三浦龍司選手の高校は京都府の洛南高等学校で、高校3年時に3000m障害の日本高校記録を30年ぶりに更新しました。
島根県から京都へ進み、寮生活を送りながら走力と障害技術を磨いた3年間。高1の9分10秒78から高3の8分39秒37まで、30秒以上も記録を縮めた成長の軌跡を詳しく見ていきます。
三浦龍司の高校は洛南高校!島根から京都の陸上強豪校へ
三浦龍司選手が通っていた高校は、京都府京都市にある洛南高等学校です。
2002年2月11日に島根県浜田市で生まれた三浦選手は、浜田市立浜田東中学校を卒業した後、2017年に京都の洛南高校へ進学しました。
中学卒業と同時に故郷の島根県を離れ、親元から離れた寮生活を始めたことになります。
洛南高校といえば、高校駅伝の強豪校として名前を聞いたことがある方も多いのではないでしょうか。
しかし陸上部の強さは長距離だけではありません。短距離や跳躍など幅広い種目で全国レベルの選手を育ててきた、全国屈指の陸上強豪校です。
三浦選手が高校時代に長距離の指導を受けたのが、洛南高校OBでもある奥村隆太郎先生でした。
中学時代の三浦選手は全中や国体、ジュニアオリンピックなど全国レベルの大会を経験していましたが、洛南へ入った時点ですでに高校陸上界の絶対的エースだったわけではありません。
周囲には自分より速い先輩や仲間もいる。
その環境で基礎的な「動きづくり」を学びながら、長距離ランナーとしての走力を少しずつ高めていきました。
私はここが、三浦選手の高校時代を見るうえで大切なポイントだと思っています。
後にオリンピックや世界大会で入賞する姿を知っていると、「子どもの頃から飛び抜けていた天才」と考えたくなりますよね。
けれど実際には、全国屈指の強豪校で速い仲間を追いながら、自分の武器を磨いていった高校生だったのです。
そして三浦選手と障害種目との縁は、洛南に入って突然生まれたわけでもありません。
小学生の頃から地元の浜田JASで陸上競技に取り組み、80mハードルを含むさまざまな種目を経験していました。
高校から本格的に3000m障害へ挑戦すると、それまで培ってきた障害を越える身体操作と、洛南で高めた長距離の走力が少しずつ結びついていきます。
島根で身につけた多様な動きと、洛南で磨いたスピード。
この二つが重なったことが、後の三浦龍司選手を形作る大きな土台になったと考えられます。
三浦龍司の洛南高校時代は寮生活!朝5時半から練習の日々
洛南高校時代の三浦龍司選手は、島根県の実家を離れて寮生活を送っていました。
後年、高校時代を振り返ったインタビューでは、朝5時30分ごろから練習を始めていたことも明かしています。
朝早く起きて練習し、その後に授業を受け、再び競技と向き合う。
文字にすると簡単ですが、これを高校生が日々続けていたと思うと、なかなか大変ですよね。
ただし興味深いのは、洛南での生活が何から何まで厳しく管理されるものではなかったことです。
三浦選手自身の回顧によると、高校生にもある程度の自由があり、生活や食事を極端に縛られる環境ではなかったといいます。
自由があるからこそ、自分で考えて生活する必要があります。
大学へ進めば、高校以上にスケジュールや食事、練習以外の時間を自分で管理しなければなりません。
三浦選手は、高校時代から自由と自制の両方を経験できたことが、その後の大学生活にもつながったという趣旨で振り返っています。
私は、これは記録には表れない洛南高校の大きな財産だったのではないかと思います。
強い選手を育てるというと、「厳しい練習をさせること」に目が向きがちです。
けれど競技人生が長くなればなるほど、コーチに言われたことだけをこなすのではなく、自分で自分を整える力も必要になるのでしょう。
さらに三浦選手が生活していた寮には、陸上競技以外のスポーツに打ち込む生徒もいました。
違う競技で全国を目指す同年代の生徒たちと暮らし、それぞれの努力する姿から刺激を受けていたといいます。

陸上部の中だけにいれば、「何秒で走った」「何位だった」という価値観に意識が集中しやすいですよね。
しかし異なる競技に真剣に取り組む仲間と同じ屋根の下で暮らせば、努力の仕方にもさまざまな形があると分かります。
三浦選手が後に世界の舞台でも落ち着いた姿を見せることを考えると、高校時代のこうした生活経験も競技者としての土台の一部になったのかしら、と私は感じます。
三浦龍司は高校3年間でどれだけ速くなった?3000m障害の記録推移
三浦龍司選手の洛南高校での成長を最も分かりやすく示すのが、3000m障害のタイムです。
高校3年間の主な記録を並べると、その伸び幅がはっきり見えてきます。
- 高校1年・2017年:9分10秒78=当時の高校1年歴代2位
- 高校2年・2018年:8分46秒56=当時の高校2年最高水準、高校記録へ接近
- 高校3年・2019年6月15日:8分39秒49=日本高校新記録
- 高校3年・2019年6月27日:8分39秒37=自身の日本高校記録をさらに更新
高校1年時の9分10秒78から高校3年時の8分39秒37まで、約31秒縮めています。
3000mという距離で31秒ですから、非常に大きな成長です。
特に注目したいのは、高校2年で記録が一気に伸びていること。
2018年5月には3000m障害で8分46秒56をマークし、当時の高校記録だった8分44秒77まで約2秒に迫りました。
まだ高校2年生です。
この時点ですでに、「高校記録を狙える選手」として三浦選手の存在感が大きくなっていたことが分かります。
ただ、私がさらに興味深いと思うのは3000m障害以外の数字です。
高校2年だった2018年10月7日、福井国体の少年男子A5000m決勝で三浦選手は14分04秒50を記録して3位に入りました。
この5000mでの走りについて、三浦選手自身もその後の成長につながるターニングポイントの一つとして振り返っています。
ここから見えてくるのは、3000m障害のタイム向上が「障害を越える技術だけ」で生まれたわけではないということです。
3000m障害は、水濠を含む障害物を越えながら3000mを走ります。
当然、障害を越える技術は必要です。
しかし、障害と障害の間は普通に走らなければなりません。
そこで必要になるのが、1500mや3000m、5000mにも通じる純粋な走力とスピード持久力です。
高校2年で5000m14分04秒50まで走れるようになったことと、3000m障害で8分46秒56までタイムを縮めたことは、別々の出来事ではないと私は考えています。
長い距離を高速で走れるようになったからこそ、障害を越えた後に再びスピードへ乗る余裕も生まれる。
つまり洛南高校では「障害のスペシャリスト」にするだけではなく、長距離ランナーとしての土台そのものが強くなっていったのでしょう。
この視点で数字を見ると、三浦選手の高校時代がより面白く見えてきますよね。
高校3年で30年ぶり日本高校記録!8分44秒77を8分39秒49へ
三浦龍司選手の洛南高校時代を象徴するレースが、2019年6月15日の近畿高校総体男子3000m障害決勝です。
高校3年生だった三浦選手は、悪天候の中で8分39秒49を記録し、日本高校新記録を樹立しました。
それまでの日本高校記録は、櫛部静二さんが1989年に記録した8分44秒77でした。
つまり、約30年間破られていなかった記録です。
三浦選手は8分39秒49を出し、従来の記録を一気に5秒以上更新しました。
30年といえば、三浦選手が生まれる13年も前に作られた記録です。
高校陸上の練習方法や競技環境が変化する中でも残り続けてきた記録を、高校3年生が大きく塗り替えたことになります。
しかも、驚きはここで終わりません。
日本高校記録を更新してからわずか12日後の2019年6月27日、第103回日本陸上競技選手権大会の男子3000m障害予選に出場します。
そこで記録したのが、8分39秒37。
12日前に作った自身の日本高校記録8分39秒49を、さらに0秒12更新しました。
日本陸上競技連盟も、洛南高校3年時の三浦選手が日本選手権予選で8分39秒37の高校新記録を樹立したことを公式に紹介しています。
そして三浦選手は予選突破だけで終わらず、決勝へ進出。
決勝では8分40秒30で5位に入りました。
これは高校生だけで争う大会ではありません。
大学生や実業団など、日本国内のトップランナーが集まる日本選手権です。
高校3年生でその決勝に進み、5位まで食い込んだ。
この結果によって三浦選手は、「高校生として速い選手」という枠を越えて、シニアのトップレベルとも競える可能性を示したと言えるでしょう。
2019年には3000m障害以外でも飛躍しています。
同年3月に香港で開催されたアジアユース選手権では、男子2000m障害に出場し、5分42秒35の大会新記録で金メダルを獲得しました。
また、高校3年では5000mでも13分台へ入り、長距離ランナーとしての走力そのものが一段と高まっています。
だからこそ、私は8分39秒37という高校記録だけを切り取るよりも、
高1・9分10秒78 → 高2・8分46秒56 → 高3・8分39秒37
という3年間の流れに注目したいのです。
ある日突然、記録を30秒縮めたわけではありません。
1年目に土台を作り、2年目に高校記録目前まで迫り、3年目に壁を突破した。
この階段の上り方にこそ、三浦龍司選手の洛南高校時代らしさが表れているように思います。
洛南高校で三浦龍司が伸びた理由は?5000m走力と「動きづくり」
三浦龍司選手が洛南高校で大きく成長した理由を考えると、単純に「練習量が多かったから」では説明しきれません。
大きなポイントは、走力と身体操作を並行して磨いたことにあると考えられます。
三浦選手は小学生時代からハードルを含むさまざまな陸上種目に挑戦していました。
そこへ洛南高校での動きづくりと本格的な長距離トレーニングが加わります。
3000m障害という競技は少し特殊です。
平地の3000mよりも障害がある分だけ走りのリズムが乱れますし、水濠では着地による衝撃もあります。
障害の手前で歩幅を合わせ、越えた直後にもう一度スピードへ乗らなければなりません。
だから、単純な持久力だけでも、障害を越える器用さだけでも足りないのですね。
三浦選手の場合は、小学生時代から培った身体操作に加えて、高校2年で5000m14分04秒50、高校3年ではさらに13分台へ入るほど平地の走力が向上しました。
その一方で、3000m障害は高1の9分10秒78から高2の8分46秒56、高3の8分39秒37へ伸びています。
この二つの記録の変化を重ねて見ると、私は一つのことが見えてくると感じます。
三浦選手の3000m障害の成長は、障害技術の向上というより「障害を越えながら速く走り続けられる選手になった」ことが大きかったのではないか。
ここが、高校時代を数字から読み解いた時の重要なポイントです。
三浦選手の武器として、障害を越える時の軽やかさはよく注目されます。
しかし、その軽やかな障害処理を生かせるのも、障害と障害の間を高速で走れる土台があってこそです。
洛南高校は駅伝の強豪校として知られますが、三浦選手にとっては「駅伝のためだけに長距離を走る場所」ではありませんでした。
3000m障害という自分の個性を残しながら、長距離ランナーに必要な走力を引き上げられた。
この育成環境が三浦選手と非常に相性がよかったのではないでしょうか。
さらに洛南高校の3000m障害という視点では、先輩に塩尻和也選手がいることも興味深いところです。
塩尻選手も洛南高校から順天堂大学へ進み、3000m障害で世界大会を経験したランナーです。
三浦選手も洛南高校から順天堂大学へ進みました。
もちろん、同じ学校だから同じ選手になるわけではありません。
しかし、高校駅伝だけに選手を合わせるのではなく、3000m障害という個人種目でも選手の可能性を伸ばしてきた環境があったことは、洛南高校の長距離育成を考えるうえで見逃せない部分でしょう。
洛南高校の3年間は大学1年の8分19秒37へどうつながった?
洛南高校を卒業した三浦龍司選手は、2020年に順天堂大学へ進学しました。
そして大学1年の2020年7月、ホクレン・ディスタンスチャレンジ千歳大会で3000m障害を8分19秒37で走ります。
高校時代の自己ベストは8分39秒37ですから、卒業後わずかな期間でちょうど20秒縮めた計算になります。
8分19秒37は当時、学生記録を41年ぶり、U20日本記録を37年ぶりに更新する大記録でした。
数字だけを見ると、「大学へ入って突然覚醒した」と感じるかもしれません。
ところが三浦選手自身の高校時代の振り返りをたどると、もう少し連続的に見ることができます。
洛南で継続した動きづくり。
5000mをはじめとした基礎走力の向上。
自分で生活を管理する寮生活。
全国レベルの仲間に囲まれる環境。
それらを高校時代に積み重ねたうえで順天堂大学へ進み、3000m障害の能力が一段上のレベルで表面化した、と考えるほうが自然でしょう。
ここで私は、「高校記録を出したから洛南で成功した」という評価だけでは少し足りないように感じます。
三浦選手にとって洛南は、18歳で完成するための場所ではなく、その先で伸びるための能力を蓄えた場所だったのではないでしょうか。
しかも、そのことは数字でもある程度読み取れます。
高校2年の2018年には3000m障害8分46秒56と5000m14分04秒50。
高校3年では3000m障害8分39秒37に加え、5000mでも13分台へ。
そして大学1年で3000m障害8分19秒37。
障害だけが突然うまくなったという成長曲線ではありません。
平地の走力を高めながら、3000m障害でも記録を伸ばしている。
私は、この連動こそが三浦選手の高校時代を理解するための重要な手がかりだと思っています。
三浦龍司にとって洛南高校とは?記録以上に残った3年間を考察
ここからは、三浦龍司選手の高校時代を追ってきたうえでの私なりの考察です。
洛南高校の3年間で最も目を引く数字は、やはり8分39秒37でしょう。
1989年から30年間残っていた日本高校記録を破り、さらに日本選手権で5位。
高校生としては文句なしの素晴らしい実績です。
ただ私は、三浦選手のその後まで知ったうえで高校時代を見ると、記録以上に重要なことがあったように思います。
一つ目は、自分の個性を消さなかったことです。
高校の長距離強豪校へ進めば、駅伝を中心に競技生活を送る道もあります。
けれど三浦選手は、3000m障害という自分に適性のある種目に継続して挑戦しました。
そのうえで5000mの走力まで高めています。
「障害選手だから障害だけ」でも、「長距離強豪校だから駅伝だけ」でもない。
複数の能力を組み合わせたことが、後の世界レベルの3000m障害ランナーにつながったのではないでしょうか。
二つ目は、成長の仕方です。
高校1年で9分10秒78。
高校2年で8分46秒56。
高校3年で8分39秒37。
この数字を見ると、三浦選手は最初から完成されたランナーではなく、環境の中で段階的に成長していったことが分かります。
特に高1から高2までの伸びは約24秒。
そして高校2年には5000mでも14分04秒50を記録しています。
私はこの時期に、3000m障害を支える「走る力」が大きく変わったのではないかと考えています。
三つ目は、競技以外の自立です。
島根県から京都府へ移り、15歳ほどの年齢から親元を離れて生活する。
朝5時30分ごろから練習しながら、学校生活と競技を両立する。
しかも、すべてを管理されるのではなく、ある程度の自由の中で生活する。
華やかな高校記録の陰には、そうした毎日の積み重ねがありました。
トップ選手の経歴を見る時、私たちはどうしても「優勝」「日本記録」といった大きな出来事だけを拾ってしまいますよね。
でも選手が強くなるのは、大会当日だけではありません。
朝起きること。
練習へ行くこと。
食事をすること。
疲れていても翌日に備えること。
速い仲間に負けても、また練習すること。
そんな繰り返しの先に、ある日8分39秒49という数字が現れたのでしょう。
そう考えると、三浦龍司選手の洛南高校時代は「30年ぶりの高校記録を出した3年間」というだけではありません。
世界へ進むランナーの走力、技術、自立心が少しずつ形になった3年間だった。
私はそこに、三浦選手の高校時代の本当の面白さがあると感じています。
まとめ
三浦龍司選手の高校は、京都府の洛南高等学校です。
島根県浜田市の浜田東中学校から京都へ進み、寮生活を送りながら全国屈指の陸上環境で競技力を磨きました。
3000m障害では、高校1年の2017年に9分10秒78、高校2年の2018年に8分46秒56まで記録を伸ばします。
そして高校3年だった2019年6月15日の近畿高校総体で8分39秒49を記録。
櫛部静二さんが1989年に出した8分44秒77を上回り、30年ぶりに日本高校記録を更新しました。
さらに12日後の2019年6月27日、日本選手権予選で8分39秒37へ自身の記録を更新し、決勝でも8分40秒30で5位に入りました。
一方で、高校2年の福井国体5000mでは14分04秒50を記録するなど、3000m障害だけでなく平地の走力も大きく伸ばしています。
9分10秒78→8分46秒56→8分39秒37。
この3年間の数字を追うと、三浦龍司選手が突然現れた天才ではなく、洛南高校で一段ずつ力を積み上げてきたことがよく分かります。
小学生時代に培ったさまざまな身体の動き、洛南で身につけた長距離の走力と動きづくり、寮生活で育てた自立心。
それぞれが重なった先に、高校卒業後の8分19秒37、そして世界へ挑む三浦龍司選手へと続く道があったのでしょう。
現在の三浦選手が水濠を軽やかに越えていく姿を見ると、その一歩の奥には、島根を離れ、京都で速い仲間を追い続けた高校生の日々があったのだと思わされます。
記録だけでなく、その記録が生まれるまでの過程を知ると、三浦龍司選手をますます応援したくなりますよね。
よくある質問
三浦龍司の高校はどこですか?
三浦龍司選手の高校は、京都府京都市にある洛南高等学校です。
島根県浜田市の浜田東中学校を卒業後、2017年に洛南高校へ進学し、寮生活を送りながら陸上競技に取り組みました。
三浦龍司は高校から3000m障害を始めたのですか?
三浦龍司選手が本格的に3000m障害へ挑戦したのは洛南高校進学後です。
ただし小学生時代から地元の浜田JASで陸上に取り組み、80mハードルを含むさまざまな種目を経験していました。こうした身体操作の経験も、後の3000m障害につながったと考えられます。
三浦龍司が高校時代に更新した日本高校記録は何秒ですか?
三浦龍司選手は2019年6月15日の近畿高校総体3000m障害で8分39秒49を記録し、櫛部静二さんが1989年に出した8分44秒77の日本高校記録を30年ぶりに更新しました。
さらに2019年6月27日の日本選手権予選では8分39秒37を記録し、自身の日本高校記録をもう一度更新しています。
執筆:春野滋(エンタメ&スポーツ愛好家ライター)

コメント