泉谷駿介は八種競技や三段跳びもすごい!多才な競技歴を調査

八種競技の各種目と三段跳び、110mハードルに挑む陸上選手を一つの競技場で表現したシーン アスリートたち

泉谷駿介選手は、2017年に八種競技5916点でインターハイ優勝、2019年には三段跳び16m08を記録した、110mハードルだけでは語れない万能型アスリートです。

高校時代の八種競技5916点、大学時代の三段跳び16m08、2025年の走幅跳8m21、そして2026年の110mハードル13秒00。記録を年代順に並べると、泉谷駿介選手が「いろいろ経験した選手」ではなく、複数種目で全国・世界レベルまで到達してきた選手だと分かります。

「泉谷駿介は八種競技でどれほど強かった?」「三段跳びの自己ベストは?」「なぜ最終的に110mハードルで世界トップ級になったの?」という疑問を中心に、多彩な競技歴と、その経験が現在につながった理由を見ていきましょう。

泉谷駿介は八種競技でインターハイ優勝!5916点の実力とは?

泉谷駿介選手の競技歴を知るうえで、最初に押さえておきたいのが高校時代の八種競技です。

武相高校3年だった2017年の全国高校総体で、泉谷選手は5916点を記録して優勝。同じ武相高校の原口凛選手も5827点で2位となり、チームメート同士で全国ワン・ツーフィニッシュを果たしました。

八種競技は、高校男子が100m、走幅跳、砲丸投、400m、110mハードル、やり投、走高跳、1500mの8種目を2日間で行い、それぞれの記録を得点に換算して合計点を競う混成競技です。

つまり、短距離だけ速くても勝てません。跳躍力、投てき力、持久力、ハードリング技術まで含めた陸上選手としての総合力が問われます。

2017年インターハイの泉谷選手は、100m10秒88、走幅跳7m08、400m49秒81、走高跳1m91などを記録し、最後の1500mも4分40秒42で走り切って5916点に到達しました。

こうして八種目を具体的に見ると、「高校時代に八種競技もやっていた」という軽い経歴ではないことがよく分かりますよね。

高校2年では全国14位、その悔しさが翌年の優勝へ

泉谷選手が最初から全国王者だったわけではありません。

高校2年だった2016年、本格的に八種競技へ挑戦すると、神奈川県大会3位、南関東大会では5416点で3位となり、全国高校総体へ進みました。

ところが全国では5342点で14位。本人は表彰台を狙っていただけに、この結果を強く悔しがったとされています。

そして翌2017年、神奈川県大会では5815点まで伸ばし、全国高校総体では5916点で頂点へ。

1年間で「全国14位」から「全国1位」へ駆け上がったことになります。

私は、この成長過程に泉谷選手の強さがよく表れていると感じます。

身体能力の高さだけなら、ひとつの種目で突然好記録を出すこともあるでしょう。しかし八種競技では、苦手種目を放置したまま総合得点を大きく伸ばすことは難しいものです。

泉谷選手自身、高校1年冬の校内混成競技会で、中学時代には不得意だった投てきでも身体の成長によって手応えを感じたことが、八種競技に進むきっかけになったと振り返っています。

「得意なことだけを伸ばす」のではなく、走る、跳ぶ、投げるという幅広い能力を高校時代に磨いたこと。この土台が、その後の泉谷選手を理解する重要なポイントだと思うのです。


泉谷駿介は三段跳びでも全国トップ級!自己ベスト16m08

八種競技と並んで、泉谷駿介選手の多才さを象徴するのが三段跳びです。

泉谷選手の三段跳び自己ベストは16m08。住友電工陸上競技部の選手プロフィールにも、110mハードル13秒00、走幅跳8m21とともに自己ベストとして掲載されています。

驚くのは、三段跳びが「混成競技の練習として少し経験した種目」ではなかったことです。

高校時代から単独種目でも全国トップ級でした。

高校3年だった2017年には、神奈川県大会の三段跳びで15m69(+0.4m/s)を記録し、当時の神奈川県高校記録を42年ぶりに更新しています。

その年のインターハイでは八種競技で優勝しただけでなく、三段跳びにも出場。

八種競技の8種目を戦った疲労が残るなかで15m16を跳び、全国3位に入りました。

八種競技で全国1位、そのうえ三段跳びで全国3位。

こうして同じ大会での結果を並べると、泉谷選手の「万能」という言葉が決して大げさではないことが伝わってきます。

大学進学時に選んだメイン種目は、110mハードルではなく三段跳び

さらに興味深いのは、順天堂大学へ進んだ泉谷選手が、当初から110mハードル専門を目指していたわけではないことです。

高校で八種競技を終えた泉谷選手は、大学では三段跳びをメインに、走幅跳と110mハードルにも同じくらい取り組みたいと考えていました。

本人は当時、十種競技では棒高跳に恐怖心があったことなどから混成競技を高校までとし、「何よりも好きな種目」として三段跳びを選んだ経緯を語っています。

現在の泉谷選手を110mハードルで知った方には、かなり意外なのではないでしょうか。

「ハードルの天才が幼い頃からハードル一本で育った」のではなく、好きだった三段跳びを軸にしながら、ハードルでも世界へ出ていったのです。

大学2年の2019年には、110mハードルだけでなく走幅跳、三段跳びでも好記録を連発し、マルチアスリートとして存在感を高めました。三段跳びの自己ベストは16m08まで伸びています。

私には、この経歴が泉谷選手の個性を最もよく表しているように思えます。

普通なら「一番結果が出る競技へ早く絞ったほうがいい」と考えてしまいますよね。

ところが泉谷選手は、好きな跳躍を捨てず、ハードルも続けた。その結果、後に両方で世界大会へ挑むほどの選手になったのです。

※画像はAIによるイメージ

中学では短距離からスタート!八種競技に進んだ転機は?

泉谷駿介選手が多種目型の選手になった背景をたどると、中学・高校時代の種目選択が見えてきます。

泉谷選手は2000年1月26日生まれで、横浜緑が丘中学校、武相高校、順天堂大学を経て住友電工に所属しています。

小学生ではサッカーを経験し、中学校への進学後に陸上競技を始めました。

最初は短距離。その後、中学3年で四種競技に取り組み、当時比較的得意だったのが走高跳でした。

武相高校へ進学すると、まず走高跳に種目を絞ります。

ところが高校1年冬の混成競技会で、身体が大きくなり筋力がついたことによって、それまで苦手だった投てきでも手応えを感じました。

これが高校2年から八種競技へ本格的に進むきっかけになります。

ここで注目したいのは、泉谷選手の場合、成長する身体に合わせて種目も変化していることです。

中学で完成されたスター選手だったのではなく、その時々の身体能力や適性を確かめながら、四種競技、走高跳、八種競技、三段跳びへと可能性を広げていきました。

そして八種競技のトレーニングでは、朝にスプリントや投てき、本練習ではハードルと跳躍を中心に行っていたといいます。

本人も混成競技について、さまざまな種目に取り組めるため練習が楽しかったという趣旨の話をしています。

この一次情報は、泉谷選手の多種目経験を考えるうえで大切です。

「万能だから仕方なく何種目もやった」というより、異なる動きを練習すること自体を前向きに受け入れていた選手だったことがうかがえるからです。


八種競技と三段跳びの経験は110mハードルにどうつながった?

では、高校時代の八種競技や三段跳びは、現在の110mハードルにどのようにつながっているのでしょうか。

ここは事実と私見を分けながら考えてみたいと思います。

まず事実として、高校3年のインターハイ後には110mハードルでも大きな伸びを見せました。

一般規格の110mハードルで13秒93という当時の高校歴代上位に入るタイムをマークし、大学1年の2018年にはフィンランド・タンペレで行われたU20世界選手権で13秒38の銅メダルを獲得しています。

つまり、八種競技で全国優勝した直後から、ハードルでも国際レベルへの道が一気に開けたのです。

ただし、「八種競技をやったから110mハードルが速くなった」と単純に因果関係を断定することはできません。

そのうえで競技動作を比べると、泉谷選手の多種目経験にはいくつもの接点があるように私は感じます。

三段跳びでは高速の助走を維持しながら、ホップ、ステップ、ジャンプへリズムよく移行します。

走幅跳でも、助走で得た速度を落としすぎず、一瞬の踏み切りで身体を空中へ運ぶ必要があります。

110mハードルも、10台の障害を単に「高く跳ぶ」競技ではありません。できるだけ速度を保ち、ハードルを越えた直後から次の3歩へ素早く移ることが求められます。

速い速度のなかで踏み切りと着地を繰り返し、身体の位置を正確にコントロールする。

この点では、ハードルと跳躍には異なる競技でありながら共通する身体感覚がある、と考えられるのではないでしょうか。

そして泉谷選手自身の歩みを見ると、跳躍とハードルは完全に別々の能力として育ったわけでもありません。

高校の八種競技では、スプリント、投てき、ハードル、跳躍を並行して練習していました。大学でも三段跳びをメインにしながら、走幅跳と110mハードルを続けています。

私はここに、泉谷選手の記事を書くうえで一番面白いポイントがあると思っています。

「いろいろな種目を経験した」という経歴の多さではなく、それぞれの競技で得た身体感覚を途切れさせずに育て続けたことが、泉谷選手らしいのではないでしょうか。


三段跳び16m08から走幅跳8m21へ!多才さは現在も続く

泉谷駿介選手の多種目歴は、高校や大学の思い出で終わっていません。

2025年3月、中国・南京で開催された世界室内選手権では、男子走幅跳に出場し、自己ベスト8m21で4位入賞を果たしました。

日本陸連もこの8m21を日本歴代6位の記録として紹介しています。世界室内の男子走幅跳で日本選手が入賞するのは、1985年大会以来40年ぶりでした。

しかも泉谷選手は、大会前に110mハードルと走幅跳の2種目挑戦について、自分の可能性を最大限に発揮したいという趣旨を語り、2種目に耐えられる身体づくりを意識して練習量も増やしていたことを明かしています。

これは、「多種目経験が現在の競技者としての考え方にも続いている」という点で、とても興味深い発言です。

八種競技をしていた高校生が、専門化する過程でほかの種目をすべて捨てたのではありません。

三段跳び16m08という跳躍力を大学で磨き、社会人になってからは走幅跳で8m台へ。ついには世界大会で4位まで進みました。

一方、本職として大きな国際実績を残してきた110mハードルでも進化を続けています。

2023年のブダペスト世界選手権では、日本男子としてこの種目で初めて世界選手権決勝へ進み、13秒19で5位入賞。

さらに2026年6月26日、クロアチア・ザグレブのハンジェコビッチ記念では13秒00(+1.2m/s)をマークし、自己ベストを更新しました。

なお、2026年8月時点で男子110mハードルの日本記録は村竹ラシッド選手の12秒92であり、泉谷選手の13秒00は日本記録ではありません。この点は区別しておきたいところです。

「110mハードル13秒00」「走幅跳8m21」「三段跳び16m08」。

住友電工の公式プロフィールに3つの自己ベストが並んでいること自体が、泉谷選手の珍しい競技特性を端的に表しているように感じます。


【考察】泉谷駿介の強さは「専門化する前の経験」を捨てなかったこと

ここからは、競技歴を通して見えてきたことを、私なりに考えてみます。

泉谷駿介選手を調べていて印象に残るのは、単に「何でもできた」ことではありません。

専門種目が定まってからも、それ以前に経験した競技を切り離さなかったことが大きな特徴ではないでしょうか。

中学では短距離と四種競技。

高校では走高跳から八種競技、三段跳び、110mハードル。

大学では三段跳びをメインに考えながら、走幅跳と110mハードルを並行しました。

そして社会人になって世界的なハードラーとなった後も、走幅跳で8m21まで伸ばしています。

一直線ではありません。

けれど、その「寄り道」に見える経歴が、後から一本につながっているように見えるのです。

特に興味深いのは、大学進学時に泉谷選手が選びたかった中心種目が三段跳びだった点です。

現在の実績だけを見れば、「110mハードルの才能が突出していたのだから、最初から専門にすればよかったのでは」と考えてしまうかもしれません。

しかし私は、そう単純ではないと思います。

本人が好きだった三段跳びを続け、跳躍ブロックで身体を磨きながら、110mハードルにも挑戦した。その過程があったからこそ、泉谷選手自身が自分の可能性を狭めずに済んだ面もあるのではないでしょうか。

もちろん、これは本人が「三段跳びのおかげでハードルが速くなった」と明言したものではなく、競技歴と動作特性から見た筆者の考察です。

ただ、2025年の世界室内に際して本人が「自分の可能性を最大限発揮する」ために走幅跳へ挑戦する姿勢を語っていることを考えると、複数種目への好奇心が現在まで続いていること自体は確かでしょう。

また、多種目挑戦にはメリットだけでなくリスクもあります。

大学時代には故障によって2019年ドーハ世界選手権を欠場しており、住友電工の公式プロフィールにも肉離れによる欠場が記されています。

ですから今後も、「出られる種目には全部出る」という単純な話ではないでしょう。

世界大会でメダルを争うレベルになれば、疲労管理や故障予防を含め、どの大会でどの種目に挑むのかという判断がより重要になります。

それでも私は、泉谷選手にはこれからも「110mハードラーだから跳躍はしない」と自分を狭く定義しない選手でいてほしいな、と一ファンとして感じています。

八種競技の全国王者が、三段跳び16m08を跳び、その後110mハードルで世界選手権決勝へ進み、さらに走幅跳でも世界4位になる。

これほど競技歴そのものに物語がある選手は、なかなかいませんよね。


まとめ|泉谷駿介は八種競技と三段跳びでも本当にすごかった

泉谷駿介選手は110mハードルだけのスペシャリストとして育ったのではなく、多種目を高いレベルで経験した末に世界的ハードラーとなった選手です。

高校3年の2017年には八種競技で5916点を記録してインターハイ優勝。同じ大会の三段跳びでも15m16で3位に入りました。

大学では三段跳びをメイン種目として考えながら競技を続け、自己ベストは16m08。社会人では走幅跳でも8m21を記録し、2025年世界室内選手権4位まで到達しています。

そして110mハードルでは2023年世界選手権5位、2026年には13秒00の自己ベストをマークしました。

私自身、泉谷選手の競技歴を改めて追ってみて、本当の面白さは「何種目できるか」という数の多さではないと感じました。

走る、跳ぶ、ハードルを越えるという異なる経験を、その時々で捨てずに積み重ねてきたこと。

そこに泉谷駿介という選手ならではの強さがあるのではないでしょうか。

次に110mハードルで泉谷選手を見るときには、目の前の10台のハードルだけでなく、その背景にある八種競技や三段跳びの経験まで思い出してみてください。

あのスピードと身体操作が、少し違った角度から見えてくるかもしれませんね。


よくある質問

泉谷駿介は八種競技で優勝したことがありますか?

はい。武相高校3年だった2017年の全国高校総体で5916点を記録し、八種競技で優勝しています。

チームメートの原口凛選手が5827点で2位となり、武相高校勢でワン・ツーフィニッシュを達成しました。

泉谷駿介の三段跳びの自己ベストは何mですか?

三段跳びの自己ベストは16m08です。

高校時代にも15m69を記録して当時の神奈川県高校記録を42年ぶりに更新し、2017年インターハイでは15m16で3位に入っています。

泉谷駿介はなぜ110mハードル以外の種目も強いのですか?

本人は高校時代に八種競技でスプリント、跳躍、投てき、ハードルを幅広く練習し、大学では三段跳びを中心に走幅跳と110mハードルも続けていました。

それらの経験が現在の110mハードルへどの程度直接影響したかは断定できませんが、高速の中で踏み切りや着地、身体位置を調整する能力を多様な種目で磨いてきたことは、泉谷選手の競技歴を考えるうえで重要な特徴だと私は考えています。

春野滋(エンタメ&スポーツ愛好家ライター)

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