限時間内に攻略する競技です。どのホールドを使うか、静かに体を運ぶか、思い切って飛ぶかを短時間で判断するため、身体能力と問題解決力の両方が求められます。
高校生でシニア世界選手権10位という成績は、卒業後の進路を考えるうえで大きな判断材料だったはずです。
ただし、2020年に公開された本人インタビューによると、楢崎さんは当時、同世代の中で飛び抜けて最も成績の良い選手だったわけではありませんでした。有力選手の多くが大学へ進み、高校卒業と同時にプロになる選手もほとんどいなかったそうです。
後の世界王者という結果から振り返ると、プロ転向は当然の選択に見えるかもしれません。しかし実際には、成功が約束されていない中での決断だったのです。
楢崎智亜はなぜ大学へ進学しなかった?医学部との間で悩んだ理由
楢崎智亜さんは、大学へ行けなかったのではなく、進学と競技の両立を検討したうえでプロクライマーになる道を選びました。
2017年に公開された本人インタビューでは、高校卒業後の進路について最後までかなり悩んだことが語られています。
両親からは大学進学を勧められ、本人も大学に通いながら競技を続ける方法を考えました。しかし、別の道を残していると、クライミングで結果が出なかったときに逃げてしまうのではないかと感じたそうです。
そのため、自分は一つに絞った方が集中できると判断し、競技を生活の中心に置きました。
これは大学進学と競技の両立を否定する発言ではありません。同じトップクライマーでも大学で学びながら世界大会へ出場する選手はおり、楢崎さんが自分の性格に合った方法を選んだということです。
進路を考える際には、医学部も現実的な選択肢として意識していました。
2020年2月10日に公開された「THE ANSWER」の本人インタビューによると、楢崎さんの父親は内科を開業しており、家業を誰が継ぐのかという問題があったからです。
楢崎さん自身は、幼い頃から一貫して医師を目指していたわけではありません。
しかし、兄が当初は医学部ではない大学へ進み、弟も医師になる意思を示していなかったため、自分が父親の後を継ぐ可能性を考えるようになったといいます。
その後、楢崎さんが世界を目指す姿を見た兄が大学を離れ、医師になるための勉強を始めました。この家族内の進路の変化によって、楢崎さんはクライミングへ集中しやすくなったそうです。
父親からは、プロになって2年以内に成績が伸びなければ大学受験をするようにという条件も示されていました。
ここで大切なのは、「2年以内に世界選手権で優勝すること」が条件だったわけではない点です。本人が説明したのは、2年間で成績が伸びなければ大学受験をするという判断の目安でした。
私は、この期限には家族の現実的な支え方が表れていると感じます。
無期限に結果を待つのではなく、挑戦できる時間と次の選択肢を共有する。厳しさはありますが、プロへの挑戦そのものを否定せず、若い楢崎さんが競技に集中できる枠組みを家族で作ったとも考えられるでしょう。
高校卒業後から世界王者へ!2015年と2016年の成長
楢崎智亜さんは、通常の進級過程なら2015年3月に高校を卒業したとみられます。
その後、2016年9月にフランス・パリで開催された世界選手権男子ボルダリングを制覇。卒業時期の推定を前提にすれば、約1年半で世界王者になった計算です。
ただし、プロ転向直後から勝ち続けていたわけではありません。
宇都宮市が2016年度の広報記事として掲載した紹介によると、プロ1年目の楢崎さんは順位を意識しすぎ、大会へ出ることが嫌になった時期がありました。
そこでクライミングの先輩やフィジカルコーチと話し合いを重ね、競技への向き合い方を見直したといいます。この過程でプロとしての自覚が生まれたことを、本人が振り返っています。
2015年には、卒業後とみられる時期に全日本ユース選手権とアジアユース選手権で優勝しました。世界のシニア大会だけに目を向けるのではなく、ユース世代の大会で勝ち切る経験も積んでいます。
2016年5月には、中国・重慶で開催されたワールドカップのボルダリング第3戦で初優勝しました。
その後も4大会連続で2位以上に入り、最終戦のドイツ・ミュンヘン大会では、決勝に用意された4課題をただ一人すべて完登。日本男子として初めてボルダリング・ワールドカップ年間総合優勝を果たしました。
同年9月14日から18日まで、フランス・パリで世界選手権が開催されました。
JMSCA(日本山岳・スポーツクライミング協会)が2016年9月19日に発表した大会報告によると、楢崎さんは予選を1位で通過しました。
準決勝では、ボーナス獲得までに要した試行回数の差によって6位となり、決勝へ進出。決勝では準決勝6位だったため、最初に登る選手となりました。
楢崎さんは第1課題と第3課題を完登し、最後の第4課題は最初の試行で登り切る「フラッシュ」に成功しました。後続選手の競技が残る中で優勝が決まり、日本人選手として初めて世界選手権男子ボルダリングの頂点に立ったのです。
公式資料の大会期間と報告内容から、優勝は現地時間2016年9月17日の男子ボルダリング決勝で決まったと整理できます。
この結果を「高校卒業後、突然才能が開花した」と見るのは正確ではないでしょう。
器械体操で培った身体感覚、10歳から続けたクライミング、中学・高校時代のユース大会、2014年のシニア世界選手権10位という蓄積がありました。その土台に、プロ転向後の集中的な競技環境と精神面の立て直しが加わり、2016年の飛躍につながったと考えられます。
楢崎智亜の学歴と進路をどう見る?3つのポイントを考察
ここからは、確認できた本人発言と戦績を基にした筆者の考察です。
楢崎智亜さんの進路には、主に「2年間の期限」「周囲との対話」「成功例を一般化しない」という3つの注目点があります。
2年間の期限が挑戦を具体的にした
第一のポイントは、父親から示された2年間という目安です。
楢崎さんは高校時代にシニア世界選手権10位へ入っていましたが、同世代で圧倒的な成績を残していたわけではありません。プロ転向には期待だけでなく、結果が伸びない可能性もありました。
そこで家族は、一定期間で成長を確認し、難しければ大学受験へ切り替える道を残しました。
筆者としては、これは単なる「退路を断つ決断」ではなく、挑戦と再検討の時期を具体化した進路設計だったと考えます。夢を応援しながら、次の選択肢についても家族で共有していた点が重要です。
周囲との対話がプロ1年目の苦悩を変えた
第二のポイントは、プロになった後の立て直しです。
競技一本に絞れば、練習時間は増えます。しかし、順位が生活や将来へ直結するため、精神的な負担まで軽くなるとは限りません。
実際に楢崎さんは、プロ1年目に順位を気にしすぎ、大会を嫌になった時期を経験しました。
その状態から抜け出すきっかけになったのが、先輩やフィジカルコーチとの話し合いです。本人発言と、その後の2016年の成績上昇を結びつけて考えると、世界王者への転機は練習量だけでなく、競技との向き合い方を再構築したことにもあったのでしょう。
覚悟とは、一人で不安に耐え続けることではありません。必要な助言を受け入れ、自分の状態を修正できる柔軟さも、トップ選手に欠かせない力なのだと感じます。
大学非進学という成功例を一般化しない
第三のポイントは、楢崎さんの成功を「大学へ行かなかったから世界一になれた」と単純化しないことです。
楢崎さんには、高校時代にシニア世界選手権10位へ入った実績がありました。家族の理解、競技へ集中できる環境、先輩やコーチの支援もあり、結果が伸びなければ大学受験へ切り替える期限も設定されていました。
これらの条件を抜きにして、進学しない方が夢へ近づけるとはいえません。
大学で専門的に学びながら競技を続ける選手もいます。楢崎さんの場合は、自分の性格や当時の実力、家庭の事情を踏まえ、一つに集中する方法を選んだことが結果につながりました。
つまり、学歴から得られる教訓は「学歴は必要ない」ということではなく、自分の現在地を確かめ、支援環境と期限を含めて進路を考える大切さではないでしょうか。
私は、世界選手権優勝という華やかな結果以上に、その前にあった迷いと修正に心を動かされます。
医学部という可能性を意識しながら本当に取り組みたい競技を選び、プロ1年目の苦しさに直面すると、周囲との対話によって姿勢を立て直しました。その一つひとつの判断が、2016年の世界一へつながったように感じられます。
まとめ
楢崎智亜さんは、作新学院小学部・中等部で学び、栃木県立宇都宮北高校へ進学したと紹介されています。高校名はJOCと宇都宮市の公式プロフィールで確認でき、最終学歴は宇都宮北高校です。
大学非進学については、本人が進学と競技の両立を検討した末、クライミングに専念したと語っています。内科を開業する父親の後を継ぐため医学部へ進む可能性も意識しましたが、家族の進路の変化もあり、プロクライマーの道を選びました。
卒業年月は、生年月日と通常の進級過程から2015年3月とみられます。その前提では、2016年9月の世界選手権男子ボルダリング日本人初優勝まで約1年半です。
2年間という期限、プロ1年目の苦悩、先輩やコーチとの対話を経た立て直しが、ワールドカップ年間総合優勝と世界選手権優勝につながりました。
楢崎さんの学歴は、学校名を並べるだけでは見えてきません。自分の実力と性格を見つめ、家族や周囲と相談しながら世界一へつなげた進路の記録なのです。
よくある質問
楢崎智亜さんの出身高校はどこですか?
栃木県立宇都宮北高校です。JOCの選手プロフィールと宇都宮市の公式紹介で、最終学歴・出身校として確認できます。
楢崎智亜さんは大学へ進学しましたか?
本人インタビューによると、大学には進学せず、高校卒業後はクライミングに専念しました。両親から大学進学を勧められ、競技との両立も検討したうえでの選択です。
楢崎智亜さんは医学部を目指していたのですか?
幼い頃から医師を強く志望していたわけではありません。ただし、父親が内科を開業しているため、家業を継ぐ選択肢として医学部を意識した時期がありました。
春野 滋(エンタメ&スポーツ愛好家ライター)


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