【プロフェッショナル】辻村史朗のプロフィールは?年収はいくら?どんな作品?なぜ孤高の陶芸家に?

辻村史朗さんの粉引銘々皿(丸) 気になったことあれこれ
辻村史朗さんの粉引銘々皿(丸)価格2万円らしいです

2021年6月15日NHK「プロフェッショナル仕事の流儀」で孤高の陶芸家として紹介された、辻村史朗(つじむらしろう)さん。

作ることが、生きること~孤高の陶芸家・辻村史朗。

名だたる海外セレブが愛し、メトロポリタンなど海外の有名美術館も、その作品を所蔵する孤高の陶芸家が、奈良県水間町の人里離れた山奥に住んでいます。

自宅は、自ら山を切り開き、井戸を掘り、廃材などをもらい集め、2カ月かけて自力で建てた家。

自生する野草やキノコを日々採り、畑で野菜を育て暮らしています。

『生きることとは何か』を問いかける辻村史朗さんの、これまでの人生は、どんなだったのでしょう。

そして、今や世界的に有名な、日本を代表する陶芸アーティストである辻村史朗さんの、年収は一体どのぐらいなのでしょうか。

とっても気になったので、番組の前に予習してみました。

辻村史朗さん
辻村史朗さん

辻村史朗のプロフィール・経歴

名前: 辻村史朗 (つじむら しろう)

年齢: 74歳 (1947年生まれ)

出身地:奈良県御所

辻村史朗さん
辻村史朗さん

辻村史朗の略歴

1965年:美術大学に学ぶために東京に上京するが、受験勉強に興味を失い、大学受験を断念

1966年:19歳から21歳までの3年間、奈良の禅寺三松寺(曹洞宗)に住み込んで修行

1968年:実家に戻り父親の家業の牧畜を手伝いながら独立するための資金をつくる
画家を目指していたが、油絵の具の質感に違和感を覚え、やきものの肌合いにひかれ始める

1969年:結婚。作った焼物を路上で販売し生計を建てる

1970年:奈良水間の山中に土地を購入。2ヶ月かけ、自力で家を建築。自宅周辺に次々と自力で窯を建築。窯の数は全部で7つ。

1977年:30歳を区切りに、奈良・水間の自宅にて初個展

1978年:4月、三越(大阪)にて個展。古美術商 故近藤金吾氏の眼にとまる

以後、百貨店三越(大阪)・日本橋三越本店(東京)や、ヤマハ・ギャラリー吉祥寺(東京)・ギャラリー・和知(東京)などで多数回の個展を開催し、多くの美術商や業界の有力者に絶賛されるようになる

1987年:クリーヴランド・ミュージアム(アメリカ)が、作品を買いあげる。

1990年には、
1月、丸栄(名古屋)にて個展(第4回)。
3月、たち吉本店(京都)にて個展。
5月、丸栄(豊橋)にて個展(第2回)。
6月、久世画廊(岐阜)にて「油彩展」。
6月、美術画廊・美有(姫路)にて個展。
10月、松山画廊(愛媛)にて個展。
11月、阪急百貨店梅田本店(大阪)にて絵画展。
上記のとおり、日本全国で個展が開かれるようになり、広く名をしられるようになる。

1991年:スペンサー・ミュージアム(アメリカ)が、大壺を買い上げる。

1993年:イギリス・ウエストデボンに窯を建て、ロンドンでの展覧会のために3ヶ月間滞在し作陶する。

1993年:ドイツ・フランクフルトにて、ドイツでは初めてとなる個展をジャパンアートにて開催

1994年:ロンドン・ギャラリーベッソンにてイギリスでの初めての個展開催。
エリック・クラプトン等が訪れ、多数の作品をコレクションする。

1994年:ドイツ・フランクフルトにて、ジャパンアートにて個展を開催(第2回)

1999年:裏千家茶道資料館にて現存作家として、二人目の個展「辻村史朗・壺と茶碗」展開催。

2003年:ニューヨーク・ギャラリー「古今」にて個展開催。

2006年:ニューヨーク・ギャラリー「古今」にて個展開催。
Axel Vervoordt, De Cluyse, アントワープにて展覧会。

2007年:Artempo. Where Time Becomes Art, Plazzo Fortuny, ベネチアにて展覧会

2009年:ニューヨーク・ギャラリー「古今」にて個展開催。
パリ ギャラリー吉井にて個展。シラク大統領(当時)ら来訪

2010年:ベルリン Jablonka Galleryにて個展。

2011年以降、
国内に限らず、ニューヨーク・ベネチア・ドイツケルン・フランス
マサチューセッツ州コンコード・パリ・ベニス・オーストラリア・ベルギー
世界中で多数回の個展を開催。

2020年
Art Fair Tokyo 2020では、過去最大規模のブースを用意し、50年に渡る作陶を振り返り、辻村史朗本人が選んだ「辻村史朗選 50盌」を開催予定でしたが、新型コロナウィルスにより中止(展覧会は延期)となる。

「自然釉丸壷(大)」 径44×高さ43cm
「自然釉丸壷(大)」 径44×高さ43cm

辻村史朗はなぜ孤高の陶芸家に?

辻村史朗さんは、若い頃、油絵を描く画家を目指していたようです。

ですが、美術大学の受験勉強として絵を描くことに興味を失くしてしまい、深い挫折を味わいます。

それでも画家を志していた辻村さんは、高名な画家のもとを訪れ、弟子入りをお願いしたのですが、門前払いを食らってしまいました。

再度の、深い失意のどん底の中で、偶然立ち寄った日本民芸館で、運命の『大井戸茶碗』に出会い、深い感動を受けました。

それでもやっぱり、絵描きを目指していたのですが、のちには、油絵の具を扱うことさえ嫌になり始めます。

そして、同時に、やきものの持つ静かな肌合いにひかれるように感じ始めたそうです。

それからは、リヤカーの車輪を利用して、自力でお手製のロクロを作り、お茶碗や花入れなどを作るようになったそうです。

今では、奈良の大自然の中で、日々物づくりと向き合っている辻村史朗さん。

土を捏ね、ロクロを回し、焼く。

キャンバスに絵を描き、墨をたっぷりと含んだ筆で紙の上に描く。

師匠は持たず、ただただ、今も昔も人が美しいと思うものを作りたい。

その一心で作品を作り続ける辻村史朗さん。

あの時、大学に受かっていたら、あの時、高名な画家が彼を受け入れていたら、私たちは、今の辻村さんの作品に出会うことは無かったでしょう。

目に見えない運命の力に突き動かされて、今の場所に来た辻村さんと、やきものの神様に、感謝したいと思いました。

辻村史朗さんの作品
辻村史朗さんの作品

辻村史朗が作る陶器はどんな作品?

「信楽茶碗」と「備前急須」
「信楽茶碗」 径11×高さ8cm (1979年制作) 「備前急須」 径11.2×高さ12.8cm (1978年制作)

自然釉の深い味わいや、圧巻の存在感を漂わせる作風です。

悟りの境地さえをも思わせるような、おおらかで豪放磊落(ごうほうらいらく)が持ち味です。

大自然をそのまま封じ込めたかのような、深い味わいの陶器が、世界中で高く評価されています。

辻村史朗さんの『志野 ぐい呑』
辻村史朗さんの『志野 ぐい呑』

辻村史朗の年収は?

今や日本を代表する、孤高の陶芸家・辻村史朗さんの年収は、いったい、いくらぐらいなのでしょうか?

興味がありますね。

と、その前に、『陶芸家』の方の平均年収って、一体どのくらいなのでしょうか。

調べてみました。

『陶芸家』さんと言っても、窯元(陶磁器の製造メーカー)に社員として雇われている人・陶芸教室などの講師をしている人と、自分で窯を建設して、作品を作って売っている人に分かれるようです。

窯元に社員として雇われている『陶芸家』や、教室などの講師をしている『陶芸家』だと、初任給は月額15万程度~20万程度。年功序列で、年数が経てば、上がる可能性はあります。

陶芸家の平均給料・給与  月額24万円
陶芸家の年代別の、平均給料・給与
20代の給料:10万円
30代の給料:20万円
40代の給料:27万円
陶芸教室なら、初任給は月額15万前後の収入
※給料給与統計の算出は口コミや厚生労働省の労働白書を参考にしました

自分で窯を建設して、作品を作って売っている『陶芸家』の場合、売り上げによって給料が大きく変わる不安定な生活になります。

平均年収200万円~400万円程度。

ただし、作って売っている『陶芸家』の場合、材料代、釉薬代、光熱費、薪代、ガス代、電気代など、出費が非常に多く、赤字経営になることも、珍しくはないようです。

辻村史朗さんのような、人間国宝クラスはどのくらいの年収なのでしょうか?

人間国宝クラスになると、ほぼ間違いなく、自分の財力で原材料の『土』が採取できる山などを購入している場合が多く、辻村さんも、ご自宅周辺の土地は、山ごと所有していらっしゃいます。

個展を毎年、年に数回、精力的に開催しており、そのときの売り上げも高額に上るのではないかと考えられます。

ひとつの作品に何百万円という高額な値段がつくこともあります。

また、茶道、華道など、家元と交流があれば、その関係者への売り上げも、かなり上がってくるのではないかと考えられます。

辻村史朗さんクラスの、すごい『陶芸家』になると、材料費、光熱費、薪代、ガス代、電気代など、の経費を差し引いても、数千万円の年収になるのではないかと、考えられます。

辻村史朗さんの「自然釉蹲花入」
辻村史朗さんの「自然釉蹲花入」

プロフェッショナル辻村史朗の情報、まとめ

辻村史朗さんの粉引銘々皿(丸)
辻村史朗さんの粉引銘々皿(丸)価格2万円らしいです

できないのはおもしろい。

できないから作る。

死ぬまでやってるんでしょうなあ。

失敗するから、やってられる。

どう作るか、よりも、どう生きるか。

生き様のなかからすべて出てくる。

別に将来とかあらへん、今これを作りたいから作る。

そう語る辻村史朗さん。

彼をよく知る料亭の女将からは、自他共に認める『寂しがりやの自由人』と呼ばれ、
妻と、コロという名の犬と暮らす。

15年前に美濃で探し当てた土を掘り起こして捏ね、荒々しいまでの激しさと、宇宙のような静けさをたたえた器を作る。

土に対して、ほんのちょっと手を貸すだけ、と語る。

ねらったものが出来るまで、なんどもなんども試行錯誤を繰り返す。

ねらったものが出来るなら、息子の真似だってしてみる。

自宅で栽培しているしいたけを取り、蛙の卵を眺め、穴窯に薪をくべる。

死んだときまでものを作ってるやろうなあ、おもろいから、と言う辻村史朗さん。

彼が焼いた茶碗で飲むお茶は、どんな味がするのだろう。

いつまでも長生きして、新しく美しいものを作り続けて欲しい、と思います。

粉引銘々皿 各種
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